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自分の人生に責任を持っているから「絶望」する🌹絶望って最高の自己否定であり最大の自己否定🌹

最近のYouTubeで、何回も、

「絶望している」

「あと半年は絶望する」

と、何回も言っていますが、

もちろん、私に対する絶望です。


依存し、自分の人生に責任を持たずに生きていると、意味不明に他人に絶望する。

トンチンカンな人は、会ったこともない芸能人に対しても、
「こんな人だと思わなかった」と、勝手に絶望するけど、

「こんな人だと思わなかった」ということは、
自分が勝手に「こんな人」という像を描き、
そこから外れたから、
「こんな人だと思わなかった」と八つ当たりしてるんだけど、

無責任な在り方、丸出し。


自分がどう思って、何を描いたのかにすら責任を持てない。


相手がどんな人であれ、

絶望は自分にするものです。


自分の人生に責任を持って生きているからこそ、

自分に絶望する。


当たり前に長いです。

私の場合は、感覚のスルーをした私への絶望。

最高の自己否定です。

感覚をスルーする思考を持っていた
私に対する全力の自己否定。


とことん絶望するから、そのくだらない思考が捨てられる。


同時に、

絶望は最大の自己肯定。

自己否定したくなる思考を持っていた自分を直視し、

トリミングすることなく、フィルターをかけることなく、言い訳することなく、

ただ、事実を受容しているんだから。


自分を受容すること、自分が創造した現実を受容することは、最大の自己肯定。


「自己肯定感が低い人」とは、
自分も、自分が創造した現実も直視出来ない人のこと。


ジャッジすることなく、受容することが
自己肯定です。


自分の人生を他人任せに生きていたら、
絶望なんてしません。

私の言う絶望はしません。


ただ、無駄に落ち込み、
アホメーションを開始するか、人のせいにするか言い訳するか、正当化するか、
ジャッジするか、

とにかく、自分の思考、目の前のことを
受容しない。


例えば、デブを受容しないからデブな自分に絶望しないんだけど、
こういう人は、

「私はデブです」と言わない。

必ず、言い訳の枕詞をつけます。

「そんなに食べていない」
「規則正しい食生活をしている」
「痩せる努力をしている」


「のに!」太っている。

という。

直視してないです。

「私はデブ、以上!」を受容したら、
絶望しますよ。


いや、好んでデブの場合は絶望しませんが、
好んでデブの場合は、言い訳をする必要がないのでわざわざ、

「規則正しい食生活なのに太っている」とか、
言い出しません。

デブな自分に本気で絶望していたら、
痩せます。


デブと生き様は直結していますが、

デブを受容せず、絶望せずに、
生き様は絶対に変わりません。

絶対です。


自分の魂の容れ物すら、つまり、
目に見えてわかるものすら受容できないのに、

生き様を変えようとするわけないし、
生き様に絶望しません。


絶望という、最高の自己否定と
最大の自己肯定ができる歓びを味わえるって幸せです🌹


絶望したら、2度と同じことはしない。

だから、成熟していくし、
経験値が上がり、磨かれていく。

経験したところで、その経験を受容していなければ、「経験値」にはならないです。

本質的な経験値には、ならない。


創造した現実から、自分の望みの本質を知ることって豊かです、とても。


なぜ、自分はこの現実を創造したのか?

を、考えることなく、

ただ、悩んで、現実逃避しても現実は変わらないので。

受容するって、ジャッジしていたら出来ないと何回も言ってきました、私は。


淡々と受け入れることが出来ない人は、
そういう思考回路で生存しているだけ。

プライドが高いのよ。


そして、プライドの為、

自分が傷つかない為に感情的になる。


女が、本当に感情を剥き出しにする時って、
自分の大切な人を守る時、
自分の大切な人が傷つけられた時ぐらいです。


いつも感情的になり、感情で行動する人は、
女を生きていないし、女に向いていないです。

ちなみに、私がいう「感情的になる」とは、

喜怒哀楽ではないです。

自分のプライドを守ること、
自分が傷つかない為に、
何かしらの感情を張り切って出し、

その感情に思考を持っていかれている状態を言います。


つまり、感情を直視していない、
感情を感じていない状態。

発作です。


こういう人は、死ぬまで、

自分に絶望しません。


「私は悪くない」と、正当化して生きるので、

成熟も成長もしなければ、
自己肯定もできない。

自分を受容することを「自己否定」だの、
本当のことを言われて、
「否定された」だの言ってるから、

自己肯定感が低いままなんです。


絶望って長いからね。

絶望って、自己信頼がないと出来ないです。


絶望する自分に耐えられずに、
さっさと逃げるからね、自己信頼がないと。

私の絶望はまだ終わらないですが、
気づいたら忘れてるのがいつものパターン。


そして、忘れてる時は、絶望した時より
格段に幸せな自分を生きている時。


2度と私に同じ絶望を味わうことを許さない。と、私は決めています。


いや、もうそろそろ絶望することはやめなよって感じだけど、ほんとそれ。

一生、感覚に敬意をはらい感謝して
生きていくと誓っています。


絶望すると、今からの在り方を決断するし、
誓います。

今、するべきことがわかる。


自分の人生に責任を持って生きるって、全て自分次第だからめっちゃ楽。


自分がコントロール出来ることを明確に知っているから、そこに集中するのみ。

自分がコントロール出来ないことに、
思考もエネルギーも使わないもん。


コントロール出来ないことを
コントロールしようとするのは、
やはり、自己信頼の欠如。

愛の欠如です。


無条件に愛するって、
ジャッジなく受容することでもある。


ジャッジする人って、
「どんな自分も愛せない」

だけ。

「この自分は受容できる」と最初から条件を
つけているんだから、愛せるわけないんです。

女は条件付きでは誰も愛せない。


沖縄かハワイ行きのフライト中の景色🌹

美しい🌹

女は美しい、自然と同じです🌹

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