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アムステルダム・パリ旅行記      第三話 観光1日目(ちょっと真面目な前半戦)

翌朝、まずは街の全体像を見てみたい、そういう時はクルーズやバス一周に限ります。今回はボートクルーズ観光へ。ちなみに、アムステルダムでは英語で何でも通じますのでこちらの拙い英語でも特に困らないのですが、私はお金というか数字に非常に弱くて、金額を言われた時にお金を理解、計算するのが苦手でまごまごしてしまいますね。というわけでずっと英語でした。最近Duolingoでオランダ語も勉強?してみているのですが、当たり前に使えるわきゃなかったです。ちなみにDuolingoをやってると例文がへんてこで面白いです。Het konijn draakt vier schoenen(うさぎは4つの靴を履きます)とか。

11月のもうかなり冷たい風を切り、ボートは進むよ美しい街。ただ美しいだけでなく、建物が傾いでたり、自転車だらけだったりなのが、どことなくユーモラスで、木々の紅葉と美しさも相まってきどらない美しさを醸してました。(旅行者だから特別夢見がちというか、こちらの思い込みが上乗せされてる部分もあるんですが)。

オランダと言えばこの建物、この鰻の寝床のような間口が細く奥行きが長い建物ですが、当然階段なども狭いので、窓から家財道具を入れる為にロープを引っ掛ける梁が外に突き出ています。

建物はパリの街のような石造りではなく、ブリックと木材でできていて、だから経年でゆがんだりなんだりもあるんですね。表のファサードからは分かりませんが、裏には中庭があって緑豊かだったりするらしいです。いい造りですね、それって。運河は戦後埋め立てようかという話も出たらしいんですが、市民の反対で残されたとの事。町中張り巡らされた運河が、そこここに趣きのある街角を作っています。そして運河に架かる橋には必ずと言っていいほど、自転車がいっぱい無造作に停めてある。というか、本当にそこらじゅうに自転車がある。

というわけで、結構ごちゃごちゃしてるんですが、全体の眺めは好ましく、過度に親切でもピカピカでもないけど、人間中心で出来た生活インフラが合理的だし、普段着のシックって感じです。

美しいですね...こういうところで6時間ぐらい本を読んだり読まなかったりしながらぼーっとしていたい。

ヨルダン地区を抜け、アンネの家を通り過ぎ、はね橋を横目に、ぐるっと回って造船博物館、植物園、美しさと規模で評判高い図書館などを眺めつつ市内一周。

図書館(左)と音楽院。今回図書館は訪れる時間がなかったのが残念。すごい素敵な所らしいので、今度行った時(いつ?)は1日入り浸りの日を作りたいです。

一通り運河の旅を楽しみ、また駅前に戻ってきました。

相変わらずとても東京駅っぽい。

さて、今度はどこへ行こうか。アンネの家に本当は行きたかったのですが、チケットの予約が取れなかったので、ユダヤ歴史博物館の方にでも行ってみようか、確か植物園も近かったし。と、とりあえずその方面を目指して駅前の乗り場から、トラム、路面電車に乗りました。

トラムは非常に便利なシステムで、市内を本当に気軽に移動できます。ただ、自転車もトラムも、歩行者として街を行く時は要注意、歩行者にはちゃんと歩道があるのですが、ひとたび歩道からはみ出ると、もうそこは自転車とトラムが容赦なく行き交う非情の路上。いや、もちろん日本だって車道はそうなんですが、どうも自転車やトラムにはガードが甘くなって、どんくさい私たちは最初何度か轢かれそうになりました。ちょっとどぎまぎしましたね。しかし、流儀を把握してみれば、歩行者も自転車もちゃんと専用道が確保されているし、トラムと自転車の発達で、そもそも車がとても少ない。慣れてみるとかなり快適にできている気がします。車椅子の人は自転車道を使うようです。

自転車専用道路のマーク。ここをうっかり歩いてたら、もう大変です。容赦ないです。

トラム乗り場ではちょっと戸惑いましたが(どこの岸にどの番号のトラムが来るのか分からず、しばらく悩みました。結局、来たトラムの番号を見て判断し、あわてて飛び乗りました)

乗り場。

中はこんな感じです。

さて、トラムに乗って10分ほど。まずはユダヤ歴史博物館に来てみました。

入り口こんな感じです。ちょっとわかりにくい。

受付で「日本語が話せるスタッフがいるから待っててね」と言われ、待ってますと女性が来たので「館内を案内してくれるのかな」と期待に満ちておりましたら、微笑みながら「ここにコートをかけてここから入ってね」と目の前にあったコート掛けを案内してくれただけだったのでちょっと肩透かしだったのですが、とにかく中へ。

オランダのユダヤ人が労働の努力を積み重ね、ピラーソサエティと呼ばれるオランダ分権社会の中で自分達の居場所を作って商売、文化、芸術、政治を発展させ生活していく流れと、その営みを全てひっくり返され迫害された歴史の暗転が円形の博物館で順を追って解説されていました。第二次大戦前、オランダには14万人ほどのユダヤ人がいたそうなのですが、ホロコースト後は3万人。11万人が殺されたり国を追われたのです。

アウシュビッツで亡くなった画家、シャルロッテ・サロモンの作品。ナチス迫害下の人々の生活をみずみずしい感性で繊細に、そしてするどく描いた彼女は26歳で妊娠中にゲシュタポに隠れ家から連れ出され、アウシュビッツに着いたその日に殺されたそうです。スーツケースいっぱいの作品を残して。こちらのページで画家の藤井建男さんという方が彼女の人生について解説しています。とても、とても悲しいです。自由に絵が描ける、筆を動かし、あるいは言葉を紡いだり、あらゆる手段で、自分の見た世界を表現する事が妨げられないという事が、もっと言えば、自分の目で世界を見るという事自体を妨げられない事がどれほど大切でまた儚いか、もっと考えねばいけませんね。

共存していると思っていた隣人から迫害された恐怖や絶望感(それがどれほどだったか、想像するに余りあります)から戦後もオランダに戻らなかったユダヤ人も多いという事ですが、残された人、戻った人達はやはり希望を捨てず、またこの地で居場所を作っていこうと努力し、このような博物館を作ってその歴史をきちんと残し伝えようとしているわけなのですね。アンネの生家を訪ねられなかったので何の気なしに訪れた博物館ですが、非常に考えさせられました。自分達の国がないという事がどれほど不安定で恐ろしいかを身をもって知ったユダヤの人々が、イスラエルを作り、そこで現在起こっているのはパレスチナ人の迫害だったりもするのでやりきれないです。世界というのはとても複雑で矛盾に満ち、苦悩が深いです…。もちろん、自分の国で起こっているあれこれも、他人事ではありません。線を引きあちら側こちら側とした時から、迫害まで道は一直線につながっている、という事を考え、あらゆる個が、憎悪と無関心の壁の中の「塊」にならぬよう、個として生き、お互いを尊重する心を育てていかないといけないですね。


博物館のそばにはオランダで一番古いシナゴーグもあり、そちらも見学してみました。キリスト教の教会とはまた違う雰囲気の美しい建物でした。

いつの世も人々は平和を祈り、そしてなぜかいつの世も争いがなくなりませんね。しんみりしつつ、次回へ続きます。

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