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自分にストイックすぎる。
もっと適当に。

会社で働いていた時も、自分で自分を苦しめた。
とことんやりたくなる。自分の負荷をどんどん重くして、耐えて耐えてパワー!と筋力増加を目指してしまう。それが快感になってしまっていた。

家族ができて、働く環境も生きる環境も変わった。短距離走を短いスパンで繰り返す生き方では、働き続けることが難しくなった。高速道路を降りて、遊歩道を道草しながら歩いていくことを選んだ。はずだった。

ところが、気がつけば遊歩道をもストイックに歩いているらしい。
遊歩道を道草しながら、ゆっくり楽しみたかったのに。
草木が揺れる遊歩道を、思いリュックを背負って100本ダッシュしようとしているのが今のわたし。


何もかもを適当にできないわけではない。
料理は適当、子育ても適当、家のことも適当。掃除も適当。ホコリが目に見えてたまれば塊を拾うくらいの適当ぶりだ。

適当ってなんだろう?と考えた。
適当には2つあると思った。

ひとつは、関心が薄い適当。どうにかなると思っていることに対して「適当」を発動する。子育ても今となっては適当だ。コリスがしっかりしてくれているから、母が適当でもなんとかなっている。

もうひとつは、プロフェッショナルによる適当。
その道に精通しているからこそできる適当。いわゆる「手なり」でやれる域に達している人たちが見せるかっこいい適当がこれだと思う。

「適当」にやれる域まで達したくて、ストイックになってしまう。頭でっかちで嫌になる。「適当」についてこんなに考えて、「適当」が難しいーと唸っている。バカじゃないか。

肩の力を抜いていけよ。
適当も目指せるものではない。やっていたら身につくものが「適当」なのではないか。頭ではなく、身体で覚えるのが適当なんだと思う。

だとすれば、やっぱり、今、楽しいと思うことをやるしかない。
楽しいと思えることをやっているのに、苦しくなるのは、遊歩道を負荷をつけてダッシュしようとするからだ。

ゆっくり歩け。
遊歩道に咲く、草木を愛でろ。
足を止めて水筒の水を飲め。
眼下に広がる景色を見よ。
100本ダッシュの筋肉はもう君には必要ない。
山の頂上に登る必要もない。
ずっと遊歩道を楽しんでおけ。

道いく旅人たちと話をせよ。
人生は長い、生き急ぐな。

100キロくらいつけたおもりの5キロくらいはずれたかな。

少し、体が軽くなった。
水筒の水を飲んで、今日も草木を愛でよう。

みなさん良い1日を。


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