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「愛があれば大丈夫」の上っ面を知ると自分に泥酔して、ますます苦しくなります。【許す失敗】②


この記事の続き🌹

「愛」という言葉は、非常に魅力的だけど、
ちゃんと自分を理解していない場合は、
危険です。


心の問題を解決しないままに、

「無条件に自分を愛します!」とか、

「無条件の愛のパートナーシップを育みます!」

とか、単なる暴君の暴走です。


実際、間違ったスピリチュアルを発信している人って、

愛があれば幸せでーす!

みたいな、

夢や希望だけは持たせやすく、

現実逃避をさせる手段に「愛」を利用していることに気づいていない。


愛って、幸せを感じるし、満たされるんだけど、

心の問題を放置したまま、
直視しないままでは、

愛があれば大丈夫だと、愛というものに、
執着する結果になります。


恋愛失敗を繰り返す人って、これなんです。

愛という言葉と、愛という言葉に酔っている自分に
酔うんです。


つまり、高揚感に酔っている。

高揚感があると、感情を感じなくなるし、
一時的な「楽」を生み出すから。


現実を直視しないと変わらないし、

変えられるのは、現実だけです。


「許す」というのも、

現実を淡々と直視することでしか、
出来ません。


この「許し」を間違えるから、
どんどん複雑になっていくってだけ。


「許す」について、ほとんどの人が勘違いしているのは、

正しい知識がないから。


たったこれだけ。

キラキラだのなんだのがない、

純粋な事実を直視していないから。


人って、基本的に嫌われたくないから、

ハッキリと事実を言わないし、

人って、ハッキリとした事実からは目を背ける。


この時点で「スピリチュアル」ではないです。

魂が〜とか、いくらでも言えばいいけど、

「耳が痛いことほど聞く人」が言う、「魂が〜」と、

現実逃避している人が言う、「魂が〜」は、

全く違います。


現実から目を背けて、「魂が〜」と言っているのは、フワフワスピリチュアルです。


私は、ふわふわスピリチュアルに陥る発信はしていません。

断言。


だって、

フワフワスピリチュアルでは、
誰も幸せにならないもん。


愛に酔っても、誰も幸せにならないもん。


現実逃避しても、なにも解決しないもん。


ということで、

【許す失敗】の続きにいきます。


【私が悪いんです】


これも許す失敗。
これは、まあまあ厄介。

「旦那が不倫したのは、私が悪いんです」

「いじめられたのは、私が悪いんです」


どう考えても、自分は悪くないのに、

「私が悪いんです」と言う。

これが、癖になると、

「ごめんなさい」が口癖になる。


「ごめんなさい」と言えば、誰にも責められないと
わかっていて乱用しています。


なぜ、「私が悪いんです」作戦に出たのか、

その心を明らかにしないと、終わらないです。


相手を責めたり、怒りたくても、
自分にはそんな力はない。と思い込んで、

いつも通りに勇気を出さず、反撃されることや、
その場の雰囲気や空気や人間関係が乱れることを恐れて、黙っている。


怒りや恨みを強く持っているのに、晴らすことも、
解決することも出来ないから、
不満が溜まりまくって、どんどん辛くなる。

許せないという想いに支配されている状態なのに、どうしていいかわからない。


こんな時、人は、

「私が悪い」と思い込むことで、
心を楽にしようとする。


自分が悪いんだから、「人を恨むのは違う」と考え始める。

これをすると、必ず、

自己否定、自己卑下をします。


これに苦しむ。

この苦しみを楽にさせるために、

被害者ヅラをする。


悲劇のヒロインになる。


悲劇のヒロインの自分に酔うことで、
楽になっている気がするからです。


このパターンってあるある。

悲劇のヒロインには、多くのメリットがあるんです。


ここで、しっかり、損得勘定が働きます。


悲劇のヒロインになると、思考停止するし、
現実に霧がかかるから、ハッキリ見えない。

感情が湧かなくなる。


何を感じているかわからない状態って、
苦痛から逃げる為の防衛本能。

これが、長く続くと不感症になるし、

現実、事実を目の前に出された時に、
絶対に直視しなくなる。


「苦悩」や「辛さ」は、自分自身のものなのに、
分離させて、外側のものだと認知している状態。


そして、自分に、

「可哀想に」と思う。

からの、「可哀想だから救ってあげなきゃ」と
考えだす。

これに、酔うんです。

高揚感に溢れるんです。


霧がかかった心に、高揚感が加わると、

人は酔う。


辛い、悲しい、苦しいという感情は、

高揚感に酔っ払うことで誤魔化せます。


ただし、一切、解決はできていません。

酔い続ける為に、

「私が悪い」を繰り返し、
いかなる時も悲劇のヒロイン、つまり、

被害者ヅラをしないと、

ロジックが成り立たないから、

被害者ヅラが出来ることを選択する。


だから、自分の人生を自分で選ばない。

この記事に繋がります。

「私が悪いの」

という人を責める人はいないし、

なんなら、励ましもらったり、庇ってもらったり、
健気だなと思われたり、

気にかけてもらえる、注目されるというメリットがあることも、悲劇のヒロインは知っています。

周りに肯定されて、自己無価値感を満たしてもらえる手段に使うんです。


これ、癖になる人がほとんどだから、
いつも無意識で、こうなるように計算している。


選択の基準がこれになる。


でも、これをやり過ぎると、

めんどくさい人です。


会社で上司が注意したときにも、

「ごめんなさい。私が悪いんです。」を繰り返すと、

上司は何も言えなくなるからね。

特に、パワハラだのって騒がれる今、
すぐに「ごめんなさい」と言われたら、
こっちが悪いみたいやん。って思う人は多いからね。

このメカニズムを知らない人は特に。

そして、上司は何も言わなくなる。

なんにも教えてもらえなくなり、
成長しない。


これ、不貞腐れる場合も、
なんにも教えてもらえませんが、
悲劇のヒロインは、不貞腐れません。

あくまでも、

「私が悪い可哀想で救ってあげたい人」なので。

つまり、

「私が悪い」

は、許していないことが明確にわかります。


「私が悪い」なんて、1ミリも思っていないし、ちゃんと、完全な被害者意識で満ちています。



しかし、ここで忘れちゃいけない。

言葉は同じでも、中身が全く違う、

「私が悪い」があることを。


ここの違いがわからないと、

生き辛いです。


偽りの自責思考を、持とうとする。


続きまーす🌹

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