見出し画像

映画「流浪の月」に寄せて

雨そぼ降る朝。バスと電車で出かける。自転車が乗れないだけで不自由を感じる私は、普段どれだけ自転車に依存しているかを痛感する。自転車だとひととすれ違うことに苦痛を感じないで済むという、その点がどれだけ私にとって重要か、思い知る。被害に遭う前は、ひととすれ違うことにとりたててストレスを感じた覚えはなかった。でも被害に遭ってからというもの、誰かが隣に立つ、誰かが後ろに立つ、というだけで悪寒を覚える。でもそれは日常的に在ることであって、何も特別なシーンでも何でもないのだ。だから毎度毎度悪寒に襲われるというのはストレス以外の何者でもない。逃げられない、というその一点が、私を怖がらせる。逃げても抵抗してもあの時のように組み伏せられるのがオチ、と、痛烈なまでに身体が知っているから、身体が凍り付いて動かなくなる。こればかりは、体験を経た者とそうでない者とでは、どうやっても異なるんだろう。理解し得ないだろう。だから、ふだん口に出したりはしないけれども。でも。自転車に乗っていれば。少なくとも逃げ出すことができる。それがどれほどに私を勇気づけることか知れないのだ。
朝一番の用事を終えてから急いで映画館に滑り込む。今日はどうしても観たい映画があってひとりで映画を観る。
映画「流浪の月」。俳優・広瀬すずと松坂桃李が主演の映画で、広瀬演じる更紗は何故警察で受けてる性被害を告白できなかったのか(それができていれば松坂桃李演じる文は犯罪者にならずにすんだ?)とSNS等で批判が出ていたのが少し気になっていたのだが。いやあれはふつうに言えないだろと私は感じた。言えば文は救われたはず、と世論はそうなるのだろうけれども、更紗もそんなことは百も承知だったのだろうけれども、それまで更紗がどれほど性虐待に晒され痛めつけられてきたのか。大人になってもうなされ続けるほどに深く深く傷ついた更紗に、それでも秘密を告白してひとを救えよ、なんて、私はとてもじゃないが言えなかった。ああ、世論はまだ、そういうところにいるのだなぁということをむしろ逆に強く思い知らされた。
そんなことは脇に置いておいても、役者の、役者たるゆえんがいかんなく発揮されていて、見応えがあった。役にぎりぎりまで沈み込み、浸り込み、広瀬も松坂も、他の演者たちもみな、ぎりぎりまで自分を削り役にのめり込み、演じた、そういうぎりぎりの軋音のようなものが画面いっぱいに張り詰めていた気がする。
内田也哉子演じる文の母親のあの、眼を決して合わせないあの横顔。たまらないものを感じた。あの母親に、私は、かつての自分の母を重ね合わせずにはいられなかった。僕を見て、こっちを見て。あの言葉は、私は言いたくて、でも、言えなかった、そういう言葉たちだった。だから観ていて、他のシーンよりずっと、胸に突き刺さった。自分だけオトナになれない、と絶望的に振り絞られたその言葉に、改めて、「ただふつうに生きることができる」幸せを、思い知らされた。
それにしても、映像が実に美しかった。絵画的、といえばいいのだろうか、映画というよりも場面場面が美しい絵画のような、その連なりのような。絵画的な映画、だった。色のトーンも一律に落ち着いて何処か水面を思わせるような穏やかさで、観る者にひたひたと迫って来るものがあった。
重たい映画だ、という評もあったけれど、わたくし的には、絶望の先にこそ真の希望がある、という自分の座右の銘に通じるものがあって、最後、静かな気持ちで観終えることができた。原作をぜひ読んでみたい、そう思えた。
日常に舞い戻って来た私には、たとえば家人と息子と当たり前にご飯を囲むこと、当たり前に本屋に立ち寄ること、当たり前にスーパーに立ち寄りパンを買うこと、そういった、どうということのない、何の特別さもないような場面場面が、実はどれほど尊いものであるのか、を、考え立ち止まらずにはいられなかった。当たり前は決して当たり前などではないのだ、と、日常はささやかな特別がいつだって連なっているものなのだと。映画はそのことを改めて、私に問うてきた。
そういえば昔、レオス・カラックス監督がこんなことをインタビューで言っていた。映画は、ひとが十年かかって気づくことを、一瞬にして提示することができる、と。恩師にその言葉のことを言ったことがあって、その時恩師は、十年かけて気づくことの意味を考えろ、と、そんなことを言っていた。
今改めてその言葉を振り返る。十年かかって気づくことを一瞬にして気づかせることのできるものが映画であり、その十年というのは途方もない日常の、ささやかな特別の連なりである日常の、積み重ねであったはず、と。そのことを、今改めて、思う。

2022/05/16 記

ここから先は

0字

よかったらサポートお願いいたします。いただいたサポートは、写真家および言葉紡ぎ屋としての活動費あるいは私の一息つくための珈琲代として使わせていただきます・・・!