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共感されなくても「好きなこと」をするのが大事

ある日学生を卒業してかなり経つ私が、高校数学を勉強していると姉に話した時の反応↓

「それ何かの役に立つ(?_?)」

まあ言わんとしていることは分かる。では本当に無意味なのか。今日はこの点を考えたい。

上記の例に限らず、人には以前としてどこかで生き方にしろ好きなことにしろ、「他人と同じでなければならない」との思考がある。ある程度の型に嵌めて生きているというか、他人と違うことに「これで良いのだろうか」と思う。しかし人は、法律やルールを守れば本来何をしても良いはずだ。それが何であれ誰も責めたりする権利はない。

人は目で見える情報に影響されやすい。そして多数の人がしていることが「良いこと」と思いやすいし、安心感を得ることも出来る。しかし、楽しくなくても楽しそうにしている人がいる。一見楽しくなさそうでも「楽しい」の感情が出にくい人もいる。だとしたら「型や目に見えるもの」は無意味になる。自分の好きなことをするのに、他人の共感や理解は全く必要ないのだ。

時々、自分の好きなことや得意なことをして成功者になった人のインタビューや特集を見る。正直人間の当たり前の感想として、「羨ましいな」との気持ちはある。しかしあれは、元々そういうふうに書かれている節がある。本人の苦労や本当の幸せなんて分からない。結果として世に言う「成功者」になっただけだ。

私はnoteに文章を投稿しているが、正直閲覧者は僅かだ(見てくれる人どうもありがとう)。自分が好きだからしている。もしかしたら後年振り返って「何をしていたんだろう」なんて思うかもしれないが、人って往々にしてそんなものだ。大変なことも多い中「自分が楽しい」と感じるものを見つけること、それが他人に共感されなくても楽しめることが生きる上で大事なのだと思う。みんなもっと胸を張って生きよう(^_^)v


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