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「チ・カ・ホとまちの文化芸術活動」(4)

(4)チ・カ・ホからまちへ、活動を繋げていく

酒井:ここから、もうひとつの軸だと思ってることです。チ・カ・ホが幹として、そこから文化芸術活動の枝葉をのばしていくという思想を持って、いくちゃんもさまざまな活動やプロジェクトを起こしていくことになると思うんですけど、最初は越山計画と捉えていいのかな?

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今村:そうですね。チ・カ・ホを飛び出たのは越山計画が最初かな?うちの会社として大きめの事業はそれなのかな?2013年なんですけど。

酒井:そんなに前だっけ?

小西:ぼくが入社したときには、越山計画はほぼ活動していなかったです。

酒井:この座談会はチ・カ・ホっていうのがテーマだけど、チ・カ・ホを舞台にしながら、まちづくり会社の自主事業の財源を生むというか、それをまちに波及させる取り組みを外に出していこうっていうのが、もうひとつの大事なチ・カ・ホの役割だから、当然外の活動の話も残しておきたいので、まず越山計画が立ち上がる経緯をいくちゃんから教えてください。

2013_越山計画

越山計画(2013年7月13日〜12月28日)

今村:簡単にいうと、駅前通のビルが建て替えの時期を迎えて工事が始まってきたことが起点です。建て替えるときにはどうしてもテナントが空いて歯抜けになったりするんですが、それがまちの活気を失うひとつの要素でもあるので、空いたところを活用する実験みたいなことを何かやれないかなっていうのがはじまりです。

 白鳥さんが私に声かけてくれて、そこからアーティストとかプランナー、何人かをメンバーに誘って、そこから半年間しか準備時間がなかったんですよね、たしか。解体工事の時期が決まっていたので2012年の冬に話がはじまって、2013年7月13日オープンという。予算が厳しかったので、みなさん、ほぼボランティアで協力してくださいました(涙)。


酒井:あの時、いくちゃんとキーボーがいて、なんか面白そうだなって。


高橋:そこでプロジェクト名が「越山計画」っていうプロジェクト名に決まったんだよね。いくちゃんが言ってたのがそのままスペースの名前になっていったんだけど、この集まり何にする?っていって、越山ビルにあるから越山計画どうですかってなって、そこから何人か声かけようかって話に。

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酒井:やっぱりビルや空いている場所をうまく使うっていうのは、エリアマネジメント会社として大事なミッションのひとつだし、地下と地上のことに関して当時はいろいろ取り上げられてたよね?


今村:当時チ・カ・ホにすべてが吸い込まれて地上が寂しくなった、みたいな記事もたくさん書かれていて。確かに地下は便利だけど、地上も地下もまちの大切な要素でそれを活用するのがうちのミッションなので、連動できたらいいよねっていうのはありました。

 越山計画は、実際アクセスがすごい良かったんで、チ・カ・ホでイベントをやったあとに越山計画でトークイベントをやったりとか、連動させることもできました。入場料を設定することとか、飲食を提供することとか、大きなオープンスペースだとできないことをできる場所が、チ・カ・ホのすぐそばにあると効果的だなっていうのは感じました。

酒井:で、冬には閉じちゃったんだよね。半年くらい?


今村:半年準備、半年オープンで終了。


酒井:そこから、半年だったけどDNAがうまく繋がっていったのがテラス計画なんだよね。


今村:この活動を見てくれていた三井不動産さんが、ちょうど赤れんが テラス(札幌三井JPビルディング)をつくっている時で、道庁を眺望するスペースをつくるんだけど、そこの管理をうちの会社でやりませんか?って言ってくださったんですよね。そのように一つ石をポンと投げたら広がっていったりするというのが、企画をやっていて意義を感じます。

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眺望ギャラリー「テラス計画」

酒井:テラス計画でやっていることは、このあともう少し聞こうかなと思うんですけど、あの時はね、三井不動産さんの仕切っている人がすごく話のわかる方で。ちょうど、眺望ギャラリーみたいなものをつくるということは、都市計画で決定してたんですね。

 三井不動産さんとしては。その眺望ギャラリーを公共空間として開くかわりに、自分たちのビルは容積を上積みするっていう、特区制度(都市再生特別地区)のなかでそういうことをやろうとしていたんだけど、つくったらきっと歴史パネルとかおいてそのまんまみたいな死んだ場所になっちゃうから、企画が生まれる場所にしなくちゃいけないっていう意識を持たれていました。

 ちょうど僕も業務を受けていたから、例えば越山でやっていたような人たちにうまく関わってもらえるようなことをまち会社さんに入ってもらってやったら?みたいなのを仕込んでいたのは覚えています。それがうまく繋がったのかなと。最初は越山計画のメンバーが、運営母体になってたよね。


今村:そうですね。場所自体の広さや設えはほぼ決まっていたので、壊すビルを改造するのとはやっぱり全然方向が違うけど(笑)。まちを面白くしたいというみなさんのお知恵を借りながら、どんな場所にしようかとか最初はやっていたんですけど、メンバーもどんどん忙しくなったので定期的なミーティングをやめて、無人の運営もやめて、現在は有人で運営してできる企画を増やすなど、状況に合わせて運営形態を修正しています。
 でも、関わってくれた人たちがどんどん忙しくなることは、私たちにとってもめちゃめちゃ良いことで、そして良い人たちに出会えてたってことだと思うんです。なので、それは良かったんだけど、じゃあ今後どうしようってなっていくわけです。

 その課題から、Think Schoolとか人材育成の事業に繋がっていきます。まずまちのプレイヤーや仲間を増やすためにテスト的に、テラス計画でMeeting Pointという月一全12回の勉強会も行っていたんですけど、月一ではなかなか関係性を作ることが難しいということもあって、通年のThink Schoolを立ち上げました。


酒井:Meeting Pointはキーボーといくちゃんが共同で企画していく中で、どういうものにしたいっていうのは最初からあったの?人材育成ってちょっと堅苦しいけど、面白い人たちをもっと集めるとか、知的な好奇心でまちを舞台に交流するとか、いろいろ思ったのではないかと。そのあとにつながるビジョンがあったのかな。Meeting Pointはすごく面白かったんで、もう少し教えてもらっていいですか?

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Meeting Point(2015年4月、第1回目の様子)

高橋:テラス計画は、展示もできるし道庁眺めることもできるし、イベントもできるが、どういったプログラムが一番合うんだろうねって話していたときに、レクチャーみたいな30人規模くらいでお話を聞くのが一番ふさわしいのかもねっていう話と、企画者とかプランナーとかと一緒に仕事したいから、そういう人たちと出会える場としてまずは月1くらいで集まって勉強するみたいなプログラムをつくろうかっていうところで、1年間かけて毎月1回ずつやりました。
 その時にモデレーターとして酒井さんにも入ってもらってね。毎月お客さんを集めて毎月解散だから、そこに面白い人たちがいっぱいいるのに深まっていかないよねっていうことで、スクールというかたちにして1年間というタームでプログラムを組んでいこうと。Meeting Pointと並行してThink Schoolの準備を進めました。


酒井:これだけ聞いてるとさ、まち会社が構想したことが展開していってるし、Think Schoolにまでかたちになっているというのはすごくスムーズな流れだけど、なんか大変だったことはないの?まちづくり会社の中でもそうだし、札幌市で自主事業やるということに関して、いろいろ言われたりとか。そんな綺麗ではないはず(笑)。

 財源のあるまちづくり会社が、なかなかお金にならないような草の根の文化活動に支援するというのはすごく大事なことだと思うし、そういうものを、いくちゃんがいるからもそうだし、白鳥さんが10年かけて柔軟になんでも受け入れる体質を持ってやってきたっていうのもあるけど、ときには反発もあったりとか、市の指定管理者としてどうなんだとか。

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Think School(2016年開講時)

今村:芸術文化は私たちの常識や価値観を揺さぶってくれるものですが、それこそお金にならないしニーズが少ないので、短期的な視点でいう対象者が少なく見えてしまうっていうのは悩みどころです。

 うちの会社は利益をまちに還元するというしくみで事業を行っているので成果主義ではない部分はありますが、何人来たとかっていうのが一般的な評価の指針になることもある。意義の証明しにくさが、エンターテインメントじゃないもの、メジャーじゃないものを扱う難しさだと思います。小さな子どもが新しい芸術文化に触れたり知ったりする場が必要だけど、子供の成長はすぐに効果が出ないし、ゆっくり時間をかけていかなきゃいけない。

 Think School Jr.という子ども向け人材育成プログラムもやっていますが、やったことの効果が5年後かもしれないし、10年後かもしれないし、もしかしたら40年後かもしれないっていう評価の時間軸の違い、目に見えないけれど大切なものの価値付けが課題です。


酒井:まちづくり会社がプロジェクトに小さな投資を連鎖させているって言ってもいいかもしれないけれど、耕平くんはそういうことに対して、チカチカも含めて、なぜやっていくべきかとかありますか。


小西:言い方悪いかもしれないですけど、お金にならないことを頑張る会社ってそんなに世の中にないじゃないですか。まち会社って全然お金稼げない事業の方が多いというか、そんなことばかりやっていると思うんですけど、そういうものがないと、ある種商業的なイベントばかりに偏っていくっていうのが危険というか。

 パフォーマンスも、チカチカのように投げ銭報酬しかそこで得られる利益がない制度って、放っておくと「お金を得るためのパフォーマンス」になっていくわけですよ。これはもう仕方がない、当たり前のことで普通のことなんです。でも、そればかりだと、ある種そういうものばかりがかたまってしまって、そうじゃない芸をする人が少なくなっていくでしょうし、そういうお金稼ぎの芸こそが良い芸だっていう文化が出来上がってしまうじゃないですか。そうじゃないよっていうのを、提示していかなきゃいけないなっていう思いもあって、チカチカ☆パフォーマンススポットとは別に、SAPPORO PERFORMANCE PARTYっていうものをはじめたんです。

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SAPPORO PERFORMANCE PARTY 2021(2021年10月17日)

小西:一個の会場じゃなくて複数の会場で同じ日にパフォーマンスの見れるポイントを設けて、エリア全体で盛り上がろうという大道芸を軸にしたフェスティバルなんですけれども、札幌では「だい・どん・でん!」という大通エリアで行われていたイベントがありまして、2016〜2017年頃に終わるんじゃないかっていう話が出てきまして。

 僕は中学生の頃からジャグリングをやっていて、だい・どん・でんにも参加させていただいて、道外から来た一線で活躍しているプロの方がいたりとか、フラダンスを踊っている市民団体がいたりだとか、一緒くたにされているんですよ。自分にとってはそれがすごく刺激的で、すごく良かったなという思い入れがあったので、そういうものがなくなっていくのは寂しいなっていう気持ちがはじまりだったんですけど、さっきも言ったとおり放ったらかしにしていると商業主義的なイベントに偏っていくなっていう気持ちもあったので、じゃあそういう部分に偏らない方たちをお金を出して招いて、こういったパフォーマンスの方たちいるよっていうのを、フェスティバルとしてやっていきたいなと。

 幸いにもまちづくり会社に属していて、いくつか関係している会社さんなり広場の管理運営を任されているので、これは企画をしてみる価値はあるなと思って、主催者側が来るお客さんに対してもてなす、プレゼンテーションするという立場でありたいと思って、名称を「フェスティバル」じゃなく「パーティー」にしたんです。

 大道芸っていうと、正真正銘の大道芸って無許可ゆえの面白さとか、それこそ天然の大道芸だなっていうのがあって(笑)。今って管理された大道芸ばっかりなんですよね。ライセンスを発行してとか。大道芸って名は付いているけど、要はそれイベントパフォーマンスでしょっていうのだったり。何も知らない方からすると、パフォーマンスも大道芸もステージも舞台もひっくるめて「大道芸」ってなるんだと思うんですけど、そこはちょっと自分がわかっている側の立場の人間なんで明確に区別をしたいなと。

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 それで、パフォーマンスのパーティを札幌で、ということでこの名前にしました。2018年に企画の一発目をやろうとしたら、北海道胆振東部地震が起きて、開催2週間前になってから他所の会場使えませんとかになって、パフォーマーの皆さんには、ちょうど電力の需給逼迫ということもあって、バッテリー持ってきてください!って言って。大道芸人って大体、電源のないところでもできるようにバッテリー持っているんですよ。それを皆さんに持ってきてもらって開催したのが1回目です。


酒井:ありがとうございます。もし、まち会社に就職していなかったら、自分が育ててもらっただい・どん・でんを持続するような企画とかって、関われなかった可能性もあるよね。

今村:たまたまこの3人はパフォーマンスをやったり作品をつくっている立場で、自分たちにとって制作活動とか表現活動の必要性をリアルに感じているってことですよね。だから企画する側が、いかにそこの当事者になることができるかとか、切実であるかとか、そういうのがないと魂が抜けちゃうみたいに企画が空洞になっちゃう感じはあるのかなって、今話を聞いてて思った。


酒井:すごい大事だと思う。自分が仕事をする上でも大事だと思ってる。キーボーは、アーティストでもあり、プロジェクタとしてマネジメント側でもありっていう、自分のスタンスっていうのかな、どう切り替えながらやっているかとかはある?前からすごく聞いてみたかったんだよね。


高橋:チ・カ・ホと関係なく個人的な経験を言わせてもらうと、アーティストの自分とマネジメントの自分が2人いて、最初はアーティストの自分の意見が圧倒的に大きかったんです。それが、企画に様々な方をお呼びして作品を見たり話を聞いているうちに、マネジメントの自分の意見がどんどん大きくなっていって、アーティストの自分にダメ出しをするようになりました。

 プロジェクタという組織は、将来の目標としてですが国際展「projecta」を開催するための組織なんですが、あるときプロジェクタのディレクターとして、アーティスト高橋喜代史の作品を見たときに、国際展「projecta」に高橋喜代史という作家を選ばないなと思ったんです。

 その瞬間アーティストの自分とマネジメントの自分が逆転し、そこから作品が変わりました。その後、今度は作品が企画に影響を与え始めていて企画が変化するなど、シーソーゲームのような好循環が生まれていると思います。


酒井:会社にすることで、作家として以外に自分の可能性を拡大していったんでしょ?まち会社と一緒にやることでとか、会社という組織を持つことでとか。

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高橋:まち会社さんと仕事させてもらうときは、公共性みたいなのはどうしても考えざるを得ないというか、もちろんアーティストだからアートは好きだし、アートを伝えていきたいなっていう思いもあるけど、そればかりじゃいけないよなあと思っていて。

 アートをどう伝えていくかとか、伝え方とか、それこそパフォーマンスを初めてチ・カ・ホで見る人がいるっていうのは、多分同じことがアートにも言えて、子どもとかも歩くところなので、そういうところで出会う作品っていうものはどういうものがあるのかなとか、どういう作品だと子どもも興味を持ってもらえるのかなっていうのはすごい考えながら企画するようになっていったので、アートに対する僕の見方も広がっていく。可能性をもうちょっと見出せるということにはなっていったと思いますね。

今村:公共空間は入口になると思うんです。パフォーマンスの入口だったりアートの入口になるから、変なものを置けないっていうか。もちろん何があっても良い場所なんだけど、専門的に関わってきた自分たちがやるんだったら、現代性のあるものなり考えさせられるもの、ほかで紹介されていないものを紹介しようとか、もしかして一度も現代アートに触れたことのない人にとって、ファーストコンタクトとなる場所として意識してしまいますよね。


酒井:簡単に言うと、キーボーが500m美術館でなにか企画するものと、チ・カ・ホで企画するものは、何か微妙な違いがあるわけでしょ?

高橋:500m美術館は、作品を展示する空間なんですよね。だから美術推しでいいんですよね。通勤や通学に使う方は毎日通るところだから、3ヶ月間作品を見続けるから、多少わかりずらい方が2ヶ月後にわかる人もいるかもしれないし、10年後に分かるかもしれないって思ってるんです。

 500メーターズ(企画ボランティアチーム)に、子どもの頃から500m美術館を見ていましたって人が入ってきてるんですよ、ちょっとずつ。それはすごい感動で、たぶんわからないものもいっぱいあったと思うけど、いろんな見せ方、時間かけて作品をつくっていく過程を見せたりとか。いろいろな方法で多少難しいのも置いているんですけど。

 500m美術館に比べるとチ・カ・ホは、美術を見せるための空間ではないんですよね。美術を見せる空間ではないんだけど、広告だったりいろんなものがあるなかで、その中でも埋没しないで輝ける作品っていうのを展示したいなと思っています。

酒井:そういうふうに比較して考えると、同じ公共空間としての展示機能もあるけど、でも違うんだよね。こっちも企画する時に違う気持ちを持ってるっていう。そこに、チ・カ・ホを使う意味みたいなものがあるようだけど、今明確になにか残せないかもしれないけれど、キーボーの話がヒントになりそうだね。

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★次回は、最終回です。これからチャレンジしていきたいことについてのお話をお届けします。

チ・カ・ホ開通10周年企画座談会
「チ・カ・ホとまちの文化芸術活動」
会 場|札幌駅前通まちづくり株式会社 MEETING ROOM1
登壇者|
高橋喜代史 / キーボー(美術家/一般社団法人PROJECTAディレクター)
今村育子 / いくちゃん(札幌駅前通まちづくり株式会社/美術家)
小西耕平 / 耕平くん(札幌駅前通まちづくり株式会社/ジャグラー・コーヘイ)
モデレーター|酒井秀治(株式会社SS計画代表取締役/まちづくりプランナー)
撮影|Doppietta photo



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