(2019)シン・フェイン文学1──神様のついてない「我々」とジェリー・アダムズの小説
プロパガンダになりきれない文学の背景
この面白さを読み解くためには、それが書かれた背景、北アイルランドの歴史を知る必要がどうしてもちょっとある。「だいたい英国が悪い」で済ますこともできなくもないが、少しだけお付き合い願いたい。
数百年前、英国はアイルランド島に入植者を送った。入植者の多くはプロテスタントである一方、アイルランド島はほぼカトリックだ。アイルランド島の大部分は第一次大戦後に独立を果たしやがて「アイルランド共和国」となるが、北部6州は「北アイルランド」の呼称のもと引き続き英国領となり、英国の傀儡政権としての自治政府が設けられた。カトリックは政治に介入できず、劣悪な生活を合法的に強いられた。こうして北アイルランドは、英国を撤退させアイルランド共和国と統合したいカトリック=「リパブリカン」「ナショナリスト」と、カトリックの勢力拡大を恐れ英国に帰属させておきたいプロテスタント=「ロイヤリスト」「ユニオニスト」の、血で血を洗う紛争の舞台となった。アダムズはこの紛争に終止符を打つべく尽力した。
1998年、根強い対立を抱え、しかも双方とも一枚岩とは言えない両陣営の間に和平合意が成立した。しかし近年の英国のEU離脱の動きに伴い、宙吊りにされている北アイルランドの処遇が再び問題となっている。アイルランド共和国はEUを離脱しない。自らを共和国の一員と規定する北アイルランドのカトリック=リパブリカンらは、当然、英国と一緒にEUを離脱させられることを潔しとしない。
ところで、自伝のタイトルにあるフォールズとは、アダムズの生まれ育った西ベルファストにあるカトリックの労働者地区である。すぐ近所にプロテスタントの労働者地区・シャンキルがある。このあたりは、北アイルランドの中でも最も激しい市街戦の繰り返し行われた地域だ。
入植の先陣、16世紀のクロムウェルや17世紀のオレンジ公ウィリアムがアイルランド島各地を攻め落としたが、それらの記念日は北アイルランドのプロテスタントにとって大切なお祭りだ。アイルランド侵攻のその日からこんにちに至るまでカトリックに包囲されて暮らす彼らは「オレンジ会」と呼ばれる伝統的な結社をつくり、勝利を祝して毎年パレードを行う。彼らの行進がカトリック地区を通り、彼らのマーチが一帯に響く。日頃から自分たちの境遇に納得のいかないカトリック住民にとっては耐え難い日だ。パレードの日は暴動が起こりやすい。冒頭の台詞は、そのような日にフォールズの老人がつぶやいた言葉を傍らで聞き、後に活動家となったアダムズが振り返って書きとめたという設定の言葉だ。
この短い台詞は強い印象を残す。「カトリック」「プロテスタント」という宗教的な分類のもとに闘われてきたものの必ずしも宗教上の教義の違いに還元されるわけではない北アイルランドの紛争や、「あいつら」に対して示されうる最大限の理解や、「神様のついてない」しかしめげない人々について、考えさせずにはおかない何かがあるからだ。
さて、本題のアダムズについて、その背景にある北アイルランド紛争の詳細にも更に踏み込みながら経歴を辿ってみよう。
ジェリー・アダムズは1948年、カトリックの土木工の家庭に生まれた。当時ベルファストの労働者層、とりわけカトリックは住宅不足や失業に悩まされていた。北アイルランド自治政府は「持ち家なしには投票権はない」という法律を設け、議会制民主主義の建前を維持しつつ合法的にカトリックの政治参加を阻止した。警察組織RUCも入植者の影響下にあるので、抗議しても弾圧されるだけだ。アダムズ少年は自然にこの政治体制に疑問を持ち、目前の住宅問題の改善運動などを通してリパブリカン組織「シン・フェイン党」の活動家となっていく。
60年代末、北アイルランド版の公民権運動の時代。米国や南アの黒人解放運動に共感したカトリックの公民権運動は例によってRUCに「鎮圧」されてしまうが、同時代に世界のあちこちで展開されるさまざまなマイノリティの闘争に鼓舞されていた彼らは引き下がらず、カトリック住民の自警団的役割を担うIRAらがRUCを攻撃した。一方プロテスタントは「公民権」の美辞麗句のもとに増大するカトリックの勢いを恐れ、プロテスタントの自警団的役割を担うUVFらはカトリック住民を攻撃した。収拾が付かなくなったところで英国が軍を投入し、更に収拾が付かなくなった。アダムズの西ベルファストは戦場となった。彼の別の自伝『夜明け前』はこの時期の、ゲバラの自伝を参考に火炎瓶を試作したり、飛んできた釘爆弾をキャッチしてご主人に見せに来た犬と飼い主が共に爆死したり、ストレスでいかれたIRAが歌いながら英兵の前に飛び出したりするバリケード内の生活を描いている。
裁判なしに任意の者を好きなだけ拘留できる北アイルランドの曰く付き制度によって投獄されたアダムズは、70年代の半分以上を獄中で過ごす。もともと機関誌の編集をしていた彼は(複数の偽名を使い、自分の記事に批判文を寄せて活発な議論を捏造したという)、武装闘争よりも議会作戦や国際世論のための宣伝が重要だという意見を獄外に発信し、やがてシン・フェイン副党首、ついで党首となり、カトリック勢力内の穏健派政党、プロテスタント=ユニオニスト諸政党、アイルランド共和国政府や英国政府らとの交渉に当たる。暗殺されかけながらも英国下院議員に選出、それを辞職して今度はアイルランド共和国下院議員となり、現在もその任期を務めている。
アダムズの「脱・武装闘争」路線は幅広く支持を得て、和平合意への道を整えた。長年IRAの政治部門という位置付けだったシン・フェイン党は、彼の代でIRAから公式に切り離された。これにより彼はリパブリカン内部から裏切り者と非難され、IRAの一部は武闘路線を継続する過激な分派となる。一方、さんざん爆弾をくらわされたプロテスタントや英国にとっては、活動中の諸分派もすでに武装解除したIRAもアダムズも一括りに「テロリスト」である。今春日本でも公開された映画『ザ・フォーリナー』(2017, 英中米)には、暴走するIRA分派と交渉相手・英国との間で板挟みとなる、アダムズそっくりな風貌の元IRA・現北アイルランド副首相が登場し、アダムズの難しい立場を端的に表している。本人はと言えば自分(にそっくり)の役をボンド俳優ピアース・ブロスナンが演じたことにご満悦な様子で、「こんなにかっこいいブロスナンは初めて」と述べている。
アダムズは前述の『フォールズの思い出』、獄中記『十一号棟』、短編集『ストリート』、80年代初頭までの活動録『夜明け前』、その他十冊を超える政治論集など、多数の著作を上梓している。最新作『交渉人の料理本』には和平合意に関するエッセイとお気に入りのレシピが載っている。この本を見て作った豚とアンズの謎カレーを自分の仲間に供したところ、変わった味ですねと言われた。最近のアダムズは持ち前のユーモアをSNSで発揮しているようだ。
「我々自身」、シン・フェインとは?
ところで、シン・フェインとはそもそも何だろう。
「Sinn Féin」は「We Ourselves」「我々自身」を意味するゲール語だ。リパブリカンはゲール語を「アイルランド語」と呼び、よく使う。アダムズの料理本も対訳付き、SNSにもゲール語が散見され、「闘争勝利」的な掛け声にもゲール語が使われる。しかしシン・フェイン党、ひいてはリパブリカニズムは、アイルランド人のアイデンティティをゲール文化に求める一枚岩の民族主義ではない。
シン・フェイン党は20世紀初頭に結成された。やがて彼らは、反英組織「アイリッシュ・リパブリカン・ブラザーフッド」が武装蜂起し「共和国宣言」を発令することによって数日間だけ存在し(すぐ「鎮圧」され)た幻の「アイルランド全島の共和国の暫定政府」の後継者を自任することになる。北アイルランド問題の文脈で使われる「リパブリカン」はこの「ありうべき共和国」の一員たることを指している。アダムズの直面した武闘路線と議会路線の対立を同党は何度も経た。加えて「民族主義か」「国際社会主義か」、後者の場合の連帯先は「第三世界諸国か」「西欧先進国の社会主義勢力か」と分裂を繰り返してきた。それぞれが「シン・フェイン」でありリパブリカンを自任していた。このように、「我々自身」の「我々」は内実の定められたものではない。
もう少し遡ろう。「アイリッシュ・リパブリカン・ブラザーフッド」は、18世紀の反英組織(で、すぐ「鎮圧」された)「ユナイテッド・アイリッシュメン」の後継者を自任している。ところがその「ユナイテッド・アイリッシュメン」は、英国からの入植者の家系のプロテスタントで、ロイヤリスト結社オレンジ会員「オレンジメン」たちである。英国本国に対しては弱い立場にあった彼ら入植者は、本国の利になるよりもむしろアイルランドのカトリックと一緒に独立国家を作ろうとしていた。
前述のゲール語とリパブリカニズムについても似た構図だ。英国の支配を脱するためにアイルランド人のアイデンティティを構築する意図のもと、リパブリカニズムと連動して十九世紀末に起きた文学運動「ゲール語復興」において、主力は英国出身の文学者だった。
このように、「カトリック」「プロテスタント」という宗教的な分類で語られてきた北アイルランド問題は、必ずしも宗教上の教義の違いに還元されうる対立ではない。そしてカトリック=リパブリカンの旗印・ゲール語も、アイルランド人のアイデンティティも「我々自身」も、客観的に見ればどこか人工的なのだ。
この人工性は仮に自覚されればモダニズム文学の得意分野だろう。のみならず、人工でなにが問題だ、我々のアイデンティティはでっち上げだ、我々はでっち上げのために闘うのだ、と叫ぶ政治活動すらモダンの果てにはありうる。もしかしたら、ユナイテッド・アイリッシュメンやゲール語復興運動の担い手の英国出身者らにはそういう人工性の自覚があったかもしれない。しかしアイルランド・北アイルランドのリパブリカン運動は、全体としてその人工性を主張する道を辿らなかった。
「あいつら」への理解と「我々」の揺らぎ
アダムズの短編小説集『ストリート』は、北アイルランド紛争を舞台に人々の暮らしを描いたリアリズム短編集だ。不遇な人生の末ようやく手に入れた職を愛するあまり、旧友の浮浪者に冷淡な態度をとってしまう警備員を描いた表題作『ストリート』、政治情勢に背を向けて穏やかな生活を維持してきた老姉弟がテレビを貰ったことで紛争の報道に触れ、互いの長年のわだかまりが噴出する『内戦』、自分自身は裁判を受けさせて貰えない政治犯らが収容房に出没するネズミの処分を巡ってグダグダな模擬裁判に真剣に興じる『二十日鼠と人間の』など十八篇が収録されている。ある批評サイトはこの本を「プロパガンダ」と評する。主人公のほとんどがカトリック、しかも好ましい印象を与える人物であることを考えればそう言われても仕方ない。しかしアダムズは素朴な語り口のうちに、自身らの側つまりシン・フェインやリパブリカンを正当化するよりもその根底の人工性と人間くささとのないまぜになったを描き、更に、対立しているはずの入植者たちの信念と葛藤を描くことで彼らの振る舞いを正当化スレスレの筆致で表している。それはプロパガンダとしては余剰であり、おそらく失敗なのだ。逆に、彼の作品の面白さはそのプロパガンダらしからぬ部分にある。それは彼の政治活動においては主張し難いところであり、文学でしか昇華できない。その意味で、この本に収録された短編『モーンの山々』はとても興味深い物語だ。
舞台は1969年クリスマス前、市街戦で荒廃した西ベルファスト。主人公「私」はフォールズの失業中の活動家青年だ。モデルは著者だろう。金に困った「私」はプロテスタントの経営する酒類配送会社の短期バイトに応募し、ジョーディという正社員のドライバーと組まされる。彼はもちろんプロテスタント、それもオレンジメンである。ところがジョーディは極めていいヤツだ。「私」はジョーディと共にバンで配送先を回り、プロテスタント地区を訪ね、ジョーディの家に立ち寄る。初めて踏み入れたプロテスタントの家は自分の家とそっくりだった。二人は打ち解けるが、政治の話は暗黙の了解のように懸命に避ける。
翌週二人は隣州ダウン州に出張に行く。風光明媚な田舎で、紛争の爪跡もない。すっかり観光気分の二人は、太古の遺跡も、「私」の守護聖人であるカトリックの聖人の史跡もジョーディの大先輩たるクロムウェルゆかりの地も、ユナイテッド・アイリッシュメンの戦場跡も一緒に訪ねる。「私」の愛読する旅行記(この旅行記の著者はオレンジメンだ)を二人で読む。プロテスタントとカトリックが共に英国と闘ったユナイテッド・アイリッシュメンの真似事のようなひとときだ。物語の最初ではカトリックを指して使われた「我々」という人称も、このあたりでは時折ジョーディと「私」を指して使われている。
「私」の雇用期間の最後の日、クリスマスイブも彼らはダウン州だ。二人は途中で出会った地元の老人を家まで送ってやる。彼はカトリックらしい。道々、老人はこの州のモーン山地について語る。
最後のほうの地名はアイルランド共和国のものだ。この語りは明らかに、自分のものにはならないが自分の子孫はそこに生きる「約束の地」をシナイ山から望むモーゼの逸話を踏襲している。老人と「私」の素朴なリパブリカニズムがこの語りに仮託されている。
ところが一方、「約束の地」は北アイルランドのプロテスタントにとっては別の文脈で重要なキーワードだ。彼らにとって北アイルランドこそ神の約束の地であり、カトリックに包囲されてもこれを守らねばならない、という信念が彼らの闘いを支えてきた。これはリパブリカンにとってのゲール語と同じく「作られた伝統」だろう。もしアイルランド南北統一によってカトリック教会の影響の強い国家が生まれれば生活どころか信仰の面で脅かされる、と彼らは考える。この切迫感は作り物でない。つまり彼らにとって北アイルランド問題は宗教戦争なのだ。著者は「約束の地」を示唆することで、プロテスタントのこの事情に言及している。言及するとはなけなしの理解を示すということだ。
リパブリカンは北アイルランド問題を宗教戦争としてではなく、民族自決権・公民権・反帝国主義闘争・反植民地闘争・階級闘争として捉えてきた。現在、北アイルランド問題に関する研究においてもリパブリカンと同じく「宗教戦争ではない」とする見解が主流だ。しかし、これらの見解はプロテスタントの信念を置いてけぼりにしている。
アダムズも他の短編や政治論集では紛争を反帝国主義や反植民地の観点で語っている。しかしこの短編では、リパブリカン勢力の代表である彼は、リパブリカンの公式見解や研究者の意見を超えてプロテスタントの信念に対する理解を語ってしまっている。他の短編では「カトリック」「プロテスタント」という表記をあまり使わない著者がこの短編ではこれらの宗教的な分類を選んでいる理由もこのあたりにあるだろう。
先に言ったように「カトリック」「プロテスタント」という宗教的な分類で語られてきた北アイルランド問題は、必ずしも宗教上の教義の違いに還元されうる対立ではない。しかし宗教上の教義の違い以外には還元し難い面が存在する。この複雑な北アイルランド問題の解決の難しさは、物語の中で「私」とジョーディがドナルド=シナイ山に行けず、二人がそれぞれ別の意味での「約束の地」を見られないという展開に表れている。
物語に戻ろう。老人は、アイルランド中の地名は「我々の言葉」つまりゲール語だと続ける。オレンジメンだってゲール語の地名を使うんだ。奴らがどんなに頑張っても言葉だけは消せねえ。車を降りる際、彼はゲール語で二人に礼を言う。「私」はゲール語で返事をするがジョーディは機嫌が悪い。気分直しに積荷の酒を飲みながら、二人はドナルドの次に絶景だと老人に教えられたモーン山地の湖を訪ねる。それは素晴らしい景色だが、些細なきっかけで二人の間の緊張が爆発する。彼らは激しく言い争う。
ジョーディの心情の吐露に「私」はショックを受ける。
ジョーディは静かになる。一息おいて彼は、自分と違って「私」には明日から職のないことを思い出させる。我々はこの違いを死守するんだ。我々は生き続けるためにそうするんだ。「私」は懸命に言い募る。
「私」は「アイルランド人」とは何なのか言えない。彼がジョーディに突き付けたアイデンティティの危機は、モーンの山々に跳ね返るこだまのようにそのまま彼のものでもあるのだ。疲れた二人は山を降りる。
二人は歌いながら西ベルファストへ帰る。ジョーディは最後にお気に入りの歌を歌う。食い詰めて英国に移住したアイルランド人が、芋の代わりに街路で金を掘ろうとする歌だ。この19世紀末の歌『モーンの山々』を書いたパーシー・フレンチが入植者の家系であり、著者がこの歌をジョーディに「我々の歌」と呼ばせていることには含蓄がある。詞には「求めるものを全て手に入れれば、我々はもっといい時に再び会える」という続きがあるが、それは物語には出てこない。二人はそれぞれの地区に帰り、物語は終わる。
物語の後、北アイルランドは更に熾烈な紛争の時代を迎えた。ジョーディと「私」は再び会えていない。
1993年の短編『モーンの山々』は、1982年の『フォールズの思い出』に書かれた「あいつらはいつも勝つ。あいつらには神様がついてるんだ」というカトリックの老人の言葉に対する10年越しの長い返歌だ。カトリックの労働者階級の英雄でありシン・フェイン党の活動家であるアダムズは、政治活動家らしくプロパガンダも書き、他方、プロパガンダに見えてその実プロパガンダたりえないような「あいつら」への理解と「我々」の揺らぎを含んだ短編やエッセイを綴る。彼はプロテスタントの闘いの彼らなりの正当性を『モーンの山々』のシナイ山めいた描写で掠め、『フォールズの思い出』で老人に共有させ、「あいつらには神様がついてる」の一言でそれを肯定させさえした。政治活動家として許される所業ではない。しかも彼は「神様のついてない人々」の側で活動を続けた。ここに彼の渾身の矛盾がある。
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◾️Gerry Adamsの引用は
Falls Memories (Brandon,1982)
The Street & Other Stories (Roberts Rinehart; New edition, 2000)より The Mountains of Mourne
を底本とした。
◾️「北アイルランド」という呼称は英国の定めた正式名称でありリパブリカンはこれを嫌うが、知名度を優先してこれを使用した。「リパブリカン」という呼称は「共和主義者」と訳されることが多いが、共和主義というより「アイルランド共和国主義」だと考え、訳さなかった。
記事冒頭写真はアイルランド共和国から見たモーン山地。Wikipediaより転載。
◾️ジェリー・アダムズのプロフィール
1948西ベルファスト生まれ。1964シン・フェイン党及び周辺組織で活動開始。1967北アイルランド公民権協会参加。数年に及ぶ獄中生活。この頃から議会路線を呼び掛け、数十年かけて党を脱武力化し議会政党にする。1978シン・フェイン党副党首、1983-2018シン・フェイン党党首。1983-1992、1997-2011英国下院議員。1998-2010は北アイルランド議会議員兼任。1998の和平合意に至る交渉を担う。2011英国下院を辞し、アイルランド下院に選出。国際作家協会PEN会員。
◾️単著
Falls Memories, 1982
The Politics of Irish Freedom, 1986
A Pathway to Peace, 1988
Cage Eleven, 1990
The Street and Other Stories, 1993
Free Ireland: Towards a Lasting Peace, 1995
Before the Dawn: An Autobiography, 1996
An Irish Voice: The Quest for Peace,1997
Who Fears to Speak...?, 2001
An Irish Journal, 2001
Hope and History: Making Peace in Ireland, 2003
A Farther Shore, 2005
The New Ireland: A Vision For The Future, 2005
An Irish Eye, 2007
My Little Book of Tweets, 2016
Never Give Up: Selected Writings, 2017
The Negotiators Cookbook - Best Kept Secret of the Irish Peace Process, 2018
◾️山本桜子のプロフィール
ダダイスト。北アイルランド問題への興味から2000年と2001年現地に滞在。国際基督教大学卒業後、ファシスト党〈我々団〉団員。『メインストリーム』編集部。
(初出:『情況』2019年夏号)
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