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坐る場所に上がる框(かまち)を浄縁といいます。

ここは足やお尻で踏まないように、床板の上に敷いた座布団に腰掛けるようにして、足を上げて上がります。なぜなら僧堂とか坐禅堂で食事やお茶をいただくとき、この浄縁(じょうえん)の上に食べ物や飲み物を置くからです。いわばお膳・食卓ですから常に浄巾でキレイにしておきます。

うちの参禅堂の浄縁をどうするか?が大きな課題でした。間口3間は約5.4mの長さですから、そういう材木は破格の値段がします。とてもじゃありません。そこで大工さんとの相談で、ヒノキの通し柱を使うことになりました。これなら長さ6mほどありますので大丈夫です。

問題は、土間(通路)から床(浄縁)の天端までの高さでした。一般的なお寺の僧堂や坐禅堂の場合は、お坊さんがひょいと上がるのに適していて比較的高いわけです。これでは年配の方や女性あるいは子どもには少々高すぎると思い、色々試行錯誤して40センチとしました。

今日はその図面を今から引きます。というのも日中は会社の仕事ですから、個人的なことは極力つつしみます。これでも会社員でして、仕事時間中に私用はいけません。在宅勤務が多い近頃は、だれも見ていませんから何をしていても咎めはありませんが、自分が自分を許しません。

それにしても「浄縁」とか「浄巾」といった言葉は、お寺で生活した者ならごく普通なのですが、一般には馴染みがありません。はっと気づいて言い直すことしきりです。「浄巾」にしてもキレイなものや所を拭く布巾や雑巾のことなのですが、いざ説明すると大変です。

お寺(禅宗)用語はごまんとありますが、今は興味があればネットで検索すればたちどころに掴めます。ただ、専門用語はその道の者の共通理解であって、社会一般には通用しません。今日のテーマの浄縁もかな漢字変換で出てこないのです。「浄い縁」と打って登録するまでもありませんが。

今日の一言は「浄縁」です。
人びとの縁が文字通り浄いものであることを念じつつ。


浄縁(水)


何気に使ってる言葉が「ナニソレ?」になっていた好例と思って今日のテーマとしました。
今日もご覧下さりありがとうございます。

念水庵

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