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意図やたくらみのないことば

ことばの再発明というものを受講してみることにした。
鳥取大学の地域学部附属芸術文化センターが主催する、鳥取県民のためのプログラムだ。

友人が主催者の中にいたり背中を押してくれるきっかけはたくさんあったが、体力も気力も貧弱になっていた私は、どうも重い腰が上がらなかった。興味はあるが、成果発表展とやらに作品を出すなんてことが、今の自分にできる気がしなかったからである。

妊娠してからというもの、いろいろなことを手放してきた。
体調が悪くて思った通りに身体が動かず、やろうと思ったことも全く計画通りに進まない。できる前提で動くと苦しいので、できない前提に切り替えて、なるべく責任のあることは断るようにしてきた。

結果、気持ちはとても楽になったし、素直に人に頼ることができるようになったし穏やかになった。と同時に、今まで自分を支えていた自信のようなものは、ポロポロと溢れて落ちて少しずつなくなっていった。

自信。若い頃は、欲しくて欲しくてたまらなかったそれを、今は前ほど必要だとは思わない。ただ、どこか実態を失ったような自分は、やはり心許なくて悲しくなる時もある。

そんな私にとって、この講座への参加は大きな大きな決断だった。


そんな緊張の中、先日1回目の講義があったのだが、これがとてもよかった。
今の私にとって、まさに暗闇に光を灯してくれるようなことばに出会えたからだ。
それは、タイトルにも載せた、詩人の白井明大さんの言われた

意図やたくらみのないことば

ということばだ。

この講座に受けるにあたり、自分の今までの活動をまとめていた。成果発表会へ向けての作品の方向性や今後の展望--。

そこに並べたことばたちは、決して嘘ではないけれど、こうしたらきっといいだろうとか、ここにはまだ誰も目をつけていないから自分しかできないことだろうとか、意図やたくらみが沢山くっついていることに気づいたからだ。

少なくとも、今の私にとっては。

今、私は、自分のことでいっぱいいっぱいで、正直他の人のことに気持ちが全く向かないのだ。だから、かつて考えていた展望も活動も、今の私の本当に正直な気持ちにはそぐわない。

もう一人の講師の後藤怜亜さんは、NHKのハートネットTVのディレクターで#自殺と向き合うや僕の日記帳という番組内の企画やサイトで匿名の視聴者の切実なことばと向き合ってきた。彼女のことばにも、勇気をもらった。

なぜ死にたいのか、自分でも理由がわからずもやもやしている人は、思っていることに輪郭を与えたときに、これだ、と思える。
それは、誰かが言った既存の表現では表せないことばである。(うろ覚え)

妊娠中の自分の感情が、まさにそんな感じだった。
もやもやしては、苦しくなって、今は「諦める」という決して悪くはない形でブレイクスルーした気でいたが、やはりどこか納得いかない、やるせなさや苦しさは残っていて、そういう思いと向き合うことこそが、今私がしたいことなのだと気づいた。

今までも試みようと思ったが、うまくことばにならなかったり、そんな自分がかっこ悪くて続かなかったが、これを機会に私はそんな自分と向き合ってみることに決めた。

誰かが言った既存の表現では表せない、私にとっての妊娠を、ことばにする。

ことばの再発明。
もうすぐ産休に入る、モラトリアムのようなこれからの2ヶ月間を、私にとって大切な時間にしていく。そんな決意を、若干の羞恥心も背負いながらここに表明しておこう。
(30w1d)