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文学フリマ東京38に出展するため、東京にきている。ホテルの近くに公衆浴場を見つけたので、昨晩行ってきた。脱衣所のロッカーが18個、浴場の洗い場の椅子も8個の、こじんまりとしたお風呂だった。
 
21時頃、洗い場のイスも満席だった。すぐにひとつ空いたので、身体を洗おうとシャワーを出す。隣のおばちゃんとその隣のおばちゃんは、知り合いのようだ。「今日は混んでるねぇ、きのうは少なかったけどねぇ」。と話しながら、かかとをゴシゴシと磨いている。鏡の下に置かれた濃いピンク色のバスケットには、シャンプーやリンス、ボディソープに洗顔といったお風呂セットが詰め込まれていた。ペットボトルの水も持参している。その隣のおばちゃんは、持参したバスケットではなく、浴場の洗面器にお風呂セット一式が詰め込まれていた。ふたりの会話から、常連さんであることは間違いなさそうだ。

「さあ、洗うか」。シャワーで頭を流しながら気づく。「ここにはシャンプーもリンスもボディソープも、なにもない……しまった」。

タオル1枚と替えの下着を袋に詰め込んでホテルを出てきた。お湯を浴びるのは気持ちが良いけれど、お湯しかない。なん度も見回すけれど、どこにもシャンプーもリンスもボディソープも置いていない。

ああ、困った。隣のおばちゃんのお風呂セットに目がいく。その隣のおばちゃんのお風呂セットにも目移りする。どうしよう、おばちゃんに話しかけて、シャンプーリンスをワンプッシュもらえないだろうか。隣のおばちゃんと話しながら、かかとをゴシゴシしているおばちゃん。

「よく来られるんでか?私は初めてで、福岡から来たんです。シャンプーリンス持ってくるの忘れてしまいました」と、話ができたら、ワンプッシュどうぞって言ってくれないかなと想像しながらシャワーで頭をゴシゴシする。

その展開が無理なことも考えて、「本来ならばお湯だけでも頭の汚れは落ちるはず」とお湯の力を信じはじめる。なにも持たずに風呂へやってきて、ひたすら湯で頭と身体を洗う私は、地球環境に優しい人のように見えているかもしれない。地球に優しくしたいけど、自分の頭も身体もスッキリもしたい。ごちゃごちゃ考えいるうちに、隣のおばちゃんは湯船に行ってしまった。その瞬間、心は決まった。「今日はお湯洗いでいい」。

一通り洗い終わると、湯船へ。ジェットバスがたまらなく気持ち良い。「今日のお湯は熱い」。先に浸かっていたおばちゃんが言う。ひとりごとなのか、私に言っているのか。それとも、風呂場の誰かに向かってか。

「熱めだけど、これくらいも気持ち良いですね」と私は返した。「熱かったら、水入れていいよ。そこに蛇口あるから」。おばちゃんが私に言う。

「うるさい人がいたら、云々言われるけど、今日はいないから水入れていいよ」。おばちゃんは話を続ける。常連のおばちゃんも恐れるような、この銭湯の主がいるのだろうか。

「そうですか、じゃあ少し水を入れさせてもらいます」。蛇口をひねり水を出した。「よく来られるんですか?」と聞いた。「そうね、平日が多いけどね」とおばちゃんは言った。「お先に、おやすみー」と風呂場を出ていく人たち。「おやすみー」と声をかけて見送る人たち。

この浴場は、この人たちの暮らしの一部なのだ。1日の終わりに風呂へ来て、「おやすみ」と言って帰る。

子どもを連れたお母さんもいれば若い人もいる。おばあちゃんたちもいる。家よりは大きいけれど、そこまで大きくはない風呂をみんなで使う。ここにいる人たちがデッカい家族のように感じられた。

子どもの頃は、家にもばあちゃんがいた。ばあちゃんと一緒に風呂に入ることはなかったけれど、シュミーズを着たばあちゃんが家のなかをウロウロしていた。年をとったら人間の身体はこんなふうになっていくんだ、と思っていた。銭湯でばあちゃんを見て、同じことを思う。

他人どうしが裸で集う場所、銭湯ってすごい。ぜんぶ脱ぎ捨てて湯船に浸かれば、みな、同じ人間でしかない。重たい鎧を身につけて、生きている。1日の終わりに、鎧を下ろして湯に浸かる。

もし家の近くにこんな銭湯があったら、通うだろう。寂しさを感じることが減り、穏やかに生きていけるかもしれない。

「おやすみー」

帰り際におばちゃんが声をかけてくれた。
東京にきていることを忘れそう。



銭湯帰りにアイス



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