見出し画像

やばい、幸せかもと思った

やりたいことをやろう、と思ってから、理想を排除している。理想が、こんなにも自分をがんじがらめに縛っていたなんて、と今更になって気づく。

10代の頃、下記のような詩を書いていた。

美しく生きたい。優しく生きたい。気高く生きたい。自由に生きたい。自分らしく生きたい。
死にたい。
そういう生き方じゃなければ、死にたい。
さおり


若いなぁと思う。確か「15歳」というタイトルだったと思う。あれかこれか、だった。それから何年も、このハムレット的懊悩は、私を苛んで息をしづらくさせていた。
今でも、この想いはそんなに嫌いじゃない。それぐらいの覚悟を持って人生に挑まなければ、流されてしまうのが私だからだ。だけど、年齢、経験というアドバンテージを得られてきた今日この頃は、あれかこれか、の世界は狭く、あれもこれもそれもだし、どれでもない、という世界を受け入れることが出来るようになってきた。

それは、憂うことではなく、柔らかく受け入れるしなやかな強さを得られたと、喜ぶべきことなのだと思う。ただ、10代の自分がそんな私をどう思うかは、別問題だけど。軽蔑されるかもしれない。それでも生きているという事実に。

10代を過ぎて、いろんなことがあった。常に死が近くにあったし、それよりも多くの生が身近にあった。恋や憎しみも、執着や諦念も、数限りない幸せも、それに気づかず泣き腫らした果てしない夜も、自分の身体を駆け抜け、引き裂き、ほどけて溶け去る。

世界は複雑で、いろんな人がいて、みんなに親切にしてあげることは出来ない。腕は短く、側にいる人でさえ抱きしめるのに困難なことがある。

だけど、ふっと、幸せかも、が降りてきた。
自分の書いたものを人が認めてくれたとき。同じようなことを考えている人を見つけたとき。すごいなぁと思えたとき。好きだなぁが溢れたとき。自分のやってることが、自分を喜ばせるのだとわかったとき。

幸せかもが、降り注ぎ、場合によっては、誰かがそれに名前をつける。それで生きてるよ、ごめんね、私。


さて、最近、私が心を込めて書いたシナリオ。私のこれまでの人間観察を詰め込んだつもりです。タイムラインに流れて消えるのは惜しい。ぜひ、読んでください。無言スキでも大歓迎ですが、良ければ感想ください!↓

「うそつき 夫の嘘」
本当の嘘は何か。誰が本当のうそつきなのか。4部構成の第1弾です。

#エッセイ #ラジオドラマ #シナリオ #脚本 #朗読歓迎 #うそつき #ひとり芝居

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?