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お正月の当たり前

箱根駅伝を見ながら年末やり損ねた台所の掃除に取り掛かる。例年は大学時代の部活の友人とリアルタイム実況をしつつ、この人カッコイイだのこの人の走りはどうだの言いながら見ていたが、昨年から立ち消えてしまった。夫は箱根駅伝に全く興味がないので、一人で見る箱根駅伝は味気ない。長丁場をただじっと一人で見ているのも罪悪感が湧いたので掃除を始めたが、掃除に集中したあまり、戦況についていけなくなった。

兄が陸上部だったこともあり、実家では必ずテレビで箱根駅伝が流れていた。小さい頃は、一体何が面白いんだろうと思っていたが、10年ほど前からハマり、以来欠かさず見ている。正月が出勤の時も、昔のガラケーを引っ張り出して、仕事の合間にワンセグでチェックするほどだった。

箱根駅伝を見て、ひたすら餅を食べる我が家のお正月と違い、夫は箱根駅伝は見ないし餅もそんなに食べない。当たり前だが、家族によって正月の当たり前が違う。私の当たり前を、今後どこまで通したものかな、と少し寂しく思う。当たり前だと思い込んでいるだけで、必要のないこともある。

母校の往路優勝を見届け、そそくさと夫と子のいる居間の炬燵へ潜り込む。夫のリクエストで「活きる」という中国の映画を観てから、イルミネーションを見に夕方から出かける。

子どもには、いろいろことを体験させてあげたい。カラフルな電飾ライトに、冬空にあがる花火。「ほら、見てごらん」と指す指の先をベビーカーに乗った子どもはボーッと眺めている。もうちょっと喜ぶかと思ったが、今ひとつの反応だ。そのうち、大泣きをし始めた。

ベビーカーからぶらぶら垂れる足に履く、足より3センチも大きなサイズの雪靴は、今にも落ちそうで、園内に落とすと怖かったので早めに脱がせた。ズボンの裾が上がり、靴下の間から足がはみ出している。帰りの車の中でその足を撫でたら、びっくりするほど冷たかった。経験をさせてあげたいなんて、親の身勝手なのかもしれない。私が、イルミネーションを見たかったのだんだな。付き合ってくれてありがとうね。そう思いながら、帰りの車の間、ひんやりした滑らかな子どもの足をずっと握っていた。