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目が覚めたら別のひと

目が覚めて、私は、自分の体を走る痛みに悩まされた。

あいつの仕業だ、またか

私は、体に残る鈍痛にしばらくベッドから動けないでいた。

やるんなら、いっそ殺してくれればいいのに、中途半端なことをして

私は、目を閉じたまま、体中の痛みと戦っていたが、気を失うわけにはいかなかった。そうすれば楽になれるかもしれないが、次、いつ「私」が目を覚ますかわからない。私が気を失って、また「あいつ」の後だったら、今度はもっとひどいことになるかもわからない。

まったく、どいつもこいつも

私は、苛立ちに気が狂いそうになりながら、しばらくじっとしていた。幸い、そうやって休んでいると、痛みは和らいできた。単に慣れたのかもしれない。

寝室の窓からは、分厚いカーテンの隙間から、細い光が差し込んでいた。今がいつで、朝なのか昼なのかもわからない。見慣れた部屋なので、とりあえずは、自宅にいるようだ。

私の体を、一体何人の人格が共有しているのか、私自身は把握していない。私たちはひどい病気で、意識を失うたび、目を覚ますと別の人格で目がさめる。恋愛体質の色魔や、自傷癖のある奴、引きこもり、うつ病、芸術家の人格がいるみたいだが、本当のところはわからない。ただ、いつの間にかランダムに回ってきた自分の番のときに、知らない男や女が、隣りで裸で眠っていたり、今回のように体の激しい痛みに苛まれたりすることで、自分が誰の後だったのか、想像がつく。私たちの病気のことは、真面目な生徒会長タイプの人格が、いろいろ調べた結果を日記に書き残していることで知った。その日記も、すぐに誰かが破いたり、捨ててしまうのだけど、それでも真面目なあいつは、また同じようなレポートをどこかに残す。今回は、白い壁一面にあいつの調査結果が黒インクで書いてあった。私たちは、難病の指定を受けており、しかるべき口座にしかるべき手当を受け取ることができるそうだ。

そう言えば、お腹が減った。何か食べたい。でも、冷蔵庫のなかを確認することは怖かった。前に、そこに動物の遺体が入っていたことがあったのだ。

確かに、こんな訳のわからない体質に生まれてしまったのだから、精神もおかしくなるに違いない。その気持ちはよくわかるが、だからと言って、猟奇的になったり自分の体を傷つける意味が「私」には、わからない。

子供の頃は、私たちの人格は統一されていたらしい。けど、私にはそのときの記憶はない。本当の私が目を覚ましたら、私は消えてなくなるのかもしれない。

やめよう、考えない、考えない

私は、他の人格と違うのだ。自分の意識のあるうちは、せいぜい、楽しいことをするさ。

やがて痛みもひいてきた。体を起こし、シャワーを浴びた。意を決して外に出た。まだ体に痛みの残像が残っているが、歩くのに支障はない。財布にいくらか所持金が残っていた。散財する人格もいるので、そいつの後だと困るが、今日は大丈夫そうだ。街を歩いて、レストランかカフェを探す。まだ体は痛いが、どうやら打撲程度だったようだ。手首を切っていなくてよかったと思う。陽が高く、ランチタイムのようだ。ランチメニューの看板を見て歩く。ハヤシライスのイラストと表記のある木の立て看板があるカフェに入った。

私たちは、友達ができない。誰かと親しくなったとしても、次の人格が、大抵その友情を壊してしまう。恋なら一晩でもできる。でも、やはり他の人格が、恋を壊してしまう。私自身、一度好きな人ができたこともあったけど、次に私が目を覚ましたときには、その人はとっくにいなくなっていて、私は別の人に体をまさぐられていた。気持ち悪くて、その場で嘔吐し、相手が驚いている隙に逃げ出した。裸で歩き回っている私は保護され、また気を失った。次に私が目を覚ましたのは、それから一年後のことだった。その間、私の体型は変わり、傷は増え、家にある絵や彫刻のアート作品も増えていた。

とにかく私は、せっかく目が覚めたのだから、好きなことをしようと思った。お腹いっぱいご飯を食べて、ライブハウスにでも行って、騒ぎ立てて踊りでも踊り、それで、、それで、どうしよう?

体の奥から、痛みが蘇り、自分の考えの浅はかさを諭す。私は絶望にかられた。ハヤシライスが少しも喉を通らない。うつ病の人格の影響かもしれない。私はもっと楽観的なはずだったのに、やりたいことはなくなっていた。全てが虚しかった。

ほとんど消費されなかったハヤシライスとコーヒーのお代を払って、冴えない散歩の続きをした。天気は、これまでずっとそうであったかのように、そしてこれからも永遠に続くような晴天だ。

ある雑貨店の木製のボードに貼られたポスターのイラストに惹かれた。パステルカラーで、淡い縁取りのレンガのような四角が、カラフルにたくさん並んでいる、抽象画のようだった。

これ、気になります?

店から、店員らしき女性がやってきて、そう話しかけてきた。

これは、ある人が自分のために
描いたものなんです

私は、彼女の言う意味がすぐにわかった。

私じゃありません

私は、ぶっきらぼうにそう言った。

いいえ、あなたですよ

彼女は言った。

姿は同じでも、違うんです。あなたがどこまで知っているか、私はわからないけど、あなたが知っている人は、今はいません


それでも

と彼女は言った。

それでも、あなたなのです

私は、散歩を続けた。すれ違う人が、私を見ている気がする。前から知っているような気がする店がある。私の知らない私が、私の街で、私の知らない誰かと、私の知らない物語を生きる。私の体で。

彼は、かつての私の恋人かもしれない。彼女は、私が心を許した唯一の人かもしれない。あの絵は、私が描いた作品かもしれない。あの音楽は、私がヒントを与えたのかもしれない。あの人は、私が傷つけた人かもしれない。あの猫は、私が餌をやったかもしれない。あの道は、私が歩いたのかもしれない。あの路地には、私の涙が落ちているかもしれない。

いつの間にか、私は自分の頰が濡れていることに気がついた。こんなに感傷が流れ込んできたことは、これまでになかった。どんな記憶が、私をこんなに切なくさせるのか、わからなかった。

お母さん

私は、街を歩きながら、泣いていた。不思議に、辛くはなかった。


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