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農行に生きる、その使命とは。

わたしの使命とは何ぞや?と自らに問い、その到達点が「農行のうぎょう」でした。農作業と修行を合わせた新しい自作の造語です。


1,何に命を使うのか?

使命とは一般に「与えられた重大な任務」を指しますが、わたしは余命をどう生きるか、何が自分に求められているのかと自問自答を繰り返しました。

その結論が農業でした。農業といいましても利益を追求したり、生産性の向上といった事業に取りくむ知識も、経験も、必要性もありません。

一生(というか老後)をかけて取りくむべきは、わたしの場合、やはり修行です。その具体的な中身を「農行」と名付けました。

文字通り「使命」とは命を使うと書きます。命がけ、本気でやっていれば、何かがつかめる、否、つかめなくても一向に構いません。

ただ汗を流し、みんなとお茶を飲みながら話し、笑い、泣き、苦しくても、辛くても、悲しくても、それが与えられた命の営みだと思っています。

2,自然農の中での選択

下の動画をご覧ください。協生農法や菌ちゃん農法のほかに松沢政満さんの自然農が、わたしには一番しっくりきました。

「松沢+自然農法」で検索し、この動画や様々な資料にたどり着きました。世界が注目する一切耕さない農業、畝立ても必要ありません。

雑草が生えている状態を観察し、草を刈る前に種を蒔いて、蒔いた後に草を自走式草刈機で刈ると、草がちょうどいい長さで切り刻まれて、草がそのまま天然の肥料になり、マルチ代わりになるという優れ技でした。

化学肥料を使わない、何年でも決して耕さない、もちろん農薬は使いません。土と植物と虫たちとの共存で、環境再生型農業とも呼ばれています。

それでいて、子どもたちの大好きな野菜がとれる。身体によいのはいうまでもありません。とにかく美味しいと噂が噂をよび絶賛され、世界が注目しています。

美味しくなければ本当の野菜じゃない。昔はきっとこうだったんだと思います。これは本当に地球にやさしい農法ですね。子供は嘘つきません。

3,仲間とともに仲間のために

先々週の週末に、この話を友人と相談しました。

私たちは、今はまだ見ぬ仲間に、いったい何ができるのだろうか?それが長い期間の命題でした。

ようやく自分たちの使命が見えてきました。ヒントは昨日の田坂広志先輩の講演でした。禅寺での畑仕事です。汗をかくことが身体にいいことはもちろんです。

掃除しかり、体操しかり。けれどもやはり何かを作るって作業は本来たのしいものです。農作物、作物、いいことばです。

わたしのとこでもこれならできます。無理することなく、楽しみながら。南京豆「落花生」がいいんじゃないか?と友から提案がありました。

ナッツ類はタンパク質の塊、卵もヤギのミルクも、チーズ、いちごジャム、大根、人参、レタス、かぼちゃ、赤蕪、ブロッコリー、椎茸・・・

みんな、美味しいから集まってくれたらいいですね。

ウチの地下水は毎週先輩が試験的に飲んでくれてて(呑んだくれではありません笑)ほんとに美味しいと太鼓判を押してくれてます。コレ一番の自慢です。

4,修行ってじつは楽しい?

資格をとるためとか、心の修養とか、煩悩をなくすためだとか、することないからなどの贅沢な悩みは知りませんが、本気で何かを求めている人にとって、価値ある、為になる場所になればいいな、と真剣に望んでいます。

目くじら立てて、作業(作務)に取り組まれてる姿をみるたびジーンときます。わたしがそうでしたから。いや、いまでもそうです。本気でやってると馬鹿みたいに、真面目くさって、真剣に面白いものです。

楽しくなけりゃ修行じゃない…なんて嘘くさいことはいいません。掃除なんか今でもめんどくせーと思ったりします。だけど、その時なんですね、はっと気がついて「めんどくせー」と思ったことをそのまま、良し悪しの評価をしないで、そのままを受け止める。だけでいいんですよ。ありの~ままで~♬

後から、あれは辛かったけど面白かったなあ、と。
振り返るのは死んでからでも遅くありません^^
生きてる内は今っきゃない。
過去も未来も幻想だ~。

農作業ならぬ農修行、約めて「農行」これ、やってまいりま~す。


農行(水)


ご覧いただきありがとうございます。
念水庵 正道


ニワトリ、ヤギ、犬、青年、山小屋、庭

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