2010年04月23日(金)
目を覚ますと、何かが動く気配がしている。起き上がって見てみると、ゴロが音もなく回し車を回しているところで。おはようゴロ。私は声を掛ける。それに反応して、ゴロがすっと回し車を降り、後ろ足で立ってこちらを見上げる。そのちょっと惚けたような表情がなんともかわいい。私はその頭をちょこちょこと撫でてやる。
窓を開けると、湿った冷気がそこに在った。すっかり湿って、もしこれをタオルにして絞ったらぐっしょりと雨水が垂れてきそうな気配。何だろう、雨が嫌いなわけじゃないけれども、このところちょっと閉口している。憂鬱にちょっと似ている。
街路樹の新芽もたっぷりと濡れており。私は手を伸ばしてそれに触れてみる。指で弾くと、ぽろろんっと雫が落ちた。新緑にとってこの雨はどうなんだろう、嬉しいんだろうか、それとも厄介なんだろうか。雨は雨で嬉しいかもしれないが、やっぱりそれよりも、お日様の光が恋しいに違いない。私も、恋しい。
イフェイオンの枯れた花殻を摘む。すっかり茶色くなって、萎れたそれは、ひとつの命を全うした証。ひとつひとつに、今までありがとうね、と声を掛ける。今もしプランターを二つに割ったら、土の中はどんなふうなんだろう。球根は、どこまで大きくなっているんだろう。それとも、今はひとつの役目を終えて、くたびれているところか。
パスカリとマリリン・モンロー、その他幾つかの薔薇の樹に、粉の噴いた葉を見つける。懲りずにまぁ何度も何度も粉を噴くもんだと思いながら、これもまた懲りずに、私も葉を摘んでゆく。先日石灰を撒いてはみたのだが、効果という効果はまだ見られない。
ベビーロマンティカとマリリン・モンローの蕾はそれぞれ、日々膨らんできている。今朝もそれをじっと見つめる。しんしんとそこに在る蕾。生命の塊。マリリン・モンローの蕾は微かに中の花弁の色が見え始めている。本来薄いクリーム色をしているのだが、今ここに見えるのは、白く透明な花弁の色。これから徐々に色づいていくのだろうか。不思議な気がする。
部屋に戻ると、テーブルの上、昨日作った胡瓜と若布の酢の物がそのまま置きっぱなしになっていた。しまうのをすっかり忘れていた。私は小鉢に移し、ラップをかけて冷蔵庫にしまう。娘の大好物、朝食のときに出してやれば喜ぶだろう。
何となく胸の辺りがずっとざわざわする。落ち着かない。
私は顔を洗い、鏡の中を覗く。少しいらいらした顔がそこに在った。いらいら、じゃないかもしれない、いがいが、かもしれない。うまくまだ表現ができない。
目を瞑り、内奥へと沈んでゆく。
いがいがは、そこにも在った。いがいが、いらいら、どちらがよりぴったり来るだろう。私はしばらく考える。やっぱりいらいら、かもしれない。もどかしい、にも似ている。
もう喉元まで何かが出掛かっている、でもまだ出てこない、そんな感じがありありとしていた。私はしばらくそれを傍観する。
あぁそうか、私は、もし私がそれをはっきり言ってしまったらどうなるんだろう、と、それが怖いのか、と思った。そうだ、それが怖いのだ。もしそうしてしまったなら、どうなってしまうだろう、と。だから、それを為しきれずに、いる。
そのもどかしい感じ、いらいらした感じが、ここに在るんだな、と思った。これがなくなったら、私はどんな感じだろう。いい感じだろうか。うん、そうだ、すっきりして、空間ができて、いい感じになる。じゃぁこの感じは今、私に何をしてほしいと思っているんだろう。
柵を、作って欲しいんだな、と思った。そうだ、境目を示す柵を、作ってほしいと言っているんだ。確かにここには柵も何もない。無防備だ。でもそれじゃぁ、堪えられないと、このいがいがは言っているんだ。
分かった、じゃぁ柵を立てよう。私は声に出して言い、作業を始めた。少し高めの柵を、作っておこう。また必要がなくなれば切って捨てられるように、木製の、少し高めの柵を。
大丈夫、もうあなたに、むやみに触れてくるものはないよ。あなたがどういうところで不快になるのかも分かったから、私自身気をつけることができるし、柵も作った。とりあえず、これで大丈夫、だよね?
いがいがは、ようやくほっと一息つけたようで。さっきのようないがいがさが消えてなくなる。少し歪な、大きな石のようになって、そこに在った。
この石がなくなったら、私はどんな感じだろう。いい感じ? そう、いい感じがする。じゃぁこの石をどけるためには、私には何ができる?
私に今できるのは、或る程度の遮断をすることか。そうか、そうなんだな、と思った。この石は私のもので、他の誰のものでもない。私が傷つけるならまだしも、他人に傷つけられたくは、ない。そうなんだな、と思った。
私に今すぐできることといえば、この石にカバーをかけて、そっとしといてやることだ。私はとりあえず、足元に在った布を、思い切り広げて、石に掛けてやることにした。
すると、それだけで石はずいぶんほっとしたのか、大きさがひとまわり、小さくなった。私の喉元を押し潰さんばかりに大きかった石が、ひとまわり小さくなって、私の喉には風が通るようになった。
石は私の喉の全体じゃなく、一部を占めるものに変わった。
私はその、流れる風をしばらく、感じて過ごした。
この風は、強すぎても弱すぎてもいけないんだろう。このくらいの風がちょうどいいのかもしれない。
私は、立ち上がり、また来るね、と石に挨拶をしてその場を後にする。今度来るときには、自分の中のあのいがいがだったものをもっと見据えて、それから来ようと思った。
「悲しみを理解するにはまず、人はこの自己憐憫に気づいていなければなりません。それは悲しみの要因の一つなのです」「自己憐憫を見なさい。それに打ち勝とうとしないで、それを否定して、「それに対して私はどうすべきなのだろう?」と言わずに。事実は自己憐憫があるということです」「ただそれを見るのです。そのときあなたは自己憐憫がどこにも存在しなくなることを見るでしょう」「人は独りaloneであらねばなりません」「苦しみを〔真に〕苦しみ、理解するには、それを見なければなりません。逃げ出してはならないのです」「もしもあなたが悲しみから自由になりたいと願うなら、逃げるのをやめて、判断も選択もなしに、それに気づいて〔感じ取って〕いなければなりません。あなたはそれを観察し、それについて学び、その奥深い複雑さをすべて知らねばなりません。そのときあなたはそれにおびえることがなくなり、もはや自己憐憫の毒はなくなるのです。悲しみを理解することによって、それからの自由が生まれるのです。悲しみを理解するには、それを実際に体験することが必要です。悲しみについての言語上の虚構〔=観念〕ではなくて」「私が苦しみを理解したいと思うなら、完全にそれと一つにならなければならないのではありませんか? それを拒絶したり、正当化したり、非難したり、比較したりすることなく、それと完全に一つになって、理解するのです」「苦しみは苦しみなのです」「人が苦しむとき、人は苦しむのです」「苦しみは現実のもので、私たち皆がもつものですが、その理解には並々ならぬ洞察と眼力が必要なのです。そしてこの苦しみの終わりが自然に平和をもたらします。内部的のみならず、外部的にも」
穴ぼこは、しんしんとそこに在た。私はおはようと挨拶する。穴ぼこはちらりとこちらを見たようだった。
穴ぼこは、流れてくる微かな風に、自分の身を晒しているようだった。それはきっと、穴ぼこにとって、久しぶりの心地よい風のはずだった。もう長いこと、そんなふうに風に身を晒す余裕などなく、過ごしてきたに違いなかった。
ふと思った。ここは肥沃な土地だ、と。きっとそうに違いない、と。もし適度な風や温度や、陽光がここに在ったなら、草木が自然に生えるはずだ、と。
そうか、ひとつとして、無駄なものはないんだな、と思った。ごぼごぼも、残骸も、これからまた、草木の肥やしとなって、生きるのだ、と。
それはある種の感動だった。命はそうやって繋がってゆく、ということを、目の当たりにした気がした。
そうか、じゃぁ私が今為すことは、この土を耕すことなんだな、と、納得がいった。
もちろん、これからもまた、ごぼごぼが現れるかもしれない。残骸でここはいっぱいになるかもしれない。でも。
そのたび私は、耕していけばいいんだ。この土の生命力を信じて、耕し続けていけばいいのだ。
何ひとつ、無駄なことなんて、なかったのだ。
なんだか嬉しくて、嬉しくて嬉しくて、涙が出そうだった。私は穴ぼこに近づいて、そっと穴ぼこを抱いた。ありがとう、分かった、これから私はここを耕してゆくよと約束して。
ママ、この漫画に出てくるピアノの曲、弾いた? うん、弾いた。どんな曲、激しくて悲しい曲だったよ。荒れた海の波に似ている。ふぅん。どうしたの? ん、いいなぁと思って、ママはピアノが弾けるから。うーん。ママ、三歳からピアノやってたのに、どうしてピアノの先生にならなかったの? うん、そうだね、ピアノの先生になりたいなぁって思ってたこともあったよ、でも、できなかった。ピアノ、どうしてやめたの? ピアノの発表会の直前にね、手が動かなくなったことがあってね。なんで? 何でだろうねぇ、そういうことがあったんだ、それからほぼ一年、手がほとんど動かなくなって、鉛筆を持つことさえままならなくなった。そんなことがあるの? うん、あった。それから、徐々に徐々に、ピアノから遠ざかっていった。ピアノまた弾きたいって思わないの? 思うよ。でもね、もう、なんか、違うんだ。ここにはピアノがないし。この電子オルガンあるじゃん。うんそうだね、でもね、ピアノと違うんだよ。感触が違うの。音色が違うのはまだしも、指に触れるこの感触がね、猛烈に違うんだよ。これはママのピアノじゃぁ、ない。…なんか、難しい。そうだね、ははは。
じゃぁね、それじゃあね。学校、頑張ってね。あなたもね。手を振って別れる。階段を駆け下り、バス停へ。どうもバスが遅れているらしい。二台分くらいの待ち人が並んでいる。みな背伸びして、バスがやって来るはずの方向を、見ている。
ようやくやってきたバスに乗り、駅へ。粉のような雨が降っている。
人ごみを抜け、駅の向こう側へ。そうして橋を渡るところで私は少し足を止める。
濁った暗緑色の川が、そこに在った。この川の上流では、雨が激しく降ったのかもしれないな、と想像する。山を下り、野を駆け、ここまで流れてきた川。やがて海へと注ぎ込む。決してとまることなく、そうして流れ続ける。
一日一日新しく生きるというのは、なんて難しいんだろうと思う。それでも。
そうしていきたいと思うことを、やめたくは、ない。
さぁ、今日もまた、一日が、始まる。
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