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「溜めすぎるな!」-019:片付かない家は、「家が便秘状態」なのだ。

片付かない家は、「家が便秘状態」なのだ。

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以下は、別の某ブログに書いていた、
2023年の夏~秋にかけて決行した、
私の断捨離体験記「溜めすぎるな!」のnote版です。
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「溜めすぎるな!」-019

片付かない家は、「家が便秘状態」なのだ。

20230812


今回の家の中の片づけで悟ったのは、
片付かない家は、家が便秘状態なのだ!ということだ。

この世の神羅万象は、常に余った不要なモノを排泄していて、
だれかの排泄物は、別のだれかの食べ物になっている。

言い換えれば、
「あなたのウンチは私のご馳走」の関係性が最適なレベルで維持(=サステイン)されている状態が、
地球の神羅万象が持続可能な(サステナブル)状態であり、
そのサステナブルな状態を保ちながら人間社会が繁栄していこうよ!というのが、
持続可能な開発(サステナブル・ディヴェロップメント)の理念だ。

たとえば、
人間は生まれたときから死ぬまで呼吸をしているが、
息を吐いたときに出す二酸化炭素は、いうなれば、肺から排泄した「空気のウンチ」だ。
それを有難がってどんどん食べてくれる存在が、緑の葉っぱを持つ植物だ。

人間の「空気のウンチ」である二酸化炭素は、
桜の木にとっては「リアルな食べ物」だ。
桜の木も、人間同様、呼吸をしていて、桜の木も、呼吸によって二酸化炭素という「空気のウンチ」を出している。
だが、人間の消化活動が呼吸活動と別々のシステムであるように、
桜の木の消化活動とは、葉の裏から吸い込んだ(食べた)二酸化炭素と、根から吸い上げた(飲んだ)水を組み合わせて、身体を形作る原料になる砂糖を作り、その過程でできた要らない酸素を、植物の消化活動のウンチとして体外に排出する活動のことだ。
植物の消化活動(光合成)のウンチである酸素は、
人間をはじめほとんどの生物の呼吸活動にとってのご馳走どころか、
ほとんどの生物は酸素(=植物の食べ物の成れの果てつまり植物のウンチ!)が無いと生きられない!

このように、
地球は、「あなたのウンチは私の食べ物」「私のウンチは誰かの食べ物」という関係性が無数に複雑につながり合って、均衡を保っている。

東洋占星術に五行説というのがある。
水が草木を育て、
枯れた草木によって火が燃え、
火が燃えると灰(土)ができて、
土が固まると鉱石ができて、
冷えた鉱石の表面に水滴ができる。

つまり、「自然界の物質は循環している」という考え方だ。

言い換えれば、
水の排泄物は植物、
植物の排泄物は火、
火の排泄物は土、
土の排泄物は鉱物、
鉱石の排泄物は水、
というわけだ。

もっと言い換えれば、
植物とは、植物+それを食べる草食動物+を食べる肉食動物だから、
植物イコール生物。また、排泄物とは、ゴミのことだ。


余計な水と水中の余計なミネラル(=ゴミ)を吸って育つ植物=生命、

動植物の成れの果て(=ゴミ)を燃料に燃えるのが火、

火が燃えたカスが土、

土が地熱や圧力で圧縮された成れの果てが鉱物、

冷えた鉱物が大気中から寄せ集めたものが水滴、

水の中のゴミを食べて生きるのが生物...。

と、地球の神羅万象は循環している。


つまり、
地球の神羅万象のエレメント(要素)が、地球上に存在するためには、
何らかのゴミを出し続けなければならない。

たとえば、
土の中に溜まったミネラル分は、ゴミとなって水に溶け、
植物の根は、余剰なミネラル分が溶けた余剰な水を吸い上げて成長する。
人間は、生まれてから死ぬまで、二酸化炭素という、人間にとってのゴミを、空気中に排出しつづけ、また、毎日トイレで尿や便を出し続けるが、
人間が排出した二酸化炭素は、植物が自分の身体を造るための原料となる砂糖を作り出す光合成に欠かせない。
植物は、葉っぱの葉緑素と太陽光の魔法によって、二酸化炭素6つと水6つを合成して砂糖1つを作る。これが光合成という、植物の消化活動だ。
だが、
人間の糞尿と同じく、植物の消化活動である光合成によって砂糖を1つ作ると、
必ず、余計な酸素(O2)が6つ出来てしまう。
余計な酸素(O2)6つは、植物の消化活動(光合成)のウンチだ。
計算すると、

[二酸化炭素 x 6] + [水 x 6] = [砂糖 x 1] + [酸素 x 6]
[(CO2) x 6]+[(H2O) x 6] = [(C6H12O6) x 1] + [(O2) x 6]

「=」の左側は、[(C x 6)+(O2 x 6)]+[(H2 x 6) + (O x 6)]だから、
C(炭素)が6コ、酸素(O)が12コ+6コ=18コ、水素(H)が12コある。

これがお日様の光のマジックによって、

砂糖1コ(炭素(C)が6コ + 水素(H)が12コ + 酸素(O)が6コ)が作られて、
酸素(O)が12コ余る。

砂糖1コ(C6H12O6)は、植物が自分の身体を造るために使う。

余った酸素(O)12コ(=空気中の酸素分子であるO2が6コ)は、
葉っぱのウラから排泄される、植物の消化活動のカス(=ウンチ)だ。

人間が排出したウンチも、虫などの他の生物のご馳走になった後で、虫たちから排出され、
どんどん分子構造が分解されて、植物の根が吸い上げられる小ささまで小さくなった途端に、
植物にとって欠かせない栄養分になる。窒素やリンがそうだ。 

つまり、
地球上の神羅万象は、「モノを手に入れて、それを消費して、消費した後のカスを排出する」行為といえる。
人間だって日々呼吸して二酸化炭素を排出し、お尻から大小便をし、皮膚の汗腺から汗をかいているのだから、
人間の活動の延長である経済活動も然りである。
したがって、
モノを買い、モノを使用(モノの効用を消費)したあと、もはや効用を使い果たした「モノの抜け殻」を廃棄することは、自然の摂理である。 

それなのに、モノを買い込み続けるばかりで、
「もったいないから」と捨てずにいつまでも家の中に溜め込む行為は、
その家(世帯)の代謝が機能していない「便秘」を表しているのであり、
その家(世帯)の健康状態が悪いことを意味しているのだ!
と、ようやく私は悟ったのだ。

「捨てる行為」を、ヨガの道義や「もったいない」とかいった、精神論で正当化しようとするから、心に無理が生じるのだ。
「モノを買って自分(の家)の中に取り込んで、モノに備わった効用を消費して、効用を消費した後の「モノの抜け殻」を自分(の家)の外に排出する」という、生きとし生けるものとしての生理的な消化活動ととらえれば、
生物の基本的なサバイバル活動なのだから、道義や善悪を論ずる以前の、生物の単なる生理活動なのであって、
捨てることに対する罪悪感もヘッタクレも無いのだ!
ということを、今回の家の片づけを通して私は悟った。


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ここで、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。

モノについて
 モ① もらったモノは、基本的に捨てる。
 モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。

   例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、
    死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、
    保有し続ける。 
 モ③ つまらないモノには、近づかない。

ストレスについて
 ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。
 ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。
 ス③ つまらない情報には、近づかない。

このブログの目的は、還暦を目前に、
家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ
「シニアの実(み)の成るライフ」を追求することである。

アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、
「シニアの実(み)の成るライフ」を目指していく。
家の中も、脳の中も、
 
溜めすぎるな!


🌳次回につづく🌳
 
🌳ものぐさゆえ、コメントにお返事できない失礼をお許しください🌳
 

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