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自転車を盗まれて気づいた、「当たり前」という名が付けられたモノたちの大切さ。

今朝、大切なモノを失ったことに気づいた。大切なモノを大切にしていなかった自分が悲しくて、その思いを書いている。

わたしは「これだけあれば生きていけるリスト」をスマホのメモに作っている。8月から参加したお片付けプロジェクトでも、長年溜め込んでいたモノたちと沢山サヨナラした。これからの暮らしに必要なモノは何だろう、何と一緒に生きていくのか、生きていきたいのか、を考えなら、たくさんのモノたちと向き合った。結果、今残しているモノは、わたしのこれからの人生に必要なモノたちだ。

その中でもリストに載せているものは、失いたくないものだ。これは失いたくない、大切にしていきたい、と思ったらリストに書き加えている。

今朝、娘を保育園バスに送り出した後、いつもの自転車で出かけようとした際に、その自転車が駐輪場にないことに気づいた。どういうことだ。。。記憶を辿る。ハッと思い出した。数日前、自動車学校の帰りに近所のスーパーに寄った。そこで買い物をして、歩いて家へ帰宅した。自転車はスーパーの駐輪場に置きっぱなしにしていた。葱だけ買って、、、とちょっとの買い物のつもりで、自転車の鍵をつけたままだった。家から5分のスーパー。葱を買った私は、焼き葱入りの豚汁を作ることで頭がいっぱい。いつもの流れで歩いて帰宅してしまった。思い起こせば、それは先週の金曜日のことだった。その後もスーパーへは何度か買い物に行った。レジの前にある駐輪場には、わたしの自転車に似た自転車が停まっているなと思っていた。自分の自転車であることもすっかり忘れて。昨日も、娘と保育園の帰りに、そのスーパーに行った。その時も、娘が「ママと同じ自転車が停まっているね」と言った。わたしは「そうだね」と答えただけだった。自分の自転車はマンションの駐輪場、同じ車種があるもんね、くらいに思っていた。

今朝になってマンションの駐輪場を見渡し、自転車がないことを確認した私は、急いでスーパーへ向かった。もう自転車はなかった。レジの人に尋ねてみたが、スーパーでは自転車撤去はしていない。市や交番に問い合わせしてみてとのことだった。市に問い合わせするも、スーパーの敷地内の自転車を撤去することはないとのこと。交番に電話すると、直接、盗難届を出しに来てくださいとのこと。歩いて交番へ向かった。

娘が産まれた後、職場に復職する際に、駅までの足として購入して自転車だった。車の免許がない私にとって、小回りが効き、頑張って漕気さえすればどこまででも連れて行ってくれる相棒だった。車の免許がなくたって、私にはこの自転車があればどこへだって行けると思っていた。電動自転車のポテンシャルはすごい。

それなのに、そんな自転車に鍵もかけず、乗ってきたことすら忘れてしまい、6日間も放置してしまっていた自分が悲しい。自転車、ごめんなさい。きっと自転車は、私のお迎えを待っていただろう。何日待っても現れない主を見かねて、誰かが乗っていってしまったのだろう。

娘のスイミング、送り迎えに自転車がないと行けない。私の行動範囲を格段に広げてくれる、私が自由に動くための大切な相棒だったのに。自転車だって、「これだけあれば生きていけるリスト」に書いておきたいモノだ。

この一件で、気づきがあった。「これだけあれば生きていけるリスト」に書いていないモノの中に、まだまだ大切なモノがある。それは、暮らしの中で、あることを当たり前に思ってしまっているモノ。例えば、水とか、電気とか、、当たり前にあると思っているモノは、わざわざリストに書いていないのだ。そこが、これから私がより豊かに生きる上で大事なポイントだと思った。あることが当たり前だと思っているモノには、感謝が生まれにくい。自分が意識的に購入するもの、自分の意思で関係を築くもモノをリストに書いている。そういうモノに触れる時間、感じる時には、感謝の気持ちを持てている。ところが、リストに書いていない、在ることが当たり前のモノには感謝の気持ちを持っていない。自転車があることを当たり前に思っていた私には、自転車への感謝の気持ちもなく、大切にもできていなかった。自分で所有するからには、管理やケアという責任が生じる。大切にするとはそういうことだ。

自転車を失って初めて、それが自分の暮らしを支えてくれていたことに気づいた。いつもそこに在るモノと思っていたモノがなくなって初めて、その大切さに気づいた。

「これだけあれば生きていけるリスト」なんてモノを書くことで、自分にとって大切なモノは何かを認識しておこうと考えていた。しかし、リストに書いているモノたちは、当たり前にあると思っているモノがあってこそ、成り立つモノたちだったのだ。

この文章を書きながら私が気づいたこと。大袈裟かもしれないけれど、

今あるもの全てに感謝し、生きていくこと。

理想とする未来に向かって、新たな資格やコミュニティ、人からの承認や物的欲求、満たしたい器はいくつも出てくる。でも、自分の暮らしをよくよく観察して解像度を上げてみる。持っているモノはたくさんある。生きる上で必要としているモノたちは、「当たり前」という名を付けられて、私の生きるを支えてくれている。

この「当たり前」という名を付けられたモノたちは、きっと、失われてはじめて、その大切さに気づかれるモノたちだ。

「当たり前」という名の「当たり前ではないモノ」たちを失う前に、その大切さに気づき、大切にしていきたい。

もしも叶うなら。もう一度、わたしの元に帰ってきてほしい。あの、チョコレート色の自転車に娘と一緒に乗りたい。寒い冬空の下、自転車で風をきって走りたい。


おバカ過ぎる自分に呆れ、悲しみにくれるけど。「完璧な人はいないんだよ」って娘のコトバが心に沁みる。



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