「包括の思考」という、いつも愛を選ぶ美しい在り方は「社会不適合」な私を尊重し続けたから🌹
この記事の続き🌹
まず、
いつから私は、
庶民道徳に適合できない社会不適合勢だったのか、
庶民道徳思考に支配されなかったのか、
気になるでしょうから書きます🌹
長〜く私を知ってる人は、
とっくに知ってる話だし、
DVDや動画を持ってる人もサラッと知ってるかもしれないけど、
改めて書きます🌹
気になるでしょうから。2回目。
これ、YouTubeライブで話した方が早そうな
内容だけど。
と、今気づいたけど、
これは記しておきたいので、書きます🌹
生まれつきです。
「いつから」とかじゃなくて、
この世界はおかしいと、ずっと思っていました。
私は、世界一尊敬している人が
おじいちゃんだったから、
かなり小さい頃から、この世の違和感を聞いてもらっていたんです。
「なんで大人たちは、嘘をつきあうのか?」
「適当なこと言いあってんのか?」
「うすら笑いの愛想笑いのおばちゃん、怖い」
「なぜ、テレビで見る政治家は、嘘をつくのか?
おじいちゃんは嘘をつかないのに、おかしい」
とか、
お世辞、社交辞令を嘘と呼び、
政治家の嘘が意味不明で、いつも「おかしい」
って言ってたんです。
小さい頃は、「庶民道徳」の狙いとか、
心の領域はわからないし、言葉にも出来なかったけど、
おかしかったんです。
そう、
私は、不自然、不調和に敏感。
おじいちゃんの返しは忘れたけど、
いつも笑ってた記憶のみ。
人は、忘れます。
唯一、覚えている言葉は、
「バカになった方が賢い時が
多いのが日本。
バカになることを覚えなさい。
SAORIは賢すぎる。」
全く意味がわからなかったけど、覚えているから印象的だったんでしょう。
今なら、この意味がわかります。
おじいちゃんも、散々バカになってきたんだと。
そうすることが、1番だったんだと。
しかし、私は残念ながら、
バカになれるほど賢くないからバカにはなれず、
バカになってまで、庶民道徳勢に適合する必要はないと思っていたし、
適合しなくても周りに恵まれて生きてきたので、
社会不適合勢、最高なんですが、
そう簡単に、「社会不適合勢、最高🌹」に
なったわけじゃないです。
当たり前だわ。笑
このエピソードは、何回も話したことがあるけど、
どこで話したかは記憶にないけど、
オフィシャルで話しています。
数学の「証明」の意味がわからなかった話。
なぜ、すでに答えが出ていること、
しかも、「正答」は1つのみのことを、
わざわざ「証明」しなければならない理由が
わからなかったんです。
「証明」の「真意と意図」がわからなくて、
「証明」の授業は、いつもこれを
考えていたんです。
なんのために、証明しなければならないのか?
「正答」が複数あるならば、わかるけど、
どのように計算しても、答えは同じ。
なぜに、わざわざこんなことをするのか?
捻くれ者か?
と、頭を悩ませ、
周りにこれを話しても、
「え?」みたいな顔をするし、
誰も疑問を抱かないし、不思議で不思議で、
数学の担当に聞いたけど、
「屁理屈言うな!」と言うし、
全くわからなかったんです。
ルート、道筋は1つじゃないこと、
事象と結果の受け取り方は複数あること、
どんなルールを辿ってもたどり着くところは1つであること、
結果はすでに決まっていること、
思考の使い方は複数であり本質は
シンプル
などなど、
今なら「証明」から学ぶことは、たくさんあるとわかるんです。
このような意図を持っていたのかは知らないけど、
証明きっかけです、
私は、この人たちとは、
何もかもが合わない。
と、本気で思ったのは。
中学生の頃。
人生初の絶望は、
自分が属する社会への絶望。
人への絶望。
そこからは、次々に疑問が生まれる。
「なんで、言われた通りに校則を守るのか?」
「なんで、女はつるんでトイレに行くのか?」
「なんで、本人に言えない悪口を言ってるのか?」
本人に言えない悪口は、今でも大嫌いです。
「ここは、軍隊か?」
ちょっとばかし浮いて見えていた子たちも、
結局は軍隊に疑問を抱かない人たちだったのか。
からの、
「みんな一緒」への違和感。
中学生の反抗期まっただなかは、冴えてるからね、
お前たちに「自分はないのか?」
と、「個性」はあるのに「個」がないことが
不思議で仕方なかったんです。
「みんな一緒」なら、
「個」である必要はなく、生まれる必要もないからね。
「自分の意思、意見」じゃなく、
みんなが納得する意見を言う人々、
みんなと違う意見を言えば、
「なに言ってんの?」の、同調圧力。
もはや、全員が同じ顔にしか見えなくなってたし。
同じ顔のくせに、
1番になろうとし、
成績や順位と言う数字で判断し、
数学を追いかける。
謎が生まれる度に、絶望も生まれる。
自分がないくせに、1番になりたがる。
自分がないくせに、誰かと戦う。
1ミクロンも適合できません。
庶民道徳って、最も分母の大きい
宗教ですから。
庶民道徳教の思想は、私には合わない。
合う人は、庶民道徳勢でいいし、
合う人の方が多いから、少数派を
社会不適合勢と呼ぶんだから。
社会不適合勢の勢は、SAORI語だけど。笑
「変わってる」なんて言葉、言われ飽きていたので、
もはや挨拶ぐらいのレベルでしたが、
中学生庶民道徳勢から見たら、変わってるわな、
そりゃ。
「先生に叱られないよーに」
「親に褒められるよーに」
「嫌われないよーに」
「損しないよーに」
生きてる勢から見たら、
「おかしい」と主張する私は、変わってますよ。
中学生って、繊細な時期だからね、
どちらにしろ。
庶民道徳勢の損得勘定や卑怯さ、陰険さ、
陰湿さは、
中学生で、もう完成しています。
サクラダファミリアは全然完成しないけど。
完成した、
卑しくて醜い根性が、さらに磨かれるんです、
思春期に。
反抗期をしてない、
いつもどーりに勇気を出さないで、
反抗期ができなかった勢は、
姑息に生きることに磨きをかけて反抗してたんじゃないか?
と、予測しています。
あの時代の教育を受け、
反抗期に反抗しないなんて、おかしいもん。
スポーツでそのエネルギーを発散しても、
まだ余りますからね。
つまりは、八つ当たりです。
反抗したい人に反抗できないから、
八つ当たりとして、陰険で陰湿で姑息で卑怯で
卑しい思考を磨き上げたんです。
女子のいじめっ子って、そうだから。
単なる八つ当たりだからね、
親に言えないからって、人にやつ当たる。
中学生がすることだから、まだ仕方ないとして
これを中年までやってるのが、
庶民道徳ガチ勢。
中年反抗期です。
中年反抗期の記事は、過去に書いています。
話を戻しましょう。
違いがあって当然なのに、一緒じゃなければ
ダメな空気を醸し出し、
しかし、負けないようになにかと戦う。
一緒じゃなければダメなら、戦うなよ。
と、私はいつも思っていました。
この人たちが言ってることも、やってることも
矛盾しかしてないんだけど、
なんでなん?
と。
まるで私がおかしいかのように言われていたけど、
庶民道徳勢にとって、私がおかしいんです。
だから、庶民道徳勢も正しいし、
私も正しい。
中学生ですからね。
あまりに小さい世界しか知らないんだもん。
It's a Small World。
人生経験も少ないし、社会をあまりに知らない中、
絶望の中、
私は、私の「おかしい」を信じ抜いたんです。
というより、
信じるものが、私だけだったのかも
しれない。
この感性が、私は大好き♥️
それこそ、「私のおかしい」が
「証明」できるかなんてわからないけど、
おかしいものは、おかしいし、
庶民道徳の思想で生きる人々と、
密接に関わることが不可能だったんです。
会話が成立しない。
上っ面は成立しますけど、本質が成立しない。
特に中学なんて、
庶民道徳勢養成所ですから、
あまりにも多数の人々が、
庶民道徳思考で存在する。
今、めっちゃ楽。
庶民道徳勢の集いに行かなくていいもん。
中学は、庶民道徳勢の集会だった。が、
本当に適切な表現。
庶民道徳勢ではなかった人も、
信者になるんだもん、
数の暴力って凄いのよ。
「みんながこう言った。」
数が多ければ正しいと思っているのが、
庶民道徳勢。
だから、死んでも本質を見抜けない。
その分、当然、不幸者の数も多くなります。
だから、庶民道徳思考は、
庶民道徳思考から抜けられなくなる。
上手く作ってある。
依存なんて、庶民道徳勢の中では、
参拝レベルで行われているのも、
庶民道徳思考の特徴。
と、今はわかるけど、
未熟な中学生の私には、本質が
わからなかったけど、私の「おかしい!」は、
一択の正答でした。
証明不要!!
それから、私は、多くの人とは
そもそも会話が通じないと悟ったので、
上っ面です。
そして、わからないであろうことは言わない。
卒業式を指折り数えて、
淡々と過ごす。
私は、
自分の都合で、自分のプライドの為に、
感情のコントロールが出来ず、
私に対して、理不尽に、好き勝手に自尊心に
入り込む人は、
昔から無理なので、
やり返すべき必要があったので、
特に指折り数えて卒業式を待っていましたが、
やられたらやり返すのは変わってないからうける笑
からの、広い世界に出れば、
社会不適合勢なのに、上っ面で適合したふりを
している人たちがいることを知り、
自然と受け入れたって感じですが、
出会いと環境は本当に大切。
私の周りはずっと社会不適合勢ばっかりなので、
そして、
みんなそれぞれ幸せなので、
生きやすい。
が、しかし、逆に、
庶民道徳勢の皆さんも、庶民道徳勢同士、
思考が同じで、生きやすいんです。
生きづらいと言いながら、生温い環境で、
なんとなく1日が過ぎていくことや、
戦いまくって、リゲインの人や、
ネガティブにしか考えられない人や、
様々ですが、
それぞれ、そこがお好みなんです。
サムネイルの写真。
これ、久しぶり🌹
卒業と言えば、絶対に外せない尾崎豊。
あんなにも10代が熱狂したのは、
教育や親や社会に対する抑圧した反抗心を、
尾崎豊が代弁してくれたからで、
しかしながら、尾崎豊熱狂勢の多数は、
ちゃんと取りこぼしです。
せっかく尾崎豊がチャンスをくれたのに、
尾崎豊に代弁してもらって気持ちよくなって、
ご満悦。
誰かに代弁してもらって、
誰かにかわりに何かをしてもらって、
気持ち良くなってスッキリして終了は、
庶民道徳思考の典型です。
言えたとしても、ちゃんと匿名。オバケ。
全然、「この支配からの卒業」を果たしていません。
熱狂勢と、ガチ勢は違うからね。
「卒業」なんて、歌詞を読めばわかるでしょうが。
の、前に、
取りこぼす人って、
尾崎豊が、命を削って、魂からの言葉を
世界に放っているのに、
その素晴らしさを受け取ることなく、
スッキリして終了。
本質を知ることなく終了。
「若者の代弁者」って、誰が言い出したか知らんけど、
これが庶民道徳思考です。
お前が言えや。
と、誰も言わない。
代弁してもらってスッキリしている自分を
直視しない。
これも不思議だったわ、ずーっと。
「スッキリ」って番組は、番組タイトルを
つけた時点で、人気番組が確定していたようなものです。
いつも、欲求不満な層に向け、
「スッキリ」って、天才だわ🌹
【生きるために 計算高くなれと言うが
人を愛す真っ直ぐさを強く信じた】
↑卒業の歌詞です。
生きるために計算高くなるのが
庶民道徳思考。
人を愛す真っ直ぐさを強く信じるのが、
社会不適合勢。
【大切なのは何 愛することと
生きるためにすることの区別迷った】
社会不適合勢は、この迷いを思春期にしています。
庶民道徳勢は、中年で直面する人もいるが、
半数は、駆け引きと取引して今世を終えます。
尾崎豊が歌ったころより、
今の方が、断然に生きやすい世の中だから、
区別に迷っても、答えなんてすぐに出ます。
SNSを上手く使い、
情報の取捨選択ができる人は、迷わない。
【あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分にたどりつけるだろう】
社会不適合勢は、これ、絶対に経験しています。
思春期の独特なエネルギーで、
外野は蹴散らせても、
自分のことはそうはいかないから、
ここが苦しいし、これは20代の課題となる。
どんな苦しさだったか、すっかり忘れたけど、
私はここが、とっても長かった気がする。
でも、記憶が曖昧だから、信用しないで、
これは。
社会不適合勢で、ここを経験してない人
いないもん。
だから、強いんです。
自分から逃げていないから。
庶民道徳勢は、ここに直面しても、
逃げて終了です。
下を見て自分を慰めて終了。
これが癖だから、アホメーションをする。
ありがとうおばさん。
ありがとうおばさんと書くと、
「ありがとお〜って伝えたーくて〜」が
脳内に流れてくるんだけど。笑
これ、YouTubeメンバーシップの女神で
解説すれば良かったわ。
また解説します。
文字と、声は違うから。
【仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も終る
この支配からの卒業
この闘いからの卒業】
尾崎豊は、
神からの日本の若者への贈り物かと思うほど、
生き様が美しい。
「仕組まれた自由に、誰も気づかずに」
本当これなんだってば。
胸がいっぱい。
私の心を支えてくれた曲の1つがこれ。
何度、夜の校舎窓ガラス壊して回ろうとした
私を踏みとどまらせてくれたか。
そんなことしても、何も変わらない、
ダサいよ。と、伝える為の
「夜の校舎窓ガラス壊して回った」です。
勘違いした庶民道徳勢男子は、カッコいいと思い、まんま真似して、だっさ。笑
「あがいた日々」
ほんこれ。
そして、ちゃんと気づくんです。
だから、
支配からも闘いからも卒業できる。
「庶民道徳のせい」にしてないからね。
自分を支配していたのは、自分だと
ちゃんと気づいて、
自分を解放したから、卒業。
闘いからも、卒業。
戦いじゃなく、闘いなので、
重みが違います。
エアーと戦う勢の戦いじゃなく、
命懸けの闘いなんです、これは。
だから、卒業できる。
人は、完了してないこと、
やり切ってないことが、ずっと気になる。
「やってたらどうなっていたのか?」など、
存在しない時間を考える。
やってないのは自分なくせに。
私は、いつも「やり残しをなくす人生」と
言いますが、
存在しない時間を考えることも嫌だし、
私の「やりたい」を尊重しなかった後悔が
嫌だし、
尊重しなかった瞬間が嫌なんです。
明日死ぬかもしれないのに、
この瞬間のやりたい!に、誠実じゃない
在り方が嫌だから、
今この瞬間に、誠実でいる在り方を
選んでいます。
純粋なやりたい!に向かう人は、美しいから。
それが何であれ。
そこに打算や損得など低次元の思考が入ったら、
挑戦できません。
美しさを手放し、醜さを手に入れる趣味の悪さ、気づけよ。
私は、私を支配する邪魔な思考は、
捨てていく、これからも。
私が選んだ生きる道は、
私にだって邪魔させない。
ちなみに、私、最初からこうだったわけじゃないです。
何度も言いますが、
「私の人生こんなもんじゃない」と、
衝動的に気づいた時に、
「こんなもんじゃない人生」と、
「こんなもんじゃない人生を選んだ私」を捨てると決めて、捨てたんです。
そして、人生を変えると決めた。
人生を変えるには、私が変わるだけ。
変わると決めた、変わり続けている。
めっちゃシンプルに書きましたが、
平坦で平凡な道を歩んでいないです。
様々なことがあり、その様々なことが
起きるたびに、
私は私が望む在り方に変わることを
選び続けてきたんです。
マジで嫌なこといっぱいあったし。
でも、それは私が未熟だっただけ。
全ての経験のおかげで、今の私がいる。
わたし史上最高の私が、今🌹
だから、中学生の私にめちゃくちゃ感謝しています。
小さい体で、
大きな弱さを小さな強さで抱えていた健気な
中学生の私に感謝しています🌹
私のことを信じ抜いた私が
誇らしい、本当に。
こうやって私は強くなってきた。
女の強さを思い出し続けたんです。
おじいちゃんの教え通りのバカには
なれなかったけど、
バカにならずして、
ずいぶん幸せに、世の中を渡っていっています。
きっと、おじいちゃんは、
今の私も、今までの私も誇らしいと、
自慢しているはずです。
庶民道徳勢の「自慢とかうざい〜」とか、
おじいちゃんの思考にはないので。
なぜ自慢がダメなのか、わからない。
庶民道徳思考って、ほんとがめつい。
庶民道徳勢の自慢の意味
得意げにって、爆笑。
しかし、こちら。
類語を見れば一目瞭然。
二極の思考はこうなんです、いつも。
「誇る」「自尊心」と、
「驕り」「プライド」が、なぜ一緒になっているのか?
驕り高ぶることが自慢で、
自尊心が類語なら、
自尊心は、驕り高ぶっているんですか?
「自慢する」=「おごりたかぶる」
「自慢する」=「自尊心」
おごりたかぶる要素はないけど?
自尊心って、類語は存在しません。
マジで辞書も疑わねばならない。
誇りと、プライドは違いますし、
自分で自分を誇れないで、
誰が誇るんですか?
自尊心とは、
自分の存在の素晴らしさ、そのものです。
自尊心とは、私の全てです。
私の今の時点での、
自尊心は、これです。
包括の思考から生まれた自尊心は、
これです。
庶民道徳思考って、マジでしんどそう。
有限、制限ばっかり。
こんな思想への信仰、さっさとやめたらいいのに。
社会不適合勢は、楽よ〜🌹
みんな愛に生きているから、とっても楽🌹
庶民道徳は日本最大の宗教です。
お布施は税金。
信仰してない人々の方が多く払う、
独自のシステムです。
爆笑。
その税金は、日本国民以外にも
ちゃんと使います。
信者でない者たちにも使います。
こういう受け入れるべき理不尽があるんだから、
私は、庶民道徳には支配されません。
誰も幸せにならない思想、
女を舐めた思想、
細胞レベルで、大嫌いなんです。
私には関係ない思想ですが、大嫌いです。
政治家のレベルが国民のレベルと言います。
つまりは、その通りで国民が低脳なんです。
庶民道徳思考を疑うことなく生きてきた、
庶民道徳勢のありさまです。
ゆとり教育をしようが、さとり教育をしようが、
自分自身だからね。
庶民道徳思考も社会不適合勢の思考も
同時にSNSで見られる時代です。
選択も決断も全て自分でできることが
とてもラッキー🌹
土砂降りで、びしょ濡れで帰ってきた次女、
シャワー浴びて、お昼寝すると寝たけど、
お昼寝じゃないし。笑
ご飯も食べずに爆睡してるから、
起こしたら、水分補給してお部屋に行ったんだけど、これだけの大雨はキッズも眠いのね。
今日は、長女がお泊りでいないから、
朝から寂しそうで可愛い♥️
参考までに、
社会不適合勢の私が中学の頃、
大好きだった授業は美術。
特に、水彩画。
無限に色を生み出せて、無限にグラデーションを作れて、
美しい色と色が重なったグラデーションを、
水だけの力で、あんなに美しくぼかせるなんて
形容できない感覚が大好きで、
デッサンやお絵描きは破滅的に下手なくせに、
水彩画となると、感性大爆発、美的センス大爆発で、
下手くそな下書きの影もないほどに、
美しい作品を作れていたのよ。
没頭。という言葉がドンピシャなぐらい、
没頭していたのよ、水彩画の美しい世界に。
美術の先生は、立場上、
「庶民道徳勢」でいなければいけないけど、
本当は、社会不適合勢で、
まあ、アーティスティックな人はそうなります。
だから、社会不適合ぶりを全力で発揮する私を
面白がって可愛がってくれていたのを思い出したわ。
モネの「睡蓮」が大好きで、先生に借りた本の
「睡蓮」を1日中見てたし、
美術の先生目線で、素晴らしい絵画に引き込まれる感性を持つ生徒は、そりゃ可愛いよね。
結局、昔から変わらず、
美しさを愛しているということです。
サポートしてくれたお金は、動画の編集など、 観てくれてる人がより楽しく学べることに使います!