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「溜めすぎるな!」-020:「モノを捨てる際には必ず費用がかかる」のは自然の道理だ。

「モノを捨てる際には必ず費用がかかる」のは自然の道理だ。

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以下は、別の某ブログに書いていた、
2023年の夏~秋にかけて決行した、
私の断捨離体験記「溜めすぎるな!」のnote版です。
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「溜めすぎるな!」-020

「モノを捨てる際には必ず費用がかかる」のは自然の道理だ。

20230813


片付かない家は、家が便秘状態なのだ!の他に、
私が悟ったことは、

「モノを捨てる際には必ず費用がかかる」のは、自然の道理だ!
ということだ。

この点を認識していなかったから、粗大ごみを捨てる際に費用がかかるのがイヤで、粗大ごみを捨てずに溜め込んでしまったのだ。 

だが、自分を振り返ってみて、どうだろうか?

自分の身体から消化活動のゴミ(ウンチ)を排泄する際に、何の費用もかかっていないだろうか? 

まず、自分のお尻からウンチを出すときには、大腸や骨盤底筋群といった筋肉が動くだろう。
筋肉を動かすには、エネルギーが必要だ。
エネルギーの元は、自分が食べる食べ物だ。
食べ物を得るためには、スーパーなどでおカネを払って買わなければならない。
自分で土地を耕して農作物を作る場合は、自宅の庭や自分の畑で作るなら固定資産税がかかるし、種や農具や肥料を買う必要があるし、水やりの水道代もかかる。家庭菜園を借りる場合はレンタル料がかかる。
だから、
自分が排便するためのエネルギーには、おカネがかかっている。
狩猟採集民だって、木の実を採るにも自分の身体を動かすために身体エネルギーを消費しなければならないし、魚を釣るためには、まずは釣り竿や釣り針や餌を調達してからだ。

さらには、
トイレで排便する場合は、そもそもトイレと便器を買わなければならないし、
トイレットペーパーも買わなければならないし、
トイレで水を流すために水道料金もかかっている。
夜間トイレを使う場合は照明の電気代もかかるし、
おしり洗浄トイレの場合も電気代がかかる。

つまり、
自分の身体から不要なモノを捨てるだけでも、既にコストがかかっている。

家は、自分の身体の延長だ。
家に入れたモノの効用を消費したあと、モノの抜け殻(ゴミ)が残る。
トマトを買えば、トマトのヘタが残り、油揚げを買えば、油揚げが入っていたビニール袋が残る。
これらを捨てるためには、ゴミ袋が要るから、ゴミ袋を買わなければならない。

普段出す可燃ごみでさえ、ゴミ袋代や、ゴミ収集日までゴミを入れておく蓋つきバケツが必要なのだから、
粗大ごみを出す際に粗大ごみシールを買うのは当然なのだが、
何となく何百円も払うのが「もったいない」と感じて、粗大ごみをずっと溜めっぱなしにすると、徐々にゴミ屋敷化していくのかもしれない。
人間の自然な排泄行為でさえコストがかかっているのだから、
家の排泄行為に当然コストがかかるのが道理だという視点を持てば、
粗大ごみをこんなに溜めずに済んだのになぁ、
と、今更ながら悟った次第である。


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ここで、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。

モノについて
 モ① もらったモノは、基本的に捨てる。
 モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。

   例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、
    死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、
    保有し続ける。 
 モ③ つまらないモノには、近づかない。

ストレスについて
 ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。
 ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。
 ス③ つまらない情報には、近づかない。

このブログの目的は、還暦を目前に、
家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ
「シニアの実(み)の成るライフ」を追求することである。

アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、
「シニアの実(み)の成るライフ」を目指していく。
家の中も、脳の中も、
 
溜めすぎるな!


🌳次回につづく🌳
 
🌳ものぐさゆえ、コメントにお返事できない失礼をお許しください🌳
 

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