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春の窓辺に

桜花爛漫。

世間はコロナで自粛自粛と騒がれ、鬱積した気分を晴らすため丘上の喫茶に訪れた。見晴らしの良い丘陵の上に立つコンクリの高床式住居。テラスは全面ガラス張りで眼下の街を一望できた。

足元の桜の木を眺めていると、ふと祖母の家を思い出した。三階建ての一軒家、日本の家屋の奥ゆかしさ的なものはなかったが、家の隣が公園で桜の木が生えていた。春になると掃き出し窓から見える桜で花見をして、夏になるとザクロを食べた。

大学にはいってからというもの、祖母の家に行く回数は減り、年末年始の集まりでさえ友達と遊ぶからと遠慮していた。大学生活は目まぐるしく散っていく、桜の花びらよりも早く。その間にも遊び慣れたあの公園の遊具達は撤去されていった。

一昨年、祖母が亡くなった。それから暫くして、母から公園の桜の木が切られたことを聞いた。自分が子供の頃遊んだ公園はその木々の一本さえ無くなり、閑散とした土地に佇む三階建ての家は寂しく見えた。母は「ここに何か建てるんかな?それならいっそうちの家も買い取ってくれんかね」と言い、自分はそれを笑い飛ばした。

あの桜を最後に見たのはいつだったのだろう。それはわからないけれど、今日来たカフェの景色が自分に、桜と祖母の面影を思い出させてくれただけでとても良い一日になることは分かる。

コロナの流行により世界がパニックになってから、日本政府を嘲笑し「でも日本には四季がある!」というような文法構造が流行ったが、四季のおかげで毎年桜が見れるのだから日本様々だ。

満開の桜が散り、また蕾が花開く頃には、マスクせずに桜並木を歩けてたらいいな〜と切に思う。その時にまだnote書いてたら、桜の写真撮ってそれに「良くね?」って一言を添えるやつをやって欲しい。もうなんのことが覚えてないかな?

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