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さっぱりさん🌿の自己紹介


さっぱりさん🌿です。

さっぱりさん🌿は、

🌳生まれつき、アタマがさっぱりです。

🌳そんな人が書いていますから、
   万が一にもお読み下さった方は、
  「この人は可哀想な人だ」と思(おぼ)し召されて、
   憐れみの御心でお読み流し下さいませ。

🌳令和の時代では、さっぱりさん🌿は
 「ADHDのHSPの2EのY2KのABCのDEFのGHIのイロハニホヘトの…」
 になるのかもしれませんが、
 昭和生まれで、平成時代に現役社会人で働いていたさっぱりさん🌿は、
 多くの同世代人と同様に、
 そういうことを一切公言できる環境に生きませんでした。
 また、
 そういうことを公言したところで、
 自分の人生が好転するわけでもない!
 と思っています。
 むしろ、
 自分の弱みを公開することによって、
 社会の中で、自分にオフィシャルにハンデをつけることが、
 自分にとって有利にはならずに、
 むしろ不利になると思っている世代の人間です。
 さっぱりさん🌿が、バブル時代に入社した大企業で、
 台風が来ると、決まって会社を休む人がいました。
 その人の自宅は、台風が来ると、
 強風で電車が止まってしまうので、
 台風が来ると、会社に来られないんだそうです。
 職場にパソコンが普及する前の時代で、
 当然、在宅勤務が不可能な時代ですから、
 [会社に行けない]イコール[仕事を休む]です。
 「そうなんだ、大変だね」
 と、職場の人たちは、その人に優しい声をかけていました。
 でも、
 台風のせいでその人が会社を休んでも、
 他の人たちは、
 台風があっても会社を休まずに、定時に出社して
 その人の分まで働いていました。
 だから、
 自分の仕事に加えて、
 台風のせいで休んだ人の穴を埋める人たちが、
 その人の穴を埋めた分だけ会社から評価されて然るべきだと、
 私は思っていました。 
 台風でも交通機関が動いて出社できる場所に住んでいる人たちが、
 台風で交通機関がマヒするような場所に住んでいる人の分まで働いて、
  その人の尻ぬぐいをしてまで働いて、
 その人と給料が同じでいるわけが、ないでしょう?
 「日本の生産性は低すぎる!アメリカ流に生産性を上げるべきだ!」
 という人は、きっと、
 「台風で出社できないような所に住む人の生産性は低いからクビ!」
 と言いますよ。

ま、そんな風にして、
甘ったれるんじゃねーよ!と自分を叱咤激励して、
がむしゃらに生きてきて、
社会でのお務めを果たし終えてから、
noteやブログなどで、
たわいもない自己表現に興じられるヒマと余裕ができたわけです。
現役時代は、たわいもない自己表現に興じるヒマがあったら、
限り有る若さをフルに使って、一生懸命、仕事しないと。
一生懸命、働かないと。
一生懸命、子育てしないと。
一生懸命、老後の蓄えを作らないと。

2000万円でFIRE生活?ぜんぜん足りないでしょう。
そもそも、FIREできる人は、
超一流大学の理工系学科の博士課程卒か、最低でも修士課程卒で、
しかも、自ら研究開発した技術やノウハウを著名企業に高額で買ってもらえてエグジットできるような、
例外的に頭脳明晰で優秀な、ごくごく限られたエリートに限ると、
現役時代の仕事を通じて垣間見た経験から、想像します。
そういう、エグジットしてビリオネアになった理数系のエリートたちは、
ビリオネアになった後は、
「FIREして悠々自適~!」なんてボーっと過ごすことも無く、
すぐさま「エンジェル投資家」になって、
かつての自分のように超優秀なスタートアップ企業家たちが持ち込んでくるビジネスプラン(事業計画書)を、
鷲や鷹や虎や獅子のような恐ろしい非情な目つきで厳しく精査・選定して、
エグジットで得た富を有望なスタートアップ企業に投資して、
富を更に増やしていくわけです。

好きなことで生きていく?若いうちに好きなことで生きていると、
老後になってから、好きでもないことを
老体に鞭打ってやらなければ生きていけなくなるのでは?
と、自らの半生を顧みて、思います。

でも、さっぱりさん🌿は、頭の中がさっぱりですから、
さっぱりさん🌿の言うことが正しかったのかどうかは、
人生の秋(あき)が来て、人生の春~夏の自らの積み重ねの結果が
明(あき)らかになるまでは、わからないことでしょう。

そんなかんじですかね。

さっぱりさん🌿は、頭がさっぱりなことに加えて、
🌳ものぐさゆえ、コメントにお返事できない失礼をお許しください。
もちろん、こんなことは、
現役時代の仕事じゃないから、言えるのですね。
note上での、たわいもない自分探し+自己表現という、
お気楽な老後のヒマつぶしだから、言えるのですね。
そんなお気楽な老後を過ごせるようになったのは、
若い頃に、自分探しに興じる余裕も無く、
好きなことで生きていくなんて考える余裕も無く、
いつも心に鋼鉄の鎧(よろい)をまとって、
心の刀の鞘(さや)から真剣を抜きっぱなしで、
残業も厭わずに会社で働いて、
疲れ果てて家に帰っても家事を頑張ったからでしょう。
若い間に、若い頭脳と身体に汗をかいて、
社会の中で人生のお勤めをやり尽くしたから、
お気楽な老後を送れるようになれたのでしょう。
バブルの頃は、「24時間働けますか?」でしたからね。
令和の時代なら「ブラック企業だ!」が、当時は当然でしたから。

さっぱりさん🌿は、子供の頃から還暦近くになるまで、
自分のやりたい道に進んだことは、一度もありません。
自分の夢を追いかけたことも、一度もありません。
むしろ、
自分の夢を、自分の靴底で踏みつけながら、
現実の社会の滝を、一歩一歩、登ってきました。
そうして良かったと、今になって思います。
若いうちに、一生けんめい現実の世の中を生きると、
歳をとってから、自分の夢の世界を生きることができるようになったのが、
さっぱりさん🌿の半生です。
人生120年時代。
60歳を過ぎると、自分の稼ぎはどんどん減って、
そのかわりに、医療費や家の修繕費用などが、どんどん増えていきます。
さっぱりさん🌿の懐事情では、
老後にクルーズ船旅行を!別荘を建てて二拠点生活!
なんてする気には、とてもとてもなれません。
いままでの慎ましい生活を続けながら、
あと半世紀は生き残っていくつもりです。


いままでどおりに、慎ましい生活を続けて、
さっぱりさん🌿が死んだときに、
もし、幾ばくかでもお金が残ったら?
心配ご無用です。
さっぱりさん🌿は、すでに遺言書を作成して
法務局に保管してもらいました。
さっぱりさん🌿が、120歳まで生きて死んだ後に、
もし、わずかでもお金が残ったら、
さっぱりさん🌿が若い頃に
さっぱりさん🌿の一生を丸ごと、社会という名の賭場に賭けて
大博打を打つような気持ちで結婚した
さっぱりさん🌿の配偶者(さっぱりさん🌿より少しだけ長生きするでしょう)と、
さっぱりさん🌿のゆかりの場所の養護施設と神社へ、
さっぱりと渡ることになっています。
さっぱりさん🌿は、子ども時代、
心が暖められた記憶が、あまりありません。
実家が暖かいセーフティーネットに思えなかったから、
身一つで、灰色で寒々しく見えた社会に飛び込んで、
がむしゃらに頑張れたのかもしれません。
でも、さっぱりさん🌿よりも、もっと問題の多い家庭に
生まれてしまった人たちがいます。
「誰でも、親を選んで生まれてきたんですよ!」
なんて、スピリチュアリストに言われても、
そう簡単に納得できるわけ、ありません。
養護施設に預けられるような境遇に生まれてしまった子どもたちが、
胸を張って、プライドを持って、現実社会で堂々と戦っていけるように、
さっぱりさん🌿の、わずかばかりのものがお役に立つのであれば、
さっぱりさん🌿が、この世に生まれてきた意味が有るでしょう。


🌳人生60年生きてきた、さっぱりさん🌿の人生のモットーは👇
  この世は、合わせ鏡。 
  人生は、片付け続けること。
  死ぬことは、生きること。
  諦めることは、貯めること。
  人に尽くすと、自分が昇る。
  この世は、淘汰。 だから、
  人生は、滝登り。

   そして、
「罰ゲーム人生」の賞金は天井知らず🌞
  👆もちろん、
    自分を甘やかさずに、
    言い訳しないで、
       お天道様を見上げながら、
       がむしゃらに一生けんめい生きた場合です。


🌳さっぱりさん🌿の趣味の音楽に関しては、
   以下で発散しています👇
  https://note.com/pianobaba    
  音楽以外の内容で、ごった返してしまうと、
  さっぱりさん🌿は、何が何だか
  さっぱりわからなくなってしまうので、
  音楽以外のことは、
  ここ🌿に発散していこうと思います。
 
🌳ものぐさゆえ、コメントにお返事できない失礼をお許しください🌳 

🌳ヘッダーやプロフィールの画像は、VAM菌根菌の樹枝状体(アーバスキュル)のオマージュ画です。


おおもとのブログ🏡
https://sappariblog.asablo.jp/blog/    


🌳おしまい🌳