待ってる時はいくらでも待っていたのに無かったものが同じ位置に来るとその糸は切れる
だいたいタイトルを見るとその時何を思っていたのか思い出すのだが、このタイトルは見ても思いが思い出せない。
私のnoteの書き方はタイトルから書く。これは何度も言っていることなのだが、ピンと来たタイトルをnoteに書き留めておく。そのまま書く時もあるし、タイトルがどんどん溜まって後から見直して書くこともある。後者が結構な確率なたのだがこのタイトルは不明なのだ。
何が不明なのか?
その思いが不明なのだ。
どんな思いだったっけ⁉︎
わからない。
考えてもわからない…
という事でこのタイトルから推測する思いを書く事にした。
待っている時はいくらでも待っていたのに
果たして私は何を待っていたのか?
いくらでも待っていられるものを待っているらしい。
どこまでも待っていられるものとはなんなのか?
人なのか物なのか感情なのか。。。
このタイトルの思いがどこにも見当たらない。
私はずっと何を待っていたの?
無かったものが同じ位置に来るとその糸は切れる
待っていたものはそこに無かったもので
無かったものが待っている位置に来るとその思いは切れるという解釈でいいのだろうか?
自分の思いを探すとは思ってもいなかった。
私の思いはどこに行ったのか?
読んでいる人は何のことだかよくわからないだろうかつ笑
これは6月20日に書いたタイトルだった。
なんの思いか思い出した。
私の探していた思いの解釈は合っていて明確でその通りだった。
しかし切れた糸は切れっぱなしではない。
それも解った。
流れるままに流るるままに♪
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