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温度は伝わらない


屋久島で生きる熱い大人たちの集いに
わたしも参加させていただいて、
考えたこと(の一部)

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『ここにいるみんなは、
 自分の目に、自分の心に、
 どんな世界をうつして、
 日々、生きているのだろうか。

 なにを求め、
 どこに向かい、
 どう命を燃やしているのか。』

まだ何者でもない私には、
とっても刺激的で、
ちょっぴり息苦しい、
背伸〜びの時間だった。

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いろんな話をしていた。
それぞれがそれぞれに、
思ったことをありありと。

真意はわからないけど、
この場にいた人からは攻撃的な意見や
ネガティブな気持ちは見えなかった。
なのに、
エネルギーのある提案がみえた。
少しでもより良く とか、
こうしたらどうかな みたいな、
みんながいろいろ考えてたのが印象的。

これがcommonsってやつなのだろうか。

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わたしはこの場に、
いることしかできなかった。

ただただみんなの話をきく時間。
みんなの生きる時間にご一緒させていただいた。

話の内容はもちろん聞いてるけど、
やっぱり私が気になるのは、
その人の内側のこと。

心の中ではどんなことが起こっているのか、
なにを感じ、なにを考えてるのかが、
気になって仕方がない。

「なんでこうやって話せるのか」
「なにをもって言葉にしてるのか」

今の私にはまだわからなかった。

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こんな言葉がある。
「比べるのは、他人とじゃなくて過去の自分とだ」
と。

わかる。意味は。
でも、人と人との関係性がある場においては、
どうしても自分のことだけで考えるのは難しい。

だって、人と共にいるということは、
相手を通して自分を感じたり、
自分を通して相手を感じたり、することだから。
世界は、ひとりでできてるんじゃない。
小さな場だったとしても、
そこにいる人たちで、その場ができる。

まあこれで言うと、
他人と比べているわけではないかもしれない。
自分というフィルターを使って、
いろんなものを見たり、時間を感じたりしてる。

でもどこか私には人と比べてる感覚があって、
落ち込むし、希望が見えなくなるし、苦しくなる。

けど、ちょっと大人になったかもしれない。

あゝやっぱり自分なんか、だめなんだ、
ってなってたところから、
なにが自分には足りないのだろうか
とか、
この人にあって私にないものはなんだろうか
と考えるようになった。

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言葉では、
温度はなかなか伝わらない。

きのうのよる、
わたしがどんな世界をみていたのか。
どんな気持ちが湧いていたのか。

今のわたしも、そのまんまは思い出せない。
言葉にもするのも難しい。
でも、難しいってことを書いておくことは
できるかなって思って、これを書いてみた。

ふぅ。



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