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ビートルズの宗教学

宗教の中にいて宗教を分析することは不可能だとローマ人の物語を書き続けた塩野七生女史は語っている。多くの欧米人はローマ人を異教徒と見ているフシがあり、ミラノ勅令にてキリスト教を国教化したのちにもローマ人はキリスト教を迫害をし、キリストを殺した人々として弾劾される。

私は父方が長崎のカトリックの家系なのだけれど、多くの人はそれをとてもロマンチックで西洋的なものとして捉えていることとに違和感を覚えてきた。
少なくとも私の触れてきたカトリックはとても泥臭い。イエスさま曼荼羅もあるし、黄土色の太いお線香を夜通し上げたりする。遠藤周作氏がスコセッシ監督により映画化された「沈黙」など、多くの小説の中で潜伏キリシタンについて描いてきたがそれも少し違和感がある。
おそらく遠藤氏にとって同じ日本のクリスチャンとはいえ、潜伏キリシタンは他者なのだろう。

私の感覚としては、私が触れてきた長崎のカトリックは田中小実昌氏が牧師である父田中遵尊について書いたアメン父のなかのアサ会に近い。
アメリカ南部ではダーウィンを否定するほどの過激派キリスト教が存在し、保守である共和党の政治家や軍人を多く出している。そのバブテストに始まりを持つ私の母校のなかでも、アサ会はひと悶着あったらしく、それでも彼らは学内に社を作り、信仰を守り続けた。戦後には美しいチャペルや建物が立ち並んでいたけれど、私はそれらの中で祈ってもどこか落ち着かず、ヴォーリズによって建築され、ヘレン・ケラーやリンドバーグ訪れ、今は博物館となっている旧チャペルや、ともすると戦中に建てられたお社のほうが心が安らいだ。

日本人は神道のお正月を祝い、七五三に詣で、キリスト教のクリスマスを家族や恋人と祝い、 仏教のお寺で埋葬される。
宗教に対して節操がないと揶揄されるが、私はそうは思わない。
もともと神道は八百万やおよろずの神がひしめく多神教だ。ヒンズー教は真言宗として平安貴族たちの間で新興宗教として流行し、キリスト教もネストリウス派の景教といて長安から日本にもたらされ、法隆寺のあちこちにその名残があり、聖徳太子はキリストであるという説すらある。(日出処の天子の元ネタの隠された十字架より)
長崎の平戸などを歩いていると、多くの寺も混在していて、キリスト教も仏教のような外来の宗教のひとつとして受け入れられた印象がある。

日本という世界の最果て、そこから先は海ばかりの何もない終わりの地だからこそ、あらゆる流れついたものを受け入れる必要性があったのかもしれない。多くの宗教、価値観が混在する世界こそ、私はジョンがヨーコと夢見たイマジンの世界で、それは絵空事ではなく、私は幾多の革命によって成し遂げられるものではないかと思う。ジョンがヨーコと共に日本で靖国神社を詣でている姿や写真にも残っていて週刊誌にも掲載された。

多くの人が神道を勘違いしている。明治以降の革命政府が作り、軍隊を強化した植民地を持たない国家プロイセンを主とした列強を真似た一神教とごっちゃにしている。
確かに現在でもWASPなど白人のアグロサクソンでプロテスタント、金融やハリウッドを司るユダヤ人など世界をリードし続けているのは一神教の神々だし、彼らに異を唱えて攻撃をし続けるイスラムの人々も、一神教である。というかキリスト教もユダヤ教もイスラム教も神は同じヤーヴェ、エホバと呼ばれる嫉妬深い神だ。他の神や偶像すら許さないし、言うことを聞かないとあっさり洪水で全滅させるし、海を割って異教徒たちをのみこんだりする。植民地において宣教しつつ異教徒は殺して良いと支配を進めた彼らが、戦争において米国内のドイツやイタリア人はスルーしたのに日本人だけを収容所におしこんだり、実験と称して原爆をニ発も落としたのは当然のことなのだ。
戦争し、侵略し、大量殺人の後に占領し支配するのは一神教である。

それは神話の時代からこの日本の地に根付いてきた神道とは違う。明治の革命政府によって輸入された、戦いのために加工された一神教神道は子どもたちを一つの学校に押し込み、兵士として次々に若者を大陸に送り込んだ。仏教と神道と混じり合った神社は廃仏毀釈として叩き壊され、その寛容さとあいまいさを排除された。今日の学校教育が行き詰まっているのも、その始まりを考えると無理もないことで、コロナの今はイリイチの唱えた脱学校化のチャンスだとも言える。

ジョンが愛するのは紛れもなく、明治革命政府以前の穏やかな神道の世界だ。それは革命によって成し遂げられるものなのか、戦わずともただ、感じればそこに多くの神々の息吹や気配を知ることができるものなのか。私は両方だと思う。彼は俳句を愛したが、俳句は自然の草花や森羅万象の中のひとつひとつに神を見出すアニミズムを感じる。

私が思うにカトリックは一神教ではない。一神教の厳格な父が控えているけれどあくまで控えていて、全面に出てくるのはマドンナ、聖母マリアさまだ。字も読めないゲルマンの人々には、言葉は光であると言ってもなかなか伝わらない。やむなく禁止されていた偶像を使うが、処刑道具に打ち付けられてやせ細った男性の遺体の像よりも、若く美しく清らかな女性のほうが人気を博したのは想像がつく。そしてそれは土着の冬至を祝うまつりを結びついたクリスマスや、日曜日を祝日とする太陽信仰のミトラ教と相まってどんどん変化していった。

ミラノの大聖堂の前に立ったとき大量に突き出た尖塔に無数に突き出ている守護聖人たちの像に圧倒されたが、もうこれは多くの信仰対象を抱えた多神教だといっても良いだろう。そういえば祖母から子どもの聖書絵本やメダイや聖句カードとともに贈られた「イエズス様のお友だち」という本にも多くの聖人の逸話が描かれていた。ああ、ここに祖母を連れてきたかったと、新婚旅行で私の写真を撮りまくってる夫をよそに涙してしまっていた。

ポール・マッカトニーは2013年の来日のコンサートで東日本大震災の被災者と遺族のためにレットイットビーを歌った。この曲は日本人には人気があり、下手するとイエスタディよりもレット・イット・ビーのほうが馴染みがあったりする。それは日本に入っててきたカトリックと、ポールのカトリック寄りな世界観と相性が良いからだと思われる。
彼は英国人として父の英国国教会のマッカートニー家の人間として生まれたが、お母さまのマリーさんがアイルランド系で、カトリックの影響が強い。レット・イット・ビーはまさに母マリーさんを歌っているし、ビリー・プレストンの弾くキーボードはゴスペルと呼ばれる黒人霊歌、まさに虐げられた人々のためにあった初期のキリスト教の迫害と救いを思わせる。それは潜伏しながら形を変えながらサヴァイブしてきた我が国のキリシタンをも思わせる。

ジーザスクライストスーパースターというミュージカルがあり、これは賛美歌がロック調で歌われ、憐れみを求め群がるる信者たちがヒッピーをキリストがジョン・レノンをマグダラのマリアがヨーコを、ユダを始めとする、裏切るまでにキリストを愛する弟子たちがバンド仲間たちと重なる。

実際にジョンはキリストに似ている。
キリストは、当時、一部の祭祀や上流の知的階級、支配階級に限られ、政治の手段とされていたユダヤ教を、一気に虐げられている民衆にこそ神の愛を広げ、人々をつなぎ、世界をひっくり返してしまった。圧倒的な人気を誇り、危機を感じた支配層のローマ人達によってユダヤ人の王と揶揄されてピラトの手で処刑された。
弟子たちによってキリスト教が作られたが、イエスさまがキリスト教を作りたかったかは謎で、彼はユダヤ教の改革者くらいのつもりできた気がする。
たぶん、自身の神格化を知ったらビックリするのではないか。

天上にいる神に肉を与え、神が私たちの中に降りてきたのだ。カトリックの信者たちはミサのたびにキリストの体としてパンを食べ、キリストの血としてワインを飲む。

ジョンも痛烈にキリストやキリスト教会や神を批判し、その様子は神は死んだと唱えるニーチェのような哲学者のように見えるが、戦争を繰り返す一神教の作り出した世界に異を唱え、平和を我等にと唱える姿は、祈りを人々に受け渡して世界をひっくり返したキリストの方に近い。

アビーロードの最後締めくくる、「ジ・エンド」の中で、あなたが受け取る愛は、あなたが与えたもの。とあるが、これは聖フランシスコの祈りの一節に似ている。

アッシジの聖フランシスコもまた、豪奢なローマ・カトリックに対して清貧を貫いたロックな修道士である。
彼は特にあらたな宗教を立ち上げるわけでなく、修道会の立ち上げにとどまったが、彼の生き方はイエスさまの、ジョンの生き方にもどこか似ている。

ジョンの、神を否定し、自らが神話になるような生き方は、父のアルフレッドへの不信や、、母からの愛情不足による補完なのだと思う。父を殺し母と交わるオイディプスをフロイトがとりあげ、村上龍の「愛と幻想のファシズム」で引用され、エヴァの元ネタとなったけれど、「マザー」や「ゴッド」を聴いていてもそんな葛藤が垣間見えている。
「ハッピークリスマス/戦争は終わった」はそんな神/父殺しのあとの神なき世界への鎮魂歌に聞こえる。

ポールは両親から愛され、キャリアウーマンでありながら完璧な主婦でもあったマリーさんが信仰したカトリックの中に安寧を見出している。
ただ、形骸化した英国国教会のに対する憂いもエリナリグビーの中で歌っていて、父の宗派でなく、母の宗派に近いのはそのためかもしれない。
そもそも聖教会、英国国教会は王が愛人と浮気して離婚したく、離婚を許さないカトリックから外れて作ったものだ。

それでも、ジョン、ポール二人の思い出の中には子どもの頃の教会の思い出があり、ジョンは教会系の孤児院の思い出を「ストロベリー・フィールズフォーエバー」で歌い、ポールはこれも教会が組織する救世軍のイメージで「サージェント・ペパーズ」を作る。
そもそもジョンとポールが出会ったのもリヴァプールの教会のチャリティステージだ。


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