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人間を信じすぎない

誤解されるようなタイトルにしましたが(わざと)、人を信じない、という話ではないです。

人文主義的考え方、人間は他の動物と違って理性があって、より良い生活のために努力できる特別な生き物、という考え方は、無意識に現代人の考え方の根底にある。
それと同時に、人間は動物だから、本能とか動物的な感覚と切り離せない、という考えもあって、どちらが正しいとか正しくないとか結論を出すことはできない。
多分、どっちもその通りだし、どっちもそれだけじゃないんだろう。
私はセテムブリーニが好きだし(ナフタも好きだけど)(もちろん一番好きなのはヨーアヒム)、美学のある、人文主義の文学は基本的に好意的に受け取っている。

ただ、人文主義的な価値観が、特にビジネスのシーンや恋愛のある側面で幅をきかせることが、ままある、と思う。
がんばれば目標は達成できる、病は気から、すべての悩みは人間関係、なんでそんな冷たいこと言えるの私のこと好きじゃないんだね。。。など、
気持ちさえ、しっかりしていればなんとかなると(半ば強迫的に)思わせる言葉が多くて、ただでさえ蒸し暑いのに息苦しくなる。でも、それが当てはまる部分もあるから、完全に違うよって否定できずに、そうなのかな、がんばってるつもりだけど、足りないのかなと、私はこれがやりたいと思ってたけどこれくらいしかできないってことは、気持ちが足りないのかな、なんて、つい、自信をなくしたり、がんばりすぎてしまうことがある。
でも、気持ちや考え方だけで何でも解決できると思うのは傲慢ではないかと思う。人は霊とか魂だけの存在じゃなくて、草花よりずっと重たい肉体を持って引きずって生きてるんだよ。

つまり、何が言いたいかというと

蒸し蒸ししたこの季節、体が疲れて体調があんまりよくないのは、みんなそうで、当たり前なんだから、仕方ないよ、ちょっと休もう。がんばってたら、がんばったね、でいいよもう。

っていうことです。

っていうか、、

疲れてるみたい。

ではまた明日。明日は詩か、エッセイにしようかな。疲れない程度に。

#エッセイ #疲れた #梅雨 #魔の山 #人文主義

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