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大人という生き物

サラリーマンをはじめて一年と3ヶ月が過ぎた。
毎日出勤して元気に働いて部屋の掃除もして、それだけじゃなくてパートナーシップも結んだし犬も飼った。友達もすごく増えた。
これだけで十分100点なんだけど、たまにというか、よく落ち込む。

私は「周りの人がどう思うかな?」という配慮が苦手だ。なので200人とかの大人が参加する講演会でも、高校のクラスと同じように気になることがあったらすぐ質問する。
多分悪いことじゃないんだけど、全編英語の資料を展開された時「purchase」の意味が思い出せなくて、売上って上がったんですか?と聞いた。登壇者には食い気味&結構な圧で「上がっています」と言われて質問したことをすごく後悔した。たぶん「purchase」の意味がよくわかっていなかった人は私以外にもたくさんいて、その人たちは内心ホッとしたに違いない(聴衆はみな日本人)のだけれど、発表者からはすごく食い気味に圧をかけられてなんだか「オエーっ」ってなってしまった。
「purchase」とググりもしなかった私も悪いけど、資料の送付もせず日本人に対して全編英語でサクサク話す、質問してくださいと言っておいて圧がすごくて「オエっオエっ」となった。
私が期待しすぎなのもあるしこれが社会なんだけど、なんだか遠くへ行きたくなってしまった。(しかもその後、失敗するケースはないのですか?と聞いたら「ないです」とまた食い気味で言われた。内容がSNS広告だったので「絶対なんて絶対ない」みたいな歌詞が浮かんだりした。物事を考える上で「絶対こうだ」と言い切ることってできないししない方が面白いと思っているので、断言されてしまって「もっとオエーーー」となった。一方で自分に対して、「じゃあ聞くなよ」とも思った。大人が200人集まる場は高校のクラスとは結構違うのだな、とも思った。

周りの人がどう思うか?を考えることももう少し必要かもしれないな。きっとこの経験で私の良さは少しだけ消えるし、「質問はありますか?」の問いに対して下を向いて知らんぷりするつまらない大人に一歩近づいてしまう。
それでも社会では余計なことを言わず、会議では必ず2番目以降に発言して波風立たせないことが得な場面がそれなりにあったりするようだ。

「くそくらえー!」

こんなことがとにかくよくある。正直言って講演会の質問の場は、いかに優れた質問をして一目置かれるかの場になっているし、そもそも聞いてない人も多い。つまんなさ過ぎる。

書いてるうちに思ったけど、やっぱり周りにどう思われるかを考える練習はいらないかも。わかんないものはわかんないしいいと思うものはいい、よくないものはよくないのだ。あまり知ったかぶりして得をしたことはない。

そういえば帰り道にあの質問は逆に良かったと励ましてくれた大人がいた。その人たちがいてくれてとにかくよかった。でないと私は飛行機とか船とかで遠くに飛んでいってしまったかもしれない。

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