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(2020)シン・フェイン文学4──「内戦」

アイルランド島における英国の植民の歴史は長く、複雑な経緯を経て住民同士のあいだに根強い軋轢を残す。島南部の26州はおよそ百年前に独立しやがて現在のアイルランド共和国となったが、北部の6州は「北アイルランド」の呼称のもとに今なお英国に属する。この北アイルランドをめぐり、英国への帰属を求める支配層・プロテスタント系住民と、英国の撤退を求める被支配層・カトリック系住民との対立が公民権運動をきっかけとして60年代末に激化し、各々の準軍事組織や英軍をも交える「北アイルランド紛争」となる。政治活動家でありつつ運動の軋轢と矛盾を描いたジェリー・アダムズの作品を紹介する連載最終回。

政治活動の掬い得ぬ領域

本連載が紹介してきた政治活動家ジェリー・アダムズ(1948-)は、紛争下のカトリック地区のバリケード内でそのキャリアを開始したものの、投獄を経て議会政治にシフトし、英国の完全撤退とアイルランド全島を統べる共和国の樹立を目指すリパブリカン政党「シン・フェイン(アイルランド語で我々自身の意)」党を率い、自らの準軍事組織IRAを武装解除し、国際社会の共感を得るプロパガンダに注力することで90年代末の和平合意に尽力する一方、どうにもこうにもプロパガンダの役には立たないと思われる短編をしたためている。
若い日の作者をモデルとする活動家とプロテスタント系労働者の交流譚「モーンの山々」は「我々自身」のアイデンティティの虚構を暴く(本誌2019年夏号)。来るべき新国家運営の理想を胸に独自の法と規律を定め、なけなしの自治生活を実現しようと努める獄中の活動家らのドタバタ劇「ハツカネズミと人間の」は、「法の公正さ」の破綻を描く(本誌2020年冬号)。のちにハンストで落命する同房のIRAらを追悼しつつ獄中生活を振り返るエッセイ集は、語り手と登場人物の発話が叙述トリック的な「信用できなさ」を匂わせる(本誌2020年春号)。

現在アイルランド共和国では第二党、北アイルランドでは連立与党の大手政党となったシン・フェイン党の党首をアダムズは近年退き、現在は共和国の下院議員として、引き続き北アイルランドの奪還を求めつつも、格差問題やマイノリティの人権を巡って活動している。一方、アダムズ自身は否定するものの、彼の過去のIRAとの関与を疑問視する声は少なくない。
コロナ情勢下の5月、前述のアダムズの投獄を違法であったとする判決を英国最高裁が下した。投獄自体の是非を問うのではなく「拘留に関する書類に英国国務長官の署名がなかった」という、相手の土俵に乗って制度の穴を突く戦術が功を奏したものだ。一方、IRAと近しかった(かもしれない)彼の投獄を正当とする批判は残る。自らの過去を明らかにするようアダムズに求める声も当然ある。
しかし仮に彼がかつて何であったとしても、リパブリカン勢力およびカトリック系住民を代表する立場で和平交渉に参加したアダムズが「実はIRAだった」と公言すれば、和平自体に影響が出ることも考えられる。政治活動家としてのアダムズは、それが真であろうと偽であろうとIRAとの関わりを公言することもできなければ、かつての獄中の同房者を手放しで称賛することも、たとえしたくてもできないだろう。

このような、政治活動の切り捨てざるを得ないものの肯定は文学の領域だろう。ときに活動家の余芸とも非文学的プロパガンダとも批判されがちなアダムズの短編は文学にしか掬えないものの表出であり、アイルランド短編文学の特徴であるリアリズムに則りつつ、直接・間接を問わず彼が関わった人々と彼自身の声が虚構のうちに響く。

奇妙に平和な日々

短編集『ストリート』(1993)所収の「内戦」は、紛争の激戦地に住みながら「平穏な」人生を送ってきた老姉弟を彼らの視点で描く、一見極めて地味な作品だ。過去3回の連載ではアダムズ自身の波乱に富んだ半生に基づく短編を取り上げてきたが、今回は市井の人々の声に仮託されたこの一編を紹介したい。

 ウィリー・シャノンはもの静かな男だった。彼は姉のキャサリンとともに、彼らの生まれた家に住んでいた。ウィリーは七十三歳、キャサリンは七十五歳だった。彼らはそれぞれ、ベルファストの目抜き通りにあるかなり大きな店で勤め上げ、すでに引退していた。
 ウィリーはウールワース・デパートの店員だった。キャサリンはロイヤル・アヴェニューの洋品店の買付人をやっていた。その店で彼女は丸々ワンフロア──「シルクとレースのフロア」──を担当できたかもしれなかった。ブラッドショー氏自らがその地位を彼女にオファーしたのだ。しかし、知り合う人の全員に彼女が語る気取った言い草によると「結局そういうことにはならなかった」。また、彼女は当時、ベルファストに移住してきた一人の青年に、永遠のそしてはかない愛情を抱いていた。彼はプロテスタントで、キャサリンの家に下宿していた。彼女の記憶するところ、「本物の紳士」だった。自分とあの青年ロニーの写真を、彼女は二階の自分の部屋のどこかにずっとしまっていた。

この冒頭の数行から主人公らのプロファイリングを試みよう。ウィリーとキャサリンは北アイルランド随一の都市ベルファスト近郊に住むカトリック系住民だ(シャノンはアイルランドのカトリック系の姓である)。彼らはともに未婚のまま晩年を迎え、実家から出ずに二人で暮らしている。一見異様な境遇だが、20世紀半ばまでカトリック系住民の未婚率は高かった。多くは貧困のためだが、長く続いたのでもはや慣習となっていたとも考えられよう。二人はそれぞれ英国系の企業に勤め(ウールワースは1909年創業の英国資本のチェーン店、「洋品店」の店長の名であろうブラッドショーは英国起源の姓)、一店員として安定した終身雇用を得た。カトリック系住民の失業率が高いなか、ウィリーとキャサリンはかなり成功していたといえる。決して経営陣に食い込めるわけではなく、またそれを望んだりもしない。洋品店での昇級を経営陣から打診されるのは、たとえ実現しなくとも生涯自慢できる最高級の栄誉だ。つまり、主人公たちはカトリック系住民に不利な支配体制のもとで被支配層として懸命に働き、そこそこの安定を手にしつつ、なんらかの理由で家庭を持たなかった。

先祖代々そうしてきたように、あたかも永遠に続くかのような日常を送ってきた姉弟の狭窄な、しかし極めて自然な視点からのみ語られるこの短編は、三人称=「全能の語り手」の特権を放棄し、年月日や舞台設定の明記を意図的に控えている。かろうじて登場人物の台詞や実在した事件に関して言及されるテレビや新聞のニュースから、舞台が60年代末のフォールズ街──アダムズの生地であり、この連載でもたびたび登場し、北アイルランド紛争の激戦地となる西ベルファストのカトリック地区──であることがわかる。またこれらの言及を拾い集めると、ウィリーとキャサリンは1900年前後に生まれ、カトリック勢力の反英運動の機運となった1916年「イースター蜂起」、1919年「対英独立戦争」、その不幸な帰結である南北アイルランド分断をめぐり1922年に勃発した「アイルランド内戦」の頃に青春を過ごし、当時のままの生活を数十年続けて晩年を迎えたことになる。

60年代末以降の北アイルランド紛争において、カトリック系住民とプロテスタント系住民は一触即発の状態だった。しかしカトリック系のキャサリンの実家にプロテスタント系の青年ロニーが下宿していたという記述は、かつてあった住民双方の穏やかな交流を示す。キャサリンと恋人ロニーの破局の理由は語られないが、双方の宗派と密接に絡む政治情勢が影響していないとは考えにくい。配偶者に改宗を義務付けるカトリックの戒律も一因として考えられる。キャサリンの破局についてはのちに検証する。

アダムズはこのあとウィリーとキャサリンの穏やかな人生を淡々と綴る。早くに死んだ父親の代わりに一家の稼ぎ頭となった長男ウィリーは、ベルファストの目抜き通りにある大型雑貨店で働く。20世紀前半のベルファストは英国に属するおかげでアイルランドのダブリンよりも経済的・産業的に発展しており、都心部は華やかな活気に満ちていたことだろう。仕事が終わったらパブへ行く。ほろ酔いでバスに揺られ、郊外のフォールズ街に帰れば長女キャサリンと母親の用意した夕食が待っている。日曜は一家でミサに行き、幸せな食卓を囲む。下の弟は進学し、教師になって英国で所帯を持つ。同じく結婚して家を出た妹は酒飲みの夫に殴られるようになる。そうこうするうちに母親が死ぬ。ウィリーとキャサリンは同じ場所で同じ生活を続ける。二度の世界大戦も対英独立戦争もアイルランド内戦も、英国との複雑な関係の変遷も一切出てこない日々の描写が続く。こうして、二人は年を取っていった。

テレビがやってきた

退職の日を迎えたウィリーに、同僚たちは当時ベルファストの労働者の間では贅沢品だった白黒テレビをプレゼントする。

 彼は大喜びした。退職後の最初の数週間というもの、テレビの前とフォールズ公園を行ったりきたりして過ごした。その年、ベルファストの中心部ではなんらかのトラブルが散発しているようだった。ウィリーもキャサリンもあまり気に留めなかった。もしテレビがなかったら知りもしなかったことだろう。

ウィリーがテレビで見たという「なんらかのトラブル」は公民権デモと警察組織RUCの衝突だろう。プロテスタント勢力を優遇し、就職や住環境、参政権などさまざまな面でカトリック勢力を差別する北アイルランド自治政府のもとで長年暮らしてきた北アイルランドのカトリック系住民はアメリカや南アフリカの黒人解放運動に共感し、60年代、公民権運動に立ち上がる。運動の中心には当時十代のアダムズも参加した「北アイルランド公民権協会」があった。協会の組織する非武装デモは自治政府によって非合法とみなされ、RUCに暴力的な「鎮圧」を受ける。プロテスタント勢力は公民権運動によって活気付くカトリック勢力を恐れて攻撃した。ウィリーとキャサリンの視点によるこの短編は、このあたりの社会情勢の説明を意図的に省く。二人は数十年来と変わらない日常を繰り返す。しばらくして──。

 十月の最初の週、二人はツアーでローマへ行った。デリーの公民権デモをRUCが攻撃したという前日の事件をウィリーがテレビで見たのは、十月六日の夜、ローマでのことだった。彼は小さなバーにいた。ニュース番組の中で、妙にどこかで見たような気のする制服姿の人影が暴れ回っていた。彼は最初、それが何なのかわからなかった。

あたかも日付のない夜と昼を繰り返すかのように描かれるウィリーとキャサリンだが、ここで語られている「テレビのニュース」は現実にあった事件──1968年10月5日のデリーの公民権デモ事件の報道だ。北アイルランドの第二の都市デリーは被支配層であるカトリック系住民が人口の8割を占め、早くから公民権運動が盛んだった。デリーはそもそも17世紀初頭、植民者であるプロテスタント勢力を防ぐために建設された城壁都市で、住民間の対立の長い歴史は城壁という具体性を帯びて残る。数の上で劣るプロテスタント系住民がカトリック勢力に対して抱く恐れも強く、北アイルランド紛争における激戦地となった。デリーや西ベルファストのフォールズ街などのカトリック地区へ運動が拡がり、前述のようにRUCが「非合法」デモを「鎮圧」し、カトリック系住民の自警団的役割を担うIRAらやプロテスタント系住民の自警団的役割を担うUVFらが加わり、文字通り内戦の様相を呈し始めた時期である。
しかしツアーの楽しさは暗いニュースを忘れさせてくれる。ウィリーとキャサリンはローマを満喫する。

共有不可能な「物語」

数日後、フォールズ街の我が家に戻った二人がテレビを見ていると「デモのリーダーと北アイルランド政府の大臣」の討論番組が流れる。キャサリンはデモに対する怒りを露わにする。

「あの人たちはトラブルを引き起こすことにしか興味がないのね。物事は、あの人たちが言うみたいに悪くはないはずよ」キャサリンは鼻を鳴らした。
「どうかな、彼らは完璧にうまくやっているわけではないが」ウィリーは答えた。「誰かが我々の味方についてくれるというのは良いことだろう」
「彼らは私の味方じゃない」キャサリンは言い返した。「私、一人でも充分やっていけます。あの人たちは、あの人たちだけのために、あの人たちだけのことしか考えずにあれをやっているの。若い人たちは何もわからずついていく。そんな奴らの群れにこの私が助けてもらうですって? 百年早いわ」

ウィリーは戸惑う。彼らはついぞ政治的な議論を交わしたことはなかった。これまでの「政治的無関心」を反省するウィリーはテレビのニュースを題材にキャサリンと話し合おうとするが、キャサリンは会話を拒み、ニュースを見るのも拒む。
一見して「政治的に正しく目覚めた市民」と「啓蒙を必要とする市民」の対比を描く単純なプロパガンダだが、ウィリーの突発的な「政治的熱狂」はどこか滑稽に、キャサリンの頑なな「政治的無関心」は何事かを隠しているように描かれる。ウィリーはキャサリンがどうして家の外で起こっていることを避けるのか、理解できないことに気づく。キャサリンの怒りの裏に何が押し隠されているのかウィリーは知らず、読者も知らされない。しかし彼女の半生に関する冒頭の記述を思い返せば、おそらくプロテスタント系の恋人との破局と、未婚のまま生家を守り続けた彼女の生涯がなんらかの鍵となるだろう。

忘れてならないのは、自らについて語る言説は、対外的に発信されようとキャサリンのように沈黙のうちに処理されようと、すべて「信用できない語り手」によるということだ。人は物語を紡ぎ、捏造して自らを維持する。自らについて語る物語だけが自らの伴侶でもあるだろう。
この短編の力は、キャサリンの破局の原因が果たして政治的状況であったかどうかの確かな判断材料が提出されていないところにあり、市井の人々が(大概は沈黙のうちに)自らについて紡ぐ物語の存在──内実は知るよしもない、あくまでも存在──にある。政治活動家の筆による政治的状況を背景にした小説だからといってキャサリンの破局の原因が政治的状況であったと断定してしまえば、この短編は「歴史の波に翻弄された、政治に無関心で無力で善良な市民」を「政治的に目覚めた作者」が描く鼻持ちならないシニシズムと、市井の人々に寄り添うふりをしながら上から目線で政治参加を促す薄っぺらいプロパガンダに終わる。

仮に破局の原因が政治的状況ではなく、キャサリンの容姿だの性格だの、恋人の心変わりだのの(ある意味より悲惨な)何事かによるものだったとして、それを彼女が政治的状況であるかのように沈黙のうちにすり替えたとしても誰が咎められよう。仮に破局の原因が政治的状況であったとして、それに抗えなかった彼女がせめて経緯を能動的であるかのように自分の内で粉飾し、「幸せな結婚より生家を守ることを選んだ」という誇り高い自己犠牲の物語を捏造して晩年を迎えたとしても、仮に「不平等を我慢せず声を上げよう」という公民権運動の主張は昇級の断念も含めて我慢のし通しだった彼女の生涯を否定することだと彼女が受け取り激昂したとしても、笑えこそすれ咎められようか。ウィリーとキャサリンの間の亀裂とは、政治的に目覚めた市民と啓蒙を必要とする市民の差ではない。血族であろうと数十年をともに平和に過ごそうと仮に前近代的な土地に生まれ育とうと「各々の物語のすべてを共有することはできない」というおそらくは普遍的な断絶が露わになったまでである。

以前紹介した「モーンの山々」では、カトリック系活動家とプロテスタント系労働者のそれぞれの物語の共有可能性の崩れる瞬間が描かれた。前号で紹介した獄中記では語り手の「信用できなさ」が炙り出された。このように物語の虚構性を自覚していると思われるアダムズが、「内戦」を単純なプロパガンダとして書いたとは考えがたい。仮にプロパガンダとして書いたならば、プロパガンダとして失敗だ。
政治活動の仕事は「大きな物語」の捏造と流布である。アダムズが自らの加担する「我々自身(ルビ:シン・フェイン)」の物語の不確かさに自覚的であったことは「モーンの山々」に表れている。60年代末当時の公民権運動にも参加していたアダムズの、自分たちの活動が必ずしも市井の人々の幸せに寄与しないばかりか彼らの生き方を否定し彼らの「小さな物語」を壊すこともあり得るという自省と、でもやるのだという決断とを「内戦」に見ることもできよう。それは50年前の北アイルランドだろうと現代の日本だろうと活動家だろうと何だろうと、すべての「語り手」が経ざるを得ない葛藤だろう。

ウィリーとキャサリンに戻ろう。情勢の悪化とともに、彼らの諍いは日増しに激しくなる。RUCがデモ参加者を撲殺した事件を報じるニュースを目にしたキャサリンは、「あなたの大好きな活動家連中はさぞご満足でしょうね」とウィリーに言う。声さえ上げなければ、活動家が扇動さえしなければ、こんなことにはならなかったのだ。彼らがささやかな安定を手に入れられたのは、北アイルランドが先進国・英国に属していたからでもある。多少の不公平があろうと生きてこられたではないか。ウィリーはやり場のない怒りを抱えてパブへ行き飲んだくれる。この、英国とプロテスタント勢力の経済的・文化的恩恵にあずかりつつ差別されるカトリック系住民の複雑な立場はジェイムズ・ジョイスをはじめアイルランド文学の中で繰り返し描かれている。
結局、家の中では政治の話は禁句となり、平穏な日常が回復される。しかしそれは彼らが維持してきた生活と同じく欺瞞的だ。耐えられなくなったウィリーはパブに入りびたり、酔った勢いで鬱屈をキャサリンへの軽蔑に変えてぶつける。

 彼を静かに待つ家の中にウィリーは夜遅く、騒々しくおぼつかない足取りで、よろめきながら入ってきた。彼は、自分がキャサリンに対してどんなに力を行使できるか、酔っ払いなりのしたたかさで把握した。彼は彼女に対する嫌悪をぶちまけ、その侮辱に対して彼女が突きつける沈黙の拒否に刺激されて、さらに怒りを爆発させた。
 次の日彼は叱られた子供のようになり、彼女を喜ばせようと家の細々した雑用をあれこれやるのだった。彼女の気分は意に反してゆっくりと和らぎ、家の中はほんのしばらく昔に戻ったようになる。そんな時には、テレビのニュースでさえ二人の仲を割けなかった。外部のものに彼らの関係を壊させないよう、彼らが非常な努力をするからだった。しかしそれも、そこらじゅうで渦巻く日常的な欺瞞の一つだった。塹壕に身を潜めるようなものだった。こういう停戦はまれであるばかりか、長くは続かないことを彼らは知っていた。

このような生活が3年ほど続いたある冬の日曜、小康状態にある二人がテレビの映画番組を見ていると、不意に速報が流れ始める。3年前にローマのバーで見たニュースと同じように、デリーで起きた事件に関する報道だ。しかしそれは更に悲惨になっていた。

 二人は凍りついたように座っていた。最初に口を開いたのはキャサリンだった。
「ごめんなさい、ウィリー」
「へえ、姉さんは拍手喝采するんじゃないのかね」彼は声を張り上げた。
「それこそ姉さんの、現実から目を背けてきたご大層な人生そのものだよな。くそったれ英軍が俺たちの仲間を犬ころみたいに撃ち殺しているというのに、ごめんなさいと来たもんだ。いったい、何について謝っているんだ? どうせ何も間違っていないだろ」

報道されているのはデリーのデモ隊に英軍のパラシュート部隊が発砲し、デモ参加者14名を射殺した1972年1月30日「血の日曜日事件」だ。3年が過ぎる間に、カトリック勢力とプロテスタント勢力の対立の歴史的な黒幕ともいえる英国が鎮圧の名目で北アイルランド各地の市街地に進軍し、紛争は更に激化していた。非武装の市民を軍が虐殺したとして世界的な注目を集め、ジョン・レノンやU2らの題材にされたことで更に知られるようになったこの事件は軍側の偽証に基づき英国の法廷では不問に付されたため、カトリック勢力の反英感情に油を注ぐこととなった。ウィリーのキャサリンへの批難は、プロテスタント系住民による支配体制の下で英国に属しつつ事なかれと生きてきたカトリック系住民を、英軍の介入を招き悲惨な状況を呼んだとして断罪するものだろう。しかしアダムズはウィリーの批難を啓蒙としてではなく、理不尽な状況への理不尽な怒りとして、それゆえに救いのないものとして描く。
このあと、ウィリーと言葉を交わさないままキャサリンは死ぬ。一人になったウィリーは政治集会に奔走し、数ヶ月後に死ぬ。かつて数ページを費やして描かれた平穏な日常に比して、これらの描写はたった数行で行なわれる。

押し隠された「内戦」の記憶

この短編のタイトル「内戦」は一義的には晩年のウィリーとキャサリンの家庭内での諍いを表す。しかし同時に、その諍いは彼らの青春時代に起こった対英独立戦争と、その不幸な帰結である北アイルランド分離の是非を巡ってカトリック勢力内で争われたアイルランド内戦の小規模な焼き直しでもある。政治情勢に触れずに描かれるウィリーとキャサリンの一生が実は政治情勢に規定されていたことは先に述べた。最後に、本来同志であるはずのカトリック勢力内で起こった「内戦」の歴史について概観したい。

第一次大戦開戦を受けて、当時まだ英国から独立していなかったアイルランドのカトリック勢力は英国に兵力を提供するかどうかで揉める。英国の庇護の下で自治国家として安定した地位を得るために提供すべきだという現実派と堅固な反英派が争い、後者が支持を得る。反英派の一部は1916年に武装蜂起し英国に対し一方的な独立を宣言するも即座に処刑される。この「イースター蜂起」はカトリック勢力の反英感情に火をつけ、シン・フェイン党が躍進し、1919年、ダブリンに独自の議会を設置し「アイルランド共和国」の樹立をまたも一方的に宣言し、即座に英国の反撃を受けて戦争となる。この対英独立戦争は1921年の英愛条約に帰結する。条約には、アイルランドの独立を認めるものの北アイルランドを英国の一部として残す条項が盛り込まれていた。条約の締結をめぐり、条約賛成のいわば現実派と南北分断を認めない非妥協的な反英派の間で独立戦争以上の死者を出す内戦が勃発し、やがて前者が勝つ。22年には北アイルランドを含まない「アイルランド自由国」が成立するが、同時に英国に残留した北アイルランドのプロテスタント支配体制が確定した。ウィリーとキャサリンの一生はこのような政治情勢に規定され、その軋轢は彼らの晩年、北アイルランド紛争として表面化した。この短編は物語の共有不可能性という普遍的問題を提示しつつ、二人の一生を歴史的な内戦とそれに至る独立戦争の回帰として描いている。
短編の最後に登場する72年冬「血の日曜日事件」には先行する同名の出来事がある。英国側に身を投じたカトリック勢力内の14名をかつての同志が粛清し、報復として英軍がフットボール競技場に装甲車を乗り入れ、市民14名を虐殺した1920年冬の日曜日の事件だ。

同志の間で起こる内紛、分裂、裏切りの悲惨さ、不条理さは政治活動の「大きな物語」に組み込みにくく、リパブリカン=カトリック勢力内では語られにくい。短編「内戦」はシン・フェイン党党首として同勢力を代表してきたアダムズが、間接的に「我々自身(ルビ:シン・フェイン)」の過去のタブーに言及する試みだったともいえよう。それはやはり文学の領域でしかなし得なかった。

(了)────────────────────────────────
◾️ジェリー・アダムズの引用は The Street & Other Stories (Roberts Rinehart; New edition, 2000)より Civil War を底本とした。
獄中短編集『十一号棟』への言及は Cage Eleven(Brandon, 1990)に拠る。
 
◾️本連載をお読みいただいたかたからアイルランド問題に関する書籍を問われたので日本語で読めるものをいくつか記す。山本正『図説アイルランドの歴史』(2017, 河出書房)は英国対アイルランドの単純な図式化を避け、国際社会との関連でアイルランド史を描く。鈴木良平『IRA 第4版増補』(1999, 彩流社)はシン・フェイン党らリパブリカン≒カトリック側の主張と分裂の歴史を仔細に、状況が変わるごとに増補を繰り返し描く。同じく鈴木良平の訳によるリチャード・キレーン『図説アイルランドの歴史』(2000, 彩流社)は簡潔な文体と、同名の前掲書よりもリパブリカンに肩入れした視点で問題を描く。松井清『北アイルランドのプロテスタント』(2008, 彩流社)はリパブリカンに比して語られることの少ないユニオニスト≒プロテスタント側の事情と主張を検証し、そもそも何をめぐる闘いかの認識が研究者や紛争当事者の間でも異なることを示す。小関隆『アイルランド革命』(2018, 岩波書店)は20世紀初頭の活動家3人を通し、彼らの参戦したボーア戦争からアイルランド独立運動を書き起こす。デクラン・カイバード著・坂内太訳『アイルランドの創出』(2018, 水声社)は、アイルランドを「〇〇でない」の否定形をアイデンティティに変換して国家をつくるアクロバティックな人工性ゆえに近代国家とは何かという問いを体現してしまうものとして十九世紀末から描く。高橋哲雄『アイルランド歴史紀行』(1995, 筑摩書房)は多様な話題からアイルランド史を遡り、文庫版ということもあり読みやすい。

◾️「北アイルランド」は英国の定めた呼称だが本稿では知名度を優先する。
「デリー」の現在の正式名称は英国の定めた「ロンドンデリー」だが、知名度と照らし合せて優先するに値しないと判断しこれを斥ける。
「リパブリカン」は「共和主義者」と訳されることもあるが、「南北統一アイルランド共和国主義者」であり、他国の共和主義とはニュアンスが異なるため訳さない。

◾️ジェリー・アダムズのプロフィール
1948西ベルファスト生まれ。1964シン・フェイン党及び周辺組織で活動開始。1967北アイルランド公民権協会参加。数年に及ぶ獄中生活。この頃から議会路線を呼び掛け、数十年かけて党を脱武力化し議会政党にする。1978シン・フェイン党副党首、1983-2018シン・フェイン党党首。1983-1992、1997-2011英国下院議員。1998-2010は北アイルランド議会議員兼任。1998の和平合意に至る交渉を担う。2011英国下院を辞し、アイルランド下院に選出。国際作家協会PEN会員。 

◾️山本桜子のプロフィール
ダダイスト。北アイルランド問題への興味から2000年と2001年現地に滞在。国際基督教大学卒業後、ファシスト党〈我々団〉団員。『メインストリーム』編集部。

◾️写真は1922年アイルランド内戦時のダブリン。英愛条約に反対する反英派と、これを締結し北部6州抜きでアイルランド自由国の発足を是とする自由国派が交戦する。資料サイトIrish Historyより。

(初出:『情況』2021年秋号)──────────────────────────────────
◾️関連記事:
シン・フェイン文学1──神様のついてない「我々」とジェリー・アダムズの小説
シン・フェイン文学2──ジェリー・アダムズの獄中小説
シン・フェイン文学3 ──ジェリー・アダムズの獄中文学とハンガーストライキ
ジェリー・アダムズ2021年の挨拶
シン・フェイン文学スピンオフ上映企画by異端審問: フィルム=ノワール研究所

◾️おまけ。米大統領就任式のサンダース画像で遊ぶ直近のアダムズ。

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