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ショート・ストーリー~ブルーの伝言

彼女と別れてからずっと、

僕は燃えかすのようだったと思う。


仕事も身が入らず、ミスが増えた。

決して高くもない給料を、くだらないことに使った。貯金はあっという間になくなってゆく。

車も、部屋も散らかしっぱなしだ。


そろそろ生まれ変わらなければ、僕はほんとうにダメになってしまう。

それから僕は、身体を鍛え始めた。

筋肉を順番どおりに動かすことは、自分にまだいろんな機能が備わってることを思い出させてくれる。

うん。悪くない。

第一、なにも考えなくていい。家でやるぶんには、お金もかからない。

僕は大きい鏡を買い、毎日自分の姿を鏡に写した。

自己満足だけど、前月の僕よりはよっぽど人間らしい表情をしている。

スクワットの成果が出たのか、スーツのパンツの尻のところがブカブカになってきてカッコ悪くなってきた。


「・・・服でも買いにいくか」

独り言をいいながら、久しぶりに車を動かす。ブルルルン、とエンジンのかかりも悪い。

走り出して、ふと気づく。買いにいくといっても、どこに?

全く思い付かない。


彼女がいた頃は、シャツもネクタイも、全部選んでくれた。

お店のスタッフとも仲が良かった彼女には、「今日届いたばかりの新作」が並べられた。

スタッフも、僕にはよくしてくれた。

補正代をすこしオマケしてくれたり、ノベルティ品をもらったりもした。

僕はそれに慣れすぎて、

まるで自分がその世界の主人公であるように誤解していたのだ。

彼女のおかげで、僕が「さわやかな好青年」でいられたことに、全く気づいていなかった。

服だけではない。パン屋、野菜屋、ケーキ屋。いろんな「彼女御用達」の中で僕は生かされていた。

僕は、だいたい大事なことは遅れて気づく。


あてもなく車を走らせたが、結局思い付かなくて、彼女とよく行った店に車を停めた。

でも、ここ安くないんだよな。なんて財布の中身を心配する自分が情けなくなる。

「いらっしゃいませ!お久しぶりですね」

扉をおそるおそる開けると、いつもの女性スタッフが、声をかけてくれた。

「ああ・・・どうも」

なんとなく、決まりがわるい。

「今日はおひとりですか?」と聞かれるかと身構えたが、なにも言われなかった。

「今日は、何をお探しですか」

「えと、スーツが合わなくなって」

説明しながら、僕は自分がものすごく緊張してることに気づく。

大の大人が、服ひとつまともに買えないとは。


「すこし身体、絞られたんですね。ちょっと測らせてください」

スタッフが手慣れた手付きで計測して、それっぽいジャケットとパンツを持ってくる。

ただ、それは「今日届いたばかり」のものではなさそうでだった。

どうせ俺一人じゃ、こんくらいの扱いだよな。

なんとも言えない、ひがみのような感情がよぎる。


「試着してみてください。ーいかがですか?」


鏡を見る。

さすがプロの見立てだ。

痩せた顔色の悪い男は、服の魔法によってそれなりのグレードの男に変身した。

「うん。やっぱり、この色ですね。さすがユミさんだな」

スタッフが、ふと彼女の名前を呟いた。

「え・・・なにが?」

情けないくらい、僕はすぐに反応してしまう。

「ユミさんにね、もしあの人がここに服を買いにきたら、こんなのを出してあげて、っていうリストを預かったんですよ」

スタッフが、ノートの切れ端のようなものを僕に差し出す。

「あーあ、バラしちゃった。隠し事苦手なんです、私」

そこには、彼女の右上がりの生真面目な文字があった。

「色はダークブルー。締め付けが嫌いなので、シャツは首まわりが大きめ。色あわせが苦手だから、ネクタイもトータルで提案してあげてください」

「え・・・これ、いつ?」

僕は思わず、声が震えてしまった。

「半年前くらいですかね。あの人はほかに店を知らないから、ここに来るしかないだろう、って」

半年前。

彼女が出ていってしばらくしてからだ。

「彼女は、ここに今もよく来るの?」

僕は聞いた。急に血が頭に巡りだしたように感じる。

「それは言わないでって言われてます」

スタッフの女性は、ぴしゃりと言った。

「でも、心配されてました。ほっといたらまともな食事もしないから、すごく太るか痩せるかで、服が合わなくなってここにくるだろう、って」

「そう・・・なんだ」

僕はそれだけ言うのが精一杯だった。

「ダークブルーのスーツ姿が一番好きだった、ってユミさん言ってましたよ。

だから、これからも格好よくいてほしいって」

僕は礼を言って代金を払い、車に乗り込んだ。ミラーで見ると、伸びたボサボサの髪が気になった。

「よし。つぎは、散髪だな」

僕はつぶやいて、車を走らせた。


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