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②自分への寄り添い 〜ヘルプを受け取れなかった私〜

前回のブログでは
2022年1月
子供の入院を機に
自分の心に向き合い始めたと書きました。

そして、導きだったのか
(自分の為だなんて
これっぽっちも思っていなかったけれど)
同月の中旬「心の傷を癒す」
トラウマケアの学びが始まりました。

今回は何をしていたのかというのを
簡単に残しておきたいと思います。

医学的なマインドフルネスを
用いる学びをしていました。
10分座禅を組んで瞑想を続けるなどは
していません。
(マインドフルネスってそんなイメージない?)

身体心理学・ソマティックエクスペリエンス
http://www.feerest.com/somatic-experiencing/https://pomupomu.info/partspsychology/
という視点もあり
心と体から生きづらさを軽減する時間を
過ごしていました。

・・・・・・・・・・・
「今ここ」を感じながら
過去の自分を見つめ、 
寄り添うということをしていました。

てんかん発作が起きた時の
私を思い浮かべていました。

私は「大丈夫、ほっといて欲しい」
というばかりで
「今の私」に助けを求めようとしませんでした。

不思議なんですが同時に
肩甲骨あたりが痛くなりました。
「動揺」という感情を
消化していないなということが
わかりました。

本当は振り乱したかったし怖かった。
自分でも気づいていなかったけれど。

動揺していては子どもの命が危ないので
自分はというと、冷静を取り持ち
対応をしていました。
(救急時、いつも医療関係の方かと
声をかけられる私)

怖かったという感情は解消されていない。
体を通して記憶されるということを
実感した瞬間
でした。

心・体を大切にしようと言われても いまいち腑に落ちてなかったのが
「ああ。自分の身体は
私を生かすためにとても頑張っている

と気づくことができました。

私は目に見えないものが苦手で
(実は好きだっと最近気づいた笑)
そして自分に語りかけるってなによ?
寒いわwという感じで。

ほんとにごめんね、私。
自分を労わることを小馬鹿にしていた。

一瞬でもいいので感じたことを
言葉はかけられなくても手を置いてみたりなど
気持ちを寄せ続けました。

「私はここにいるよ」
「そんな気持ちがあるんだね」

自分自身には
そんな優しい言葉がかけれなくても

私のパーツの一部と思えたら
優しい言葉がかけられた。

子どもと養育者が
愛着を形成していく過程と同じで1・2回の対応では
蓋をしていた感情は拭えない。
心の傷は癒えない。

何度も何度も寄り添いが必要。
感情も子どもと同じ。

「ほっといてほしい」といっていた私から
「頼ってもいいのか」
「休んでもいいのか」
少しずつ自分の本当の気持ちを
汲み取れるようになりました。

自分が嫌だと思っていた感情も
実は私に気づいて欲しかったのだなと
愛おしさも生まれる時間でした。

自分が嫌だと思っていた部分も
とても愛おしいし
自分を守ってくれている感情だったのだ
と思えています。

私は疑い深いところもあるので
科学的な視点も学んだことで
普段自分が受け入れられなっかっただろう
自分への寄り添いを
「やってみよう」と思えました。

人が好きなのに不信感が拭えない。
誰も守ってくれない。
人が好きなのに
こう思う自分が嫌で嫌で苦しかった。

でもそんな自分を持つことで
自分を守ってきた。
こうしないと自分を守れなかったねと
気づけるようになってきました。


こんな自分もあり。
どんな自分も自分だと思えるようになってきた。

相反する自分も自分。
自分を責めてしまうことはあるけど
あなたは本当に頑張っているから。忘れないでね。

こんな寄り添い方があるよと
まずは知って欲しいなと思う。

ここに記載した通りのことを
提供するわけではないけれど
自分の感覚を拾いあげる、そんな工夫を
6ヶ月のプログラムでは散りばめられたらなと思っています。

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