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創作「夜のはしを捕まえに」

夜に書いたラブレターは、次の日に見たら恥ずかしくてとても渡せるものじゃないとか言う。ということは、恥ずかしさに身悶えるくらい剥き出しの魂と感情が乗った文章が目の前にあるってことじゃないか。その文章を渡す渡さないは別にして。
それってすっごく羨ましい。誰か私にラブレターを書かせてくれよ、と強くキーボードを叩く。叩いたその指をそのままにしておいたから、無意味な「お」が画面上に大量生産されていく。私は指を変え、「お」の連なりを無感情にデリートしていく。

エッセイが一文字も書けない。そうして夜はふけていくばかりだ。
ライターの仕事を細々とやっていて、その側に、大好きな料理のこと、自分で作るものや食べ歩いた店のこと、料理から見えている私の世界をずっと紡いではネット上に放っていった。綺麗に言うとこの文章が誰かの心に響くように、欲を言えば誰かが見つけてくれて評価してくれるように。
その結果、私は願いは届いた。料理店紹介の仕事からスタートして、その派生で料理にまつわるコラムを書かせてもらえるようになった。そしてある日、編集の担当者さんから言われたのだ。
「今度は、料理を通じて野口さんの考えていること、全面に出したエッセイにしましょうか」と。

お店、料理などすでに価値があるものを紹介するのではなく、私のことを書いていい。それは何よりも願った、夢見たことじゃないのか。嬉しさのあまり、鼻息荒く書き始めたのだ。でも、全然書けない。それらしいものは書けてもなんか違うと思って、書いては消し、書いては消しの繰り返しをずっと続けている。
料理のプロではなく、ただ好きで始めたこの仕事。どこの馬の骨ともわからない人間の、思うことを全面に発信していいのか。もちろんそれは、読者にとって有益であることが大前提で、勝手な自分語りをしていいわけではない。でもいざ、それを任された時に私はふと固まってしまった。自分が伝えたいことって一体何?ネットで好きに文章を書き始めたときには出来たことが出来なくなっている。自分の見る目に客観性が生まれたと言えば聞こえがいい。でも、原因はなんとなくわかっている。
手放したくないのだ。今までやってきた仕事を、このチャンスを。
永遠に打席を夢見る方が簡単だ。だって、打席に立つことがゴールで、ホームランを打つことをゴールにしなくていいから。三振することを怖がらなくていいから。
でも、ここでひ弱で置きにいくような文章を書いたら、そこで諦められてしまうのもわかっている。そう、私は今、打席に立っているのだから。球をとらえて前に出すことを求められているのだ。

望む位置に立てたのに、こんな時点で困り果てるなんて、自分の実力なんてたかがしれている。才能ないからとっととやめればいいと、頭の中の自分がささやく。
でも怖がるのは当たり前で、私にとってはこの打席が史上最大で、全てが懸かっている。ひとまずは思いっきりふる。結果はそこからだ。

時計を見ると午前四時を指していた。
「もう四時か」私はつぶやいた。一旦眠るか迷う。

窓を見ると空は、まだ微かに夜の形を保っていた。
もう四時と思うか、まだ四時と思うか。
私は立ち上がってパーカーを羽織った。とりあえずコンビニに行こう。
夜に書くラブレターのヒントを探しに。

<三題噺の練習/40分>
1つ目は『コンビニ』
2つ目は『キーボード』
3つ目は『眠る』

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