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「エール」と「ダブルファンタジー」分断の壁に風穴を開ける力

朝ドラ「エール」が最終回を迎えましたね。私はここにきて、もう出番はないと思われた志村けんさん演ずる小山田先生の無邪気な笑顔、海辺で二人で戯れる裕一くんと音ちゃんに大号泣でした。
作曲家、古関裕而さんをモデルにした音楽のテーマにも共感したり、朝ドラのお決まりのお説教臭さや、努力の押し付けも感じれず、見ててラクでした。音ちゃんのキャラ、朝ドラにしてはわりかし強烈だったのでよく炎上しなかったなあとヒヤヒヤしましたが、これも二階堂ふみさんの魅力と静に徹した窪田正孝くんのサラリと受け止める呼吸が微笑ましかったからでしょうね。

大河「いだてん」と共に2020オリンピックに合わせて作られたはずの「エール」のドラマ。それがコロナ禍の猛威に晒されて撮影休止になり、話数もだいぶ削られたようで最後の駆け足&切り貼り感は避けられませんでしたが、こんな思いのままに行かない現実の状況の中だったからこそ、私たちの生活に「エール」応援が必要だったのではないでしょうか。
それは戦時下や戦後、古関裕而さんの戦時歌謡や「鐘の鳴る丘」、「君の名は」、「長崎の鐘」で人々が勇気づけられたことにも通じると思います。


このコロナ禍で命を落とされた志村けんさん演じる小山田先生(山田耕作さんモデル)からの手紙は思いがけずのサプライズでした。

ドラマと史実はどこまで一緒かわかりませんが、主人公の裕一くんは音ちゃんの尽力と小山田先生の鶴の一声で、コロンブスレコードの採用が決まります。
世界的作曲コンクールで2位を受賞し、ヨーロッパに留学資格を得て、ストラビンスキーに絶賛される裕一くんの新聞記事を眺めていた小山田先生の迫力は志村けんさんの役者としての力や本来の彼の姿を現れていたような気がします。裕一くんは作曲家として無事に採用されたもの、そこはクラッシックの赤レーベルでなくて、大衆歌謡の青レーベル。クラッシックを愛していた裕一からすれば本意ではないのですが、これも名家を棄てて駆け落ちするほど愛する音ちゃんとの生活のためにやむなく受け入れます。どうやら、この青レーベルでの採用にも小山田先生が関与していたらしく、大衆歌謡に慣れない裕一くんはクラッシック風の音が行き来する難解な手法やメロディが邪魔をし、次々にプロデューサーから没を食らいます。そんななかでこじらせた彼はガチガチのクラッシックの大作「反逆の歌」を作曲しますが、小山田先生に、で?と一蹴されます。これ、裕一くんを鍛えていた愛のムチというわけでなく、どうやら後進の若手としての彼に怯えた、小山田先生の嫉妬だったようです。当時からソコはオペラ歌手三浦環さんがモデルの双浦環さん(演ずるのは柴咲コウさん)に指摘されていましたが、最終回では先生本人の告白という形で嫉妬の感情が吐露されていました。

告白は音楽を愛するが故の嫉妬を持つ己の弱さを懺悔し、謝罪したもので、そこにはサリエリに近い共感と説得力がありありました。裕一くん、子どもの頃から自分の恵まれた境遇や才能に無頓着だったしね。アマデウスさんほど無邪気に煽ってはこなかったけど、皆に気遣われてるのに自分ひとり苦しんでる感を醸し出すのが周囲を苛立たせていましたし。

小山田先生は裕一くんの才能を怖れて大衆歌謡に落としたつもりでしたが、裕一くんは音ちゃんや友達の励ましを得て、人々の心の支えになる曲を次々に生み出します。彼にとってはクラッシックも大衆歌謡も変わらず、それは人を勇気づける音楽であり続けたのです。
クラッシックの作曲家としての立場に固執し、怯えた小山田先生と、音楽ジャンルにこだわらず、クラッシックの手法を使いながら大衆歌謡を次々にヒットされて皆に愛された裕一くん、2人は色んな意味で対照的です。
それは早稲田大学のいくつもある応援歌の中で、小山田先生こと山田耕作さんが作った応援歌よりも、裕一くんこと古関裕而さんが作曲した「紺碧の空」の方が現在に至っても歌われ続けていることにも表れています。

私たちが小山田先生の嫉妬を憎めないのは、亡き志村けんさんの演技もありますが、それが、私たち自身の現実でもあちこちにみられる風景だからではないでしょうか。
人は、歳を取ると、もしくは新しい知識をアップデートせず昔の知識だけの無知のままでいるとそれまでのジャンルやカテゴリーの壁に固執して動けなります。そこにこだわらずに風穴をあけて、ブレイクスルーする若い力は多くの人たちに支持され、心に残り、既得損益に沈む保守勢力には大きな脅威になります。怯えるのは、いつも古い勢力の年寄りたち、もしくはそんな年寄りたちに扇動された無知なひとびとです。
逆に本当に極めた方とお話していると、知識が豊富なゆえの自由さ、年齢関係なく新しいものにも好奇心いっぱいでワクワクしてあるのを感じます。豊かで自由な人はいつまでもお若いのですね。

今年2020はジョンレノン生誕80年であり、没後40年、ファンにとってもメモリアルイヤーになります。
日本人女性の前衛アーティスト、オノヨーコさんとの出会いと奇跡を描いた展覧会も催され、好評を博しているようです。
音楽や洋楽に詳しくないひとでも知っている「イマジン」は世界が危機に陥るたびに世界中で、歌われます。
湾岸戦争のとき、911テロのあと、パリの暴動のとき、今回のコロナ禍の時、、
日本で疫病が流行るごとに登場する妖怪アマビエが話題になりましたが、イマジンも危機を救うために復活するので似たようなものだなとおもったり。妖怪ではないけど。

ジョンとヨーコの愛がひとつの象徴になのは、そこに色んな壁を乗り越える、自由な力があるからでしょう。
わかりやすい例としては人種。ヨーコさんは安田財閥直系のお嬢さまで、ジョンは荒っぽい地方の港町リヴァプール出身のミュージシャンですが、少なくともパッと見は、白人男性と有色人女性のカップルです。彼らが出会った60年代はほんの数年前までたとえばアメリカ南部では白人と有色では生活圏が分かれ、バスはそれぞれ専用のものがあり、コンサート会場すら仕切りがあったことを考えると、2人の結びつきが世界に大きな衝撃を与えたことは想像できます。

ジョンのバースデーにリマスターされて公開された映画「イマジン」を見てきましたが、前衛アーティストとしてのオノヨーコさんとポップなロックミュージシャンとしてのジョンレノンの魅力が合わさった、不思議な作品でした。
ヨーコさんはジョンをかどわし、ビートルズを解散させた東洋の魔女として、世界中からさんざんバッシングを受けましたし、ヨーコさんサイドのほうも、なんか一族の変わり者が、変な外人連れてきたなーくらいにしか思われてなかったそうです。それくらい住む世界が違ったのですね。アートの世界からしても、ヨーコさんは前衛アーティストとして芸術家のダリやアンディウォーホル、詩人のアレンギンスバーグとも親交がありましたし、元旦那さまは紫綬褒章をうけた前衛作曲家一柳慧さんです。先にも書いたようにヨーコさんは財閥のお嬢さまですし、特にジョンに近づく必要のない世界の人です。
その彼女が、前衛芸術家から、ジョンのいるポップな大衆音楽に降りてきたこと、ジョンがなによりもそんなヨーコさんを面白がり、惹かれ、夢中になって、イマジンができたこと。そう考えると、人種もジャンルも性別すら超えて作られたイマジンが世界平和の象徴して人びとをひとつにすることは、きれいごとだけでなく、それなりの理由とパワーを感じます。性別、男女の役割すら、当時ジョンは珍しかった専業主夫になって子育てをしたことで超えたのですから。それが、ただ、愛ゆえにというのは、綺麗ごとでなく奇跡ですよね。

もしヨーコさんが芸術アーティストとしての自分にこだわり、大衆音楽なんて底辺の労働者階級のひとたちの音楽でしょ?、、と馬鹿にしたり、ジョンが、ヘン!スカしたお嬢さまが理解できるほど、荒くれ男のロケンロールは甘い世界じゃないんだよ!女は黙ってやられてろ!とか抜かしてたら2人は結ばれなかったでしょうし、イマジンも誕生しなかったと思います。今でもロック界からのヨーコのバッシングはスゴいですし、アートの世界もジョンをイロモノと見ている感じは続いているし、アートとロックがこんなにも融合した世界の「イマジン」はこの前にも後にもなかったのではないかと思われます。

私たちは想像以上にジャンルや枠組みのこだわり、変化を恐れます。小山田先生ように、ヨーコさんをバッシングしたひとたちのように、ロックに興味を示さない階層の人たちのように。
そうやって守られる世界もあるのかもしれませんが、それぞれ多様性が認められていったのと同時に細分化されたぶん、分断され、憎しみや暴力が広がりやすい現在の世界において、その大小の壁たちをブレイクスルーしてくのは、やはりジャンルやこうあるべきを越えて、楽しむ、ワクワクする、愛する力ではないでしょうか。

ストラビンスキーに絶賛されながらも、クラシックを学ぶ留学をあきらめ、愛する女性との生活のために大衆音楽に生き、それでも日本の復興をかけたオリンピックマーチを作曲し、世界から絶賛された古関裕而さん、大衆のロックと前衛アート、労働者階級と上流階級、男性と女性との性差を越えた結びつきで世界を驚かせたジョンとヨーコ。
揺らぐ世界に勇気を与え、希望を作っていくのはいつも、彼らのような枠組みを恐れない人々であると思います。

ジョンはビートルズ時代も人種差別撤廃を訴え、アメリカ南部の保守層と扇動された無知なひとたちからはレコードを焼かれるなどのバッシングを受けました。日本でもビートルズが武道館公演をするにあたって大反対した保守層を、ひっくり返してしまったのがお年寄りが田中角栄さん。息子さんにビートルズのイエスタデイとアンドアイラブハーを聞かされ、英国の不良恐るるに足らずと来日に許可が降りたようです。息子さんのチョイスもナイスですが、そこに耳を傾けた田中角栄さんも見習いたいお年寄りですね。というか、当時の知識階級のお年寄りたちはよく知りもしないで、よく知りもしないからこそビートルズ正視できずに怖がっていたのですね。恐怖ってそもそもがそんなものかもしれませんが。

いだてんのまーちゃんたち、元気なお年寄りたちは、戦争に若者を送った罪悪感からか、オリンピックでは若者たちが輝くために尽力しました。
私たちもこれから老いていくにあたって、若者たちを潰さず、彼らのパワーを応援するお年寄りになりたいなあと思います。
もし、若者を嫉妬で潰すようなことがあっても、ちゃんと自分でそれに気づいて許しを乞えるお年寄りになりたいな。
小山田先生の姿は、向田邦子さんの「父の詫び状」を思わせました。
昔ながらの頑固おやじさんって、プライドが高くて融通効かないようでちゃんと若者や小娘に頭を下げられるんですよね。たぶん、それが本当のプライドで、綺麗ごとでなく尊敬される人たちなんだと思います。私も、これからそんなふうに老いたいな。

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