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創作「或る夫人の未来計画」

「もう私にも自由な人生が欲しいのよね」
平日の昼下がり。カップのサイズがSML表記になっているチェーンのコーヒーショップで、私は仕事をしていた。外回りの途中に、遅めのランチを取りながらパソコンを開きメールの返信をしている。
隣には自分の親と同じ世代とおぼしき60代のマダム三人組が座っていた。
狭い店内。人一人通るのが難しいくらいの隙間しかない隣のテーブルで、そんな抒情的というか、諦念をにじませた言葉が聞こえる。
「うちの人、もう早くあの世に言ってくれないかしら」
聞く気もないのに拾ってしまう会話から、なにやら軽い恨み節が始まった。
その世代の人にとっては、お決まりのフレーズのようで軽い笑いと共に、同調の声が重なる。その声が止んだ時、私のちょうど向かいに座っている夫人が声の音量を心持ち落として顔を向かいの夫人に近づけながらこう言った。
「あら、私。来る日に向けて少しずつ準備しているわよ」

準備?反射的にメールを打っている手が止まる。
何?なんのこと?と夫人たちが注目する。私は、隣のテーブルに顔を向けたいのを抑えて、パソコンを凝視しながら耳をそば立てる。

視界の端で捉えたのは、その夫人が自分の胸元を指さしたような姿だった。
「え?そのネックレスがどうしたの?」
ネックレスでどうするんだろう?まさかそれで首を絞めるなんてしたら、準備どころじゃないし。私は、コーヒーカップを手に取り、さして感じないコーヒーの香りを嗅ぐような仕草で、自然に目線を上にあげた。

そのネックレスは、一周が細かいパールのようなもので象られていて、胸元の中央にカメオのような楕円形の飾りがついている。そのネックレスで一体何をどうするかというのだろうか?何かのおまじないとか呪いの類だろうか。それとも、それを飲み込ませて窒息とか。いやいや、それじゃ完全に仕組んでいるだろう。他の二人の夫人も、具体的な方法を思いつかないようだった。
具体的にどうするの?などと尋ねている。その二人と徒党を組みたいくらい私も内容が気になっていた。
十分に周りの注目をひきつけて、ネックレスの夫人は満足したように言った。
「なーんてね。うっそー」

その展開に慣れているのか、その言葉を聞いた途端に緊張がふっと溶け、夫人たちは笑い合った。いやいや、マダムジョークよ。しっかり聞いちゃったじゃない。注目しちゃって挙句放り投げられた私の気持ちはどうしたらいいのよ。まぁ勝手に聞いてたのは私だけどさ。
空気の弛緩を合図に、夫人たちは次の目的地に行くために店を出ようとしていた。ハンドバックや紙袋を持ちながら、狭いテーブルの間を通ろうとしている。

その時だった。カーディガンを羽織り、荷物を持ちトレーを片付ける動きをしながら、その音に紛れてネックレス夫人は言った。
「この中にね、入ってるものを使うのよ。ヒントは毎日の食卓」
その言葉を聞いた瞬間、反射的に顔をあげてしまった。すると、その視線の動きを待っていたかのように、ネックレス夫人と目が合った。
その目はすべてを見透かしているようだった。




<三題噺の練習/40分>
1つ目は『コーヒーショップ』
2つ目は『ネックレス』
3つ目は『嗅ぐ』

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