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「私はおぼえている」新作上映会

現時点プロジェクトの「私はおぼえている」という、鳥取県中部のお年寄りの語りを記録した映像の上映会が12/19(土)に鳥取の倉吉である。

私は、文字起こしをしながら一足先にこの映像を見たので、贅沢に何度もことばを噛み締めている。何度見ても毎回違う気づきがあるのが、この「私はおぼえている」の特徴である。それは、ある人のとても個人的な話を聞くことで、事実を知る以上に、自分自身が違う立場になり感じることがあるからだ。

私はおぼえている」は現在10作品制作しており、第一話〜第八話まではYouTubeでも見られるので是非見ていただきたい。

今回の新作は、倉吉で仲倉商店を営む88歳の仲倉さんと、都市開発とダム建設により人が住まなくなった三朝の奥にある中津という村に今も一人で住んでいる93歳の竹部さんのお話だ。

仲倉さんは、お惣菜というものが時代のニーズに合わせて作られるようになった理由など、賢く経営してきた商売人の強さを強く感じる。しかし、ただ賢いだけでなく、スーパーやコンビニで腹を埋めるために簡便に消費している惣菜とは訳の違う、人の手の温もりがあるお惣菜だからこそ、当時毎晩夜中の1時に寝ていたというほどよく売れたのだろう。仲倉さんの口にする「歳をとるとね、なにって心が落ち着いてきます」ということばが、重く響く。

竹部さんは、15歳で満州へ渡り、満州鉄道で働いている中での細かなエピソードが鮮やかだ。満州から帰ってきてからの、貧しい中にも人の気配を感じる、ついクスッと笑ってしまうエピソードが続いた後、その中津に一人きりで住んでいる現在との対比に、ことばを失う。発展のために犠牲になったものがちらつき、つい目を背けたくさえなってしまう。また、独居老人とカテゴライズしてしまうとみるみるこぼれ落ちてしまう、竹部さんという個人の思いや人柄、ここで暮らした時間までも溢れてくる。医療者はこの竹部さんの語りを聞いて、どういう感情を抱くのだろうか。

知らない人の、個人的で断片的な語りを聞くこと。一つだけだと、それが全てに感じるが、点を重ねていくことで、土地の、時代の、大きな地図が見えてくる。同じ出来事を、ある人はこちらから、ある人は違う場所で見て、感じている。そういう厚みが、3年目、10作品目の今感じられる気がしている。

是非映画を見て、感じたことを聞かせてください​。
上映会ご予約はコチラから。予約なしでも大丈夫です。

YouTube「私はおぼえている」現時点プロジェクトリンク集 

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