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三つ子の魂のできるまで

近所にある大山町立名和小学校の学習発表会に行って来た。端的にいうと、ブラボー!だった。

6年生の地域の課題発見・解決プレゼンとやらを見るのが目的だったが、他の発表も素晴らしかった。誰かを見に来たわけではない私は、あの場にいる誰よりも客観的に舞台を見ていたのではないかと思う。

3年生の大山町のオオサンショウウオの民話で、コテコテの方言を一生懸命子どもたちが口にしている姿に、心打たれた。標準語しか知らない「自分のことば」を持たない私にとって、方言は永遠の憧れだ。おどけて「〜してごしない」という台詞を言っている男の子に「そのことばの尊さ、あとになってきっとわかるよ…」と、心の中で語りかけた。

4年生の名和太鼓では、感動して涙が一筋ツーと流れてしまった。ヤッとかソーレとか言いながら、身体をつかって太鼓を叩く。バチを持った両手を大きく掲げると、10歳の身体が1.5倍くらいに大きく見える。迫力だ。合図の担当の子のバチの音が聞こえると、皆が次のフォーメーションにサッと動く。テンポを取る二人の子と、それに音を乗せていく子ら。太鼓の音と、バチを合わせる音、あとはかけ声。音の種類としてはこの3つなのに、リズムと厚みでこれだけのものを表現できるのかと驚く。余計なものがない分、ごまかしがきかないので息を合わせた「音」だけが全てを物語る。伝統文化は、本当に素晴らしい。

6年生のプレゼンもとてもよかった。自主組織という町民自らが主体となってまちを考える人たちの所に出向き、町の課題を考え、他の町の事例も用いながら、自分たちなりに課題解決のためのイベントを企画する。具体的に方法も考え、実施の段取り、その場を借りて集客まで行っていた。ただPCの画面を流すだけでなく、ユーモアを交えてスライドの前で身振り手振りで「伝える」。スライドも、自分らで書いた手書きのもの。驚いたのが、PCを操作する人、照明を動かす人という裏方も児童自らがやっていたことだ。1〜5年生までの、郷土文化を血肉化する段階を越え、6年生では実際に町の課題解決へ向けたアクションを、大人の手も借りながら自分たちでできるようにする。とても実践的でオモシロイ教育だなと思った。

今、聞き取りをさせてもらっている92歳のおばあちゃんが、自分が文章を書くのが好きなのは、小学校2年生の時に綴り方に熱心な校長先生がいて、彼に詩や文章を書く楽しさを教えてもらったからだ、と言っていた。彼女は未だに、その時校長先生が自分で作って読まれた「ツバメの詩」を暗唱できる。8歳の時の記憶が、84年経った今でも生きている。「だから教育っちゅうもんは、おそろしいもんですね」そう笑ったおばあちゃんの顔を思い出しながら、2年生の発表を眺めていた。教育は、大きい。少し身震いした。

最後は、校歌ではなく観客も交えて「大山賛歌」を大合唱して幕を閉じる。子どもの幼く元気の有り余る声と、高齢者のビブラートのかかった声が混ざる。世代を超えて皆が共通項として当たり前に歌える歌があることに驚く。君が代くらいかと思っていた。そして、これどこかで聞いたことがあるな…と思ったら、昼の12時にいつも流れていた音楽が、大山賛歌だったことを初めて知った。皆の当たり前を知らない自分を、改めてよそ者だと感じる。そして、よそ者だからこそ見えるものがきっとあるし、その気づきを流さずに拾い、発信していきたいと思った。