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(2020)シン・フェイン文学2──ジェリー・アダムズの獄中小説

前回紹介した北アイルランド出身の政治活動家、ジェリー・アダムズ。英国によって分断された南北アイルランドの統一を求める「リパブリカン」政党「シン・フェイン党」を率いつつ、武闘型反英闘争を議会主義路線に転換し、国際的な理解を得て和平合意に尽力した。北アイルランド問題の現在を理解するのに欠かせない人物であるアダムズは、本邦では知られていないが短編小説に秀でている。今号では、彼自身の獄中経験に基づく独特の獄中闘争を描く短編を紹介する。英国対アイルランドという二元的な対立に回収しきれない闘争が綴られている。

恣意的な収監制度と政治犯待遇

ジェリー・アダムズは、1948年、英国内の自治領・北アイルランドのカトリックの家庭に生まれた。自治政府は、英国領内に留まることを望み、プロテスタント系の入植者に有利な政治を行なう「ユニオニスト」政権。巧妙な選挙制度によって事実上参政権を奪われたカトリックの不満は、60年代後半に公民権運動となって表れた。ベルファストの公民権運動に加わったアダムズは、よりナショナリスティックな観点から、シン・フェイン党、および当時はその準軍事組織だったIRA(のちに党首となったアダムズが党を武装解除した)に接近していた。一方、公民権運動に危機感を抱くユニオニストの準軍事組織と警察がデモなどを攻撃し、これにIRAらが報復。英国がユニオニストを庇う形で軍事介入して衝突、70年夏には市街地は荒廃し、英国軍や警察はIRA狩りを目的に一般住宅を頻繁に襲った。

紛争の激化を受けて自治政府は、裁判なしに任意の者を任意の期間にわたって収監できる非常拘禁法「インターンメント」を立案、英国の承認を経て71年夏に施行した。これにより活動家、それととばっちりを受けた一般市民の計2000人あまりが英国の運営する「収容所」に送られた。インターンメントにはリパブリカン=カトリックに対するユニオニスト=プロテスタントの反発をなだめる目的があり、主にIRAやそれと交流があると見られる者がターゲットになった。
アダムズは72年に収監された。脱走を企てたり釈放されたり、再び捕まったり移送されたりしながら、70年代の半分を北アイルランドの収容所の一つでありベルファストの南西14キロに位置する「ロングケシュ」、別名「女王陛下の監獄(ルビ:ハー・マジェスティーズ・プリズン)」略称「迷路(ルビ:メイズ)」で過ごした。当時アダムズはシン・フェイン党員であり公民権運動の活動家だが、IRAだったかどうかは諸説ある。

インターンメントは国内外から広く批難されたうえ、IRAの報復やそれに対するユニオニストの報復を引き起こして紛争をエスカレートさせてしまい、やがて廃止されたが、その裏で拷問による自白をもとに通常の審理手続きを欠いて行なわれる有罪決定システム「特別法廷」も試されており、廃止されたインターンメントに代わって用いられるようになった。インターンメントには裁判がなく、活動家は単に敵として収監されるが、特別法廷では名目上の裁判を経て、活動家は犯罪者として収監される。いずれにせよ、法とそれに伴う収監決定の手続きはブラックボックス化する。収監者らの直面したインターンメントや特別法廷の恣意的な収監の不条理は、国家と法の根源的な不条理を剥き出しの形で表すものだったとも言える。
国家が活動家を捕まえるとは、現存しない他の国家と戦争して捕虜をとることと原理的には等しい。北アイルランドで収監された活動家らも自らを「政治犯」とし、戦争捕虜と同等の待遇を主張した。72年、自治政府を廃止して直接統治に乗り出した英国は、IRAとの停戦交渉の手段として、収監者に「政治犯待遇」を認めた。一般の刑事犯とは違って仲間との交流や私服の着用が認められ、、懲役はなく、差し入れや通信や接見の規制も比較的緩い。アダムズは持ち前の文才を生かし、規制をかいくぐってリパブリカンの新聞に寄稿したり、活動方針を仲間と議論しては獄外に影響を与えることができた。しかし法手続きが恣意的なため、いつ釈放されるかはわからない。一般刑事犯の受けられる減刑もない。家族が離散する者もあった。懲罰として一般刑事犯待遇に変えられたり、嫌がらせ目的の身体検査をされることもあった。

プロパガンダになれないアダムズの文学

この獄中経験を、アダムズは獄中記『十一号棟』(1990)や自伝『夜明け前』(1996)に綴った。また、短編集『ストリート』(1993)には、彼と同房の活動家らをモデルに、ロングケシュでの政治犯待遇下の生活を描いた掌編「ハツカネズミと人間」が収録されている。今号では、この「ハツカネズミと人間」を紹介したい。

前回は同じく『ストリート』から、ベルファストに住むリパブリカン=カトリックの青年活動家とユニオニスト=プロテスタントの労働者の交流を描く「モーンの山々」を紹介した。この短編の中でアダムズは、我々は皆同じ土地に住む以上は同じアイルランド人だ、力を合わせて英国を追い出そう、と無邪気に呼びかける青年の言葉の届かないユニオニストのアイデンティティに言及し、同時に青年の信じる「我々」リパブリカンのアイデンティティの不確かさを露呈させてしまう。北アイルランド問題を階級闘争に位置付けるリパブリカンのアダムズは、ユニオニストにとってこの紛争はむしろ宗教戦争の意味合いが強く、リパブリカンにとっての闘いとは別の闘いだと気づき、ユニオニストの信念に理解を示してさえいる。リパブリカン政党の党首たるアダムズのなすべきプロパガンダにとっては余分な表現だ。彼はプロパガンダに失敗しながら、北アイルランド問題の諸矛盾を文学ですくい取った。特定の集団の政治的主張を代弁するよりも意図的に立場の区分を混乱させる北アイルランド文学が80年代から90年代にかけて増えている、との研究がある。「モーンの山々」は、意図的か否かはともかく、それらの潮流の一つでもあるだろう。

「ハツカネズミと人間」についても同じことが言える。語り口は親しみやすくてユーモラス、逆境にあって士気盛んな仲間たちが繰り広げるドタバタ劇だ。彼らは英国による恣意的な収監の不条理さに抗うように、収容所内で独自の規律を維持し、自分たちの理想とする法と刑罰決定のあり方を模擬裁判の形で現出させようとする。一見プロパガンダ作品のようだ。しかし、登場人物らの規律と法の公正さへのこだわりはプロパガンダの範疇を超え、明らかに過剰で、不自然さすら漂わす。彼らの過剰な努力は、彼ら自身の制定する規律や法には抑えきれないほど強く根深い焦燥と怒りの裏返しだ。彼らを認めず、彼らの認めない現行の英国の法に代わって彼らが作ろうとするまだ見ぬ国家の法に対してさえ、一抹の不信が描かれる。彼ら自身を含む根源的な不条理が、10ページほどの物語全体を流れている。アダムズは「善」と「悪」の二元的な構図に基づくプロパガンダをまたしても無効化させてしまう。

ネズミが落ちてきた

重苦しい話になったが、題材は1匹のネズミだ。タイトルはスタインベック『ハツカネズミと人間』にならったものだろう。物語は語り手のよもやま話のように始まる。このように「今ここにはいないがよく知っていた人物」のうわさを披露する語り口はアダムズの持ち味であり、アイルランドの口承文化の伝統でもある。

 ヒュー・ディーニーに言わせりゃあ、ネズミだって公正に扱われる権利がある、とさ。ヒューは万事こんな調子だった。すべてに対して慎重で、冷静で、公正な判断を下す奴だったんだ。ただし女となると——まあ、その話は今度にしよう。
 ある朝ヒューが朝飯の粥を食べていると、ネズミが彼の上に落ちてきた。彼の上に落ちてきた、というのは文学的表現だよ。材木を並べて作った天井がそのまま屋根を兼ねているようなのがあるだろう? 政治犯収容所のそういう天井の材木から、そいつが落ちてきたわけだ。鈍い、湿った、ボチャンという音をたてて、そいつはヒューの粥の椀に落ちてきた。幸いなことに粥は冷めていた。まあ、収容所の飯はいつも冷めてるもんだ。
 「俺の粥ん中にネズミがいる!」ヒューは叫んだ。

親しい者に語りかける様式のため、物語の舞台や背景は詳しく語られない。獄中記『十一号棟』や自伝『夜明け前』、当時の資料を参考に、軽く説明を加えたい。 
 
物語の舞台ロングケシュはもともと第二次大戦中に作られた英国空軍基地で、「ニッセン式兵舎」と呼ばれるカマボコ型のプレハブ(本記事冒頭の写真参照)が並んでいた。この兵舎はインターンメントで大量摘発した活動家を収監する目的で1971年に改築され、収容所となった。この短編の登場人物らは73年から75年頃の収監者と思われる。ロングケシュは2000年に閉鎖、2016年に解体され、一部は平和記念センターとして現存する。立地は泥炭地で、脱出用のトンネルを掘ると泥水で難儀したらしい。

政治犯は一つの房につき30人から50人で共同生活していた。カトリック=リパブリカンという以外、年齢も経歴もばらばらだ。彼らは「ハット」と呼ばれる7×36メートル程の細長い房にぎっしり並んだ2段ベッドで寝起きする。雨漏りや隙間風がひどく、暖房も効かない。房は夜九時に施錠され、朝7時半に解錠される。この寝室の他に多目的室があり、勉強や討論に使われた。テレビ、ラジオがあり、新聞も手に入った。収容所の食事とは別に差し入れの食料を保管する食料庫と、電気ポットなどの簡単な調理器具があった。私服を着用でき、洗濯や掃除も自分たちでやった。獄中記には、鳩や昆虫を飼ったり鉢植えの植物を育てたり壁に絵を描いたり、蒸留酒を密造するエピソードがある。

いくつかの房が集まって「ケージ」と呼ばれる棟となる。棟の外に出る際は検問所を通り、看守の付き添いが要る。棟同士は行き来できない。アダムズらリパブリカン=カトリック系の政治犯は、一般の受刑者や少数のユニオニスト=プロテスタント系の政治犯とは接触のないように分けられていた。棟の外にグラウンドや面会室、医務室がある。シャワー室もあったが収監人数に対しては不足で、給湯設備もいかれていた。随所に見張り塔があり、収容所全体を金網が囲っていた。脱走や暴動の計画を防ぐために不定期に部屋替えがあり、持ち物検査も行なわれた。近くを幹線道路が走っており、車の音が聞こえたという。建築物としては堅固ではないが、看守や武装した英国兵らが常に見回っており、夜間はサーチライトが煌々と照る、欧州でも有数の厳重な収監施設だった。

北アイルランドの獄中闘争としては、ハンガー・ストライキや、囚人服の支給を拒否しての毛布のみの着用、排泄物を壁に塗る抗議運動が知られているが、後述のようにそれらは主に待遇が変わる70年代末以降のもので、この物語はその前段階だ。

話をネズミに戻そう。ネズミは病気を媒介する生物だ。ヒューはただごとならぬ悲鳴をあげる。仲間たちは冷やかし気味に眺める。

「わお、とりあえず肉だぞ」誰かがにやにやした。
「ほうら、皆も欲しくなるじゃないか」OCが愚痴った。
「ネズミ肉は苦手だな」クリーキーが唸った。
「生きてるやつだ」ようやく口がきけるようになったヒューはもごもご言った。彼はまだ両手で椀を握りしめていた。
「そいつを殺せ」ヒューの親友、ジェリー・スケリーが叫んだ。
「そいつを殺せ」OCが命令した。
「そいつを殺せ」合唱が湧き上がった。

OCと呼ばれているのは軍隊用語で司令官を表す「オフィサー・イン・チャージ」、房の責任者を指す。房の責任者の上には棟の責任者がおり、更にリパブリカン系政治犯全体の責任者がいる。収容所運営側の管理体制とは別の、収監者が独自に構築した組織系統だ。OCにはIO、「インテリジェンス・オフィサー」が付き、参謀的な役割を担った。OCは収監者らに選出され、生活の監督や諍いの調停、収容所当局との交渉にあたり、陰では脱走計画の指揮をとったり獄内外の情報網を統括する役割を担っていた。アダムズの短編からは、収監者らが収容所生活を後方基地での営巣と捉えていることがうかがえる。自分たちで定めた法と規律に基づく日常生活を維持することは、大量摘発を経て収監者らが編み出した独自の獄中闘争だった。

再びネズミに戻ろう。ヒューはいつもの冷静さを取り戻しつつあった。

「ネズミだって公正に扱われる権利がある」ヒューはネズミを庇った。
「殺せ!」ヒューに詰め寄りながらジョー・ライアンが叫んだ。
「俺はこいつを捕虜にしたんだぞ」ヒューは宣言した。
「捕虜だって!」ジョーは鼻で笑った。「そもそもが公平な闘いじゃあねえよ。だってお前はそいつに齧られてたかもしれないし、クソされてたかもしれないじゃねえか。捕虜だとさ! お前、非力なネズミが降伏したとでも言うのかよ」

収監者らに対する英国の論理が、ネズミに対するジョーの言い分に仮託されている。騒ぐ仲間たちを前に、ヒューはネズミに裁判を受けさせようと主張する。OCも渋々ながら認める。皆は呆れながら従う。夕方、房の全員が列席して裁判が行なわれる。この展開には、インターンメントや特別法廷など恣意的な収監制度へのアダムズの批判と理想がストレートに込められていることは想像に難くない。

OCは「事件」の概要と争点を整理する。我々にとって収容所は営巣地である。我々は、規律によって各自の健康と生活を維持しなければならない。よって害獣は駆除されなければならない。しかし、今回のネズミの駆除は公正さにもとると同志が申し立てる以上、我々は審議しなければならない、とOCは述べる。彼は房の仲間から判事と検事を選出する。判事にはネズミへの嫌悪感がそれほど大きくない3名が選ばれる。判事1名が非公開で行なう特別法廷とは違い、この法廷は合議審を採り、通常の裁判手続きに可能な限りこだわっている。検事はネズミの駆除を真っ先に主張したスケリー、弁護人はヒュー、被告はネズミだ。

「……次いで、被告人が弁護人の選任に関して異議がないかどうかはっきりさせておかねばならない」OCが言うと廷内に苦笑が広がった。「加えて、私は当法廷の皆さん全員に、公正かつ適切な礼節に基づいて審理が行なわれるように力添えをお願いするものである。この審理は捕囚となった敵の身分に即して軍事裁判である。判決は有罪、または死刑ーーあ、ええと無罪、または死刑の二択となるものであって、」彼は急いで言い直した。「控訴審はありません」

政治犯収容所の裁判劇

ここから、収容所という異様な状況にあって、「公正」をめぐりネズミ一匹の問題を大真面目に議論し模擬裁判に没頭する、いや、せざるを得ない人間とネズミのてんやわんやが悲喜劇の様相を呈する。
さっそく検事が冒頭陳述を行なう。検事はOCの提起した争点を受け、ネズミに対する個人的な愛着のあまり規律をないがしろにしているとしてヒューを批難する。

「ここで論議の的となっているものが一匹のネズミであるということは、単なる偶然に過ぎません。他のなんでも論議の的になり得たでしょう。たとえば、接見とか。我々には接見に関する規則があります。我々の規則です。看守の定めた規則とは違います。我々の規則は、我々の共同の利益のためにあるものです。もし、我々が気分のままにこれらの規則を破るとしたら、いったいどんなことになってしまうでしょう?」

誰かが毎日家族に会いたいからといって毎日接見したら仲間が困る、仲間の家族も困る、と検事は言う。「接見の規則」とは収容所の決めた接見人数の枠を収監者内で調整するための規則だろう。
収監者らは、英国と北アイルランド政府とに代わるまだない国家を新しく作ろうとしている。しかしこのままでは我々がいつの日か作るはずの国家はアナーキーになってしまう、と検事役のスケリーは警告する。これは我々自身の自治に関わる問題だ、全員の利益を追求するためには個人の好き嫌いを許さない。その責務を全員が負うのが自治だ、と彼は説く。

一方、ヒューは検事の論旨を全体主義的だと批判する。なんだか、我々が常々話題にしているスターリンみたいじゃありませんか? とヒューは言う。後発資本主義国の先発資本主義国に対する闘争はしばしば社会主義的主張を伴う。リパブリカンは、前述のように階級闘争など、社会主義的位置付けから民族主義の問題を闘うのを定石としており、左翼思想に親しんでいる。ちなみに、リパブリカンの社会主義は、共産主義国家・先進国の社会主義勢力・第三世界の植民地のどこと連帯するか、という問題で分裂を繰り返す。皆はネズミをトロツキストだのマオイストだのと言い始め、法廷に笑いが起こる。ヒューはすかさず追撃する。

「規則について重要なのは、どのようにそれを適用するか、ということです。規則の解釈のやり方こそが良い悪いの違いを生み出すのです。私は規則一般について納得がいかないのではありません。私はネズミに関する規則一般に反論しているのですらない。なぜ我々にはそれらの規則があるのか、私は知っていますし、受け入れてもいます。ですから、先ほど我が同志の語ったことはすべて無駄な話題に過ぎません……しかし、我々はただやみくもに規則を受け入れたり、従ったりしてはならないのです」

やみくもに規則に従うところに自治はない、とヒューは説く。問題を普遍化するスケリーと逆に、ヒューは「このネズミ」を話題にする。これが笑い事ではないことは皆もわかるはずだ、と彼は言う。その論はこうだ。

「このネズミが我々の間に落ちてきたのは事故によるものです。彼は侵入を試みてさえいませんでした。我々のうちの誰かに対して、彼が危害を加えようとしていたことを証明できるものはありません。我々の知るかぎり、我々の房に落ちてきたとき、彼は自分の仕事を、自分の居場所でやっているだけだったのです……彼はどんな罪で有罪とされるのでしょうか? ただネズミであるということ、それだけです。そして、彼がネズミなのは彼のせいではないのです」

自分の権利を自分の生地で主張して捕まった収監者らは、自らとネズミの境遇を重ねざるを得ない。アダムズはそれについては詳しく語らない。しかし判事をはじめ、模擬法廷全体がヒューの弁論に心を動かされた様子を見せる。
一方、なんとしてもネズミを殺したい検事役・スケリーは切り札を出す。

「弁護人は、ネズミがたまたま居合わせた罪なき者であり、なんとも不思議なことに偶然我々の真ん中に落下してきたのだと強弁して立証を終えてしまいました。立証は不十分です。それは、彼が意図的にネズミの素性を隠しているからに他なりません。このネズミは実はパラトゥルーパーなのです。彼は我々の上に屋根から落ちてきたのではなく、我々をめがけてパラシュートで着地したのです!」

この一見ナンセンスな言葉で法廷の雰囲気は異様なまでに一変し、「殺せ!」のヤジが飛び交う。「パラトゥルーパー」が比喩表現か文字通りの意味かは、もはや問題にならない。

落下傘部隊を指す「パラトゥルーパー」は、北アイルランド紛争において特別な意味を持つ。非武装デモに現れた英国軍のパラトゥルーパーが市民14名を射殺した1972年のブラディ・サンデー事件を筆頭に、各地のカトリック地区の制圧に際してはパラトゥルーパーが大きな役割を果たした。リパブリカンの活動家はカトリック地区への英国軍戦車の侵入を防ごうとバリケードを張り火炎瓶や爆弾で応戦したが、空からの急襲には為すすべがなく、多数の死者や収監者を出している。アダムズも紛争の激化した60年代末から収監前にかけて、バリケード内で生地の防衛に当たっていた。あたかも冗談のようなスケリーの弁論は、日頃の規律と忍耐、快活な振る舞いの下に押し隠された恐怖、死んでいった仲間の記憶、自らの境遇に対する強烈な怒りを呼び覚ましたのではないだろうか。アダムズはこれについても詳しく語らない。しかしスケリーの荒唐無稽な発言への反応が、彼らとアダムズ自身の内心を黙説法的に物語っていよう。ヒューすら絶句し、ネズミの入った箱を握りしめてうつむく。

判事らが別室で審議する間、法廷は休憩となる。ヒューはこの隙にネズミを逃がそうと決意する。法の「公正」に見切りをつけた瞬間であろう。「ついうっかり」彼はネズミの箱を床に落とす。箱は弾けるように開き、さてネズミが飛び出してきた。

 修羅場だったね。ネズミは傍聴席めがけて矢のごとく走り、その彼方にあるドア、そして自由へ向かって走った。喚き立て、悲鳴をあげる男たちが彼の逃げ道を塞いだ。ネズミは風を切って引き返し、ヒューのほうへと逃げ帰り、突然向き直ると、再び荒れ狂う男たちに向かっていった。ヒューは金切り声で応援した。
 騒音のせいで方向感覚を失い、ネズミは立ちすくんだ。もう一度向きを変えようと——いや、遅すぎた! 十号サイズのドクター・マーチンがネズミの上に迫った。乱暴に何度も踏みつけられ、ネズミはぺしゃんこになっちまった。

この描写の裏にあるのは、収監者ら自身の自由への渇望、また脱走に失敗して射殺された仲間へのアダムズの思いだろう。
怒り、暴れるヒューを皆で取り押さえているうちに判事らが戻ってくる。ネズミの死を知らない首席判事は、にこやかにヒューの主張を支持し、検事の扇動を退け、被告の無罪を告げる。しかし——

 ヒューは虚ろな目で彼を見つめた。それから空の箱を拾い上げ、何も言わずに部屋を出ていった。

ここで語り手は物語を終える。アダムズの短編集はこの一編を最後としており、全体に流れる落としどころのない感情をそのままに終わらせている。

アダムズの収監中に、収容所には大きな変化があった。強行策に振り切った英国が1976年春、政治犯待遇を廃止したのだ。廃止以前に収監された者はこれまでどおりの生活を続けられることになったが、士気を頼りにいつ終わるとも知れない収監期間を耐える収監者らにとって、単なる粗暴犯とされることは精神的打撃だった。また、北アイルランド問題が矮小化され、リパブリカン側が国際的な支持を得られにくくなる展開でもあった。アダムズの獄中記『十一号棟』は、政治犯待遇廃止を挟んだ1年あまりの収容所の雰囲気の変化を描いている。アダムズ自身は七七年に釈放され、やがてシン・フェイン党首となった。

一方「獄中闘争」の形式は、アダムズの描いた独自の法や規律による日常生活の維持からより過激なものへシフトした。ロングケシュでは70年代末から80年代にかけて政治犯の認定と待遇を求め、大規模なハンガー・ストライキが行なわれた。ハンストのリーダー格ボビー・サンズはアダムズの同房者だった。アダムズは獄外からサンズらと連携し、国内外の注目を引くことで北アイルランド問題の周知と英国の糾弾とを試みた。リパブリカン=カトリックの従来の武闘路線を議会戦術に変え、英国によって与えられた粗暴犯のイメージを解体し、政治犯としての主張をより伝わりやすく発信しようとした。アダムズの牽引した路線変更の裏には、ロングケシュでの経験と同房者らの記憶、ハンストで死んでいったサンズらへの追悼、むしろ弔い合戦の意志が込められていたと見ることもできよう。

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◾️「北アイルランド」は英国の定めた呼称でありリパブリカンはこれに異を唱えるが本稿では知名度を優先する。「リパブリカン」は「共和主義者」と訳されることもあるが、「南北統一アイルランド共和国主義者」であり、他国の共和主義とはニュアンスが異なるため訳さない。
リパブリカン、ユニオニストの政治的区分とカトリック、プロテスタントの宗教的区分の錯綜については『情況』2019年夏号拙稿で触れた。

◾️ジェリー・アダムズの引用は、The Street & Other Stories (Roberts Rinehart; New edition, 2000)より Of Mice and Men を底本とした(初版はBrandon, 1993)。
「自伝」への言及は Before the Dawn: An Autobiography,(Mandarin,1996)、「獄中記」は Cage Eleven (Brandon, 1990)に拠る。
写真はアルスター大学の運営する紛争資料サイトCAINより転載した。

◾️ジェリー・アダムズのプロフィール
1948西ベルファスト生まれ。1964シン・フェイン党及び周辺組織で活動開始。1967北アイルランド公民権協会参加。数年に及ぶ獄中生活。この頃から議会路線を呼び掛け、数十年かけて党を脱武力化し議会政党にする。1978シン・フェイン党副党首、1983-2018シン・フェイン党党首。1983-1992、1997-2011英国下院議員。1998-2010は北アイルランド議会議員兼任。1998の和平合意に至る交渉を担う。2011英国下院を辞し、アイルランド下院に選出。国際作家協会PEN会員。 

◾️山本桜子のプロフィール
ダダイスト。北アイルランド問題への興味から2000年と2001年現地に滞在。国際基督教大学卒業後、ファシスト党〈我々団〉団員。『メインストリーム』編集部。

(初出:『情況』2021年秋号)

【2020.5.13追記】このアダムズの収監自体が不当逮捕であったこと、収監中に二度にわたって脱獄を試み(て失敗し)た「罪」で収監期間が延びたのも不当であったことを英国最高裁が認めた。アダムズは「拘留命令に国務長官の署名がない」旨を突き、英国の土俵に乗ったピンポイントで3年前に裁判を起こしていた。
記事はシン・フェイン党の機関紙的存在であり、アダムズの獄中記『十一号棟』にもプロパガンダ的立場から言及している。本稿は、獄中記や獄中小説をプロパガンダではなく文学として扱おうと試みている。

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◾️関連記事:
シン・フェイン文学1──神様のついてない「我々」とジェリー・アダムズの小説
シン・フェイン文学2──ジェリー・アダムズの獄中小説
シン・フェイン文学3 ──ジェリー・アダムズの獄中文学とハンガーストライキ
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ジェリー・アダムズ2021年の挨拶

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