見出し画像

信用はお金で買えるか

京都駅の地下街の端に休憩スペースがある。時々利用するのだが、この前座っていたら隣の人にいきなり

「貴重品をロッカーに預けてくるので、この荷物(スーツケース)を見ていてもらえませんか」

と言われた。すごいな、この人( ゚д゚)! 私だったら見ず知らずの人にそんなこと頼めない。周りの目もあるし、どうこうする事は実質不可能に近いのだが、それでも驚いた。信用してもらったのだろうか。

さて世間では、「信用はお金で買えない」という考えが一般的だ。それは人に対しても会社などの団体に対しても言える。ましてや失ったそれを回復するには、膨大な時間と労力が必要になる。しかし今回の出来事でふと考えた。

本当に信用はお金で買えないのかと

そもそも人は何をもって、他人や物事を信用しているのだろう。経験?周りの評価?確率? それこそ要素は沢山あるのではないだろうか。そして結論を言うと、私は信用はある程度お金で買えると思っている。

なぜなら極限状態になったとしても、「絶対に悪いことはしない」と言い切れるかという観点からだ。例えば私達日本人は、食べる物がないから盗みをして生きるという状況には陥りにくい。そういう社会構造になっている、要はその分のお金はあるからだ。もし私がホームレスのような格好だったら、信用されなかったかもしれない。

勿論「もっと儲けたい」と思って不正を働きそれがバレて、お金はあるのに信用を失うケースはある。自業自得パターンだ。しかし利益を上げなければ株は売れないし、金融機関もお金を貸してくれない。当たり前だがそういうものだ。

一般的に利害をもたらす物ほど、人は信用を大事にする傾向にある。それは学生時代の友人関係だって例外ではなく、「この子は口が軽いな」と思ったら大事なことは言わないか付き合わないかするだろう。だからと言って信用だけで交友関係を決める訳でもない。

車の助手席(事故が起こった時に最も被害に遭いやすい)に乗るのも、考えてみれば怖い話だ。運転手を信用しているのもあるだろうが、やむを得ず乗っているとか「事故は滅多に起こらない」と確率的に安心しているとかそんな理由だろう。

信用はある程度お金が関係するが、それだけではない。付き合った年月/人柄/文化といった主観や価値観と、データ化された数値など誰が見ても同程度そうだと思えるものなど様々なものが絡んでくる。「裏切られた」と思うのは信用していたからで、そうならないためにも半分信用して半分信用しない位がちょうど良いのかもしれない。



いいなと思ったら応援しよう!