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「なにもかも話してあげる」

なにもかも話してあげる
 と、
憂いで潰れた眼差しの 中年をとうに過ぎた女が云う
わたしがまだ物心つかぬうちから受けてきた傷の全てを
話してあげる、なにもかも
 と、
疲労にまみれた私に云う
その彼女の話を聞き得る耳が、私にまだ
残っているのかどうかを尋ねもせずに、その女が
云う
彼女の口から零れてくる言葉の合間合間に
時折掠れ声が混じり、また
その哀れな人生にみずから涙を零しながら
 私は、
耳を塞ぎたい衝動を抑え込みながら、
何とか耳を傾けようと試みる、彼女の眼をみつめながら
けれど彼女の眼は私を通り越して
遥か彼方の過ぎ去った時間をぼんやり見やっている
交差もできない互いの視線が
二人の間で宙吊りになっている
彼女はそれでも語り続ける
思うに任せて喋り続ける、その
永い永い時間は 一体いつ終わりを迎え得るのだろう
私はふと、そんなことを想う
まだ終わらない人生に、彼女は
自ら刻みつける、自らの言葉で、声で
悲惨と残酷という文字に 気づいているのだろうか
私にいくら 全てを話し得たとしても
何も変わることはないのに
それを知ってか知らずか
彼女は今も、喋り続けている、私のこの
とうの昔に破れた鼓膜に向かって

―――散文詩集「傾いた月~崩れゆく境界線」より

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