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広くて自由で安全な場所

ランチを食べた後、夫と別れて子どもと一緒に店のすぐ近くにあった公園へ寄った。良い天気だ。あるのは鉄棒と土管くらい。がらんとしていて広くて、公園というより広場という感じか。日向ぼっこがてら入り、子どもに鉄棒を掴ませてみる。ぶらさがるにはまだ手の力が弱いが、握る仕草をする。ケタケタと、楽しそうだ。次に、子どもを抱っこしてお腹に鉄棒がくるように支える。回ることはもちろんできないが、腹部を支点にゆらゆらと揺すってみる。これまたケタケタと笑う。私も前回りをしてみる。子どもを蹴らないように気をつけながら、ぐるん。世界が回る。久しぶりに使う筋肉がたくさんある感じだ。こういう動きをみるのは初めてだからか、子どもはじっと私を見ている。とにかく天気が良い。

めぼしい遊具はこのくらいだ。ベンチもないな、微妙だなと思っていると、子どもは楽しそうにトコトコ歩きだし、草が生えているところをまじまじと見つめている。少し丘のように高くなったところへ座り込み、なにやら高い声を出しながら遊んでいる。草をちぎって手を高く挙げて、後頭部あたりでパッと離す。砂利を両手で掴んで、同じ動きをする。(首から服の中に入りそうだな……)そう思いながらも、本人が楽しそうなので放っておく。公園は金網で囲まれているので、落ちるような場所もない。とりあえず、この中にいれば安全そうだ。そう思ったら、急に眠たくなってきた。日差しがとろとろと暖かい。私も草の上に座り込み、体育座りをしながら本を読む。

家にいると、私が本を読んでいると、子どもはかまってかまってと手をひっぱり服をひっぱる。私がかまわないと、家にあるありとあらゆるものを遊び道具にしてあっちへこっちへ運んでは舐める。その都度私は、「あーもうやめて!」とそれを子どもから引き剥がして元のところへ戻していた。しかしここでは、子どもが自分で見つけた自然の遊び道具で自由自在にたわむれていても、私は何も気にならない。なにせ広いので、子どもは歩きまわるだけでも楽しそうだ。それを遠くから見守りながら、私は私の本を読める。これこそ、共存だ。子どもの遊びに付き合うかと、たいして期待もせずに入った遊具も少ない公園で、私は今週初めての安らげる時間を持てたことに驚く。

少なくともまだ1歳5ヶ月の子どもにとっては、遊具なんてなくても外の世界は十分刺激的なのだ。安全で、自由に触って、見て、動き回れる場所があれば、子どもは自分でオモシロイを見つけ出す。狭いところに閉じ込めて、触ってはいけないものばかりを置いておくから共存できずイライラするのか。

安全で、自由で広い場所。そして、私のこともそっとしておいてくれる場所。子どもと大人が共存できる場作りに、すごくヒントになる気づきを得た。