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「空」は身近な教えだった。

わたしが仏教を身近に感じたのはマインドフルネスの実践です。
理屈じゃないのよ、仏教は〜🎵
ということで今日は「色即是空」の空(くう)を取り上げます。


仏教の教えの中で最も心を揺さぶるとされ(個人によって異なる感じ方がありますが)多くの人に影響を与える基本的な教えには次のようなものがあります。

  1. 無常(むじょう): すべての存在は常に変化し続けるという教えです。この世のものは永遠に続かないため、それを受け入れることで苦しみから解放される道を見つけることができます。

  2. 縁起(えんぎ): この世のすべての現象は、無数の原因と条件の組み合わせによって生じるという教えです。全ての物事は他の物事と相互に関連しあって存在しており、独立した存在はないとされます。

  3. 四苦八苦: 生老病死の苦しみ、愛別離苦(愛するものとの別れの苦しみ)、求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)、五陰盛苦(肉体と精神の諸要素が原因での苦しみ)など、人生における基本的な苦しみを指します。

  4. 空(くう): すべての現象は自己存在しないという教えで、すべては縁起によって存在しており、本質的な自己は存在しないと説かれます。この理解は、物質的なものだけでなく、我々の自我にも適用され、解脱への道とされます。

これらの教えは仏教の根本的な考え方を形成し、深い洞察や内省を促します。どの教えが最も心に響くかは、個々の人の経験や現在の心理的状態によって異なります。


わたしはこの一番難解とされるくうが、一番刺さりました。

仏教における「空」(サンスクリット語でシューニャター)は、難解で抽象的な概念の一つですが、その根本的なメッセージは非常に現代的な問題、特に私たちの自己認識や存在の見方に関連しています。

「空」とは何か?

「空」とは、すべての存在が本質的な自己を持たないという教えです。

これは物質的なものだけでなく、感情、思考、さらには私たちの「自我」と考えるものにも当てはまります。

すべての現象は、他の要因との相互作用によってのみ存在し、それ自体で独立した存在ではないとされます。

この理解は、すべてのものが「縁起」した、つまり多くの原因と条件が重なり合って生じるという仏教の基本的な見解に基づいています。

現代生活での「空」の意義

現代社会では、個人主義が強調され、自己のアイデンティティや成功が非常に重要視されています。

しかし、仏教の「空」の概念は、私たちが通常意識しているような個別の自己が実は幻であると教えます。

この理解は、自己中心的な思考や行動が引き起こす精神的な苦悩から解放される手段を提供します。

たとえば、失敗や否定的なフィードバックに直面したとき、それを個人の失敗として捉えるのではなく、多くの外部要因が結びついて生じた結果と理解することで、自己批判や自己否定から一定の距離を置くことができます。

「空」の実践

「空」を実生活でどう活かすかには、瞑想や日常の観察が役立ちます。

例えば、感情や思考が浮かび上がるのをただ静観する瞑想を行うことで、これらの精神活動が自己の本質ではなく、外からの刺激や体内の化学反応によって引き起こされる一時的な現象であることを理解する手助けとなります。

また、他人との関係性を見直す際にも「空」の視点は有効です。

他人の行動を個人的なものとしてではなく、その人の環境や過去の経験によって左右されていると捉えることで、怒りや悲しみを和らげ、より寛容な態度を育むことができます。

「空」の深い理解

仏教における「空」の概念は、単に「何もない」というわけではありません。むしろ、全てが相互依存的に存在しているという、より豊かでダイナミックな実在観を示しています。

これにより、私たちは世界と自分自身を分断して考えるのではなく、より広い視野で物事を見ることが促されます。

まとめ

仏教の「空」は、私たちが常に追い求める自己のアイデンティティや完璧さとは異なり、より柔軟で開かれた考え方を提供します。

自己とは独立した実体ではなく、周囲の世界との関係の中で形作られるものであるという理解は、ストレスやプレッシャーを感じやすい現代人にとって特に有益です。


社会的な関わりにおける「空」

社会的なコンテキストにおいて、「空」の概念は、偏見や衝突を減らすための有効なツールとなり得ます。

個々の行動や意見がその人自身の本質から発しているのではなく、その人の生い立ちや周囲の状況、社会的影響によって大きく形作られていると見ることで、他者への理解と共感が深まります。

これは対人関係だけでなく、より大きな社会的課題への対応にも役立ち、対立を和らげ、より協力的な解決策を見出す助けとなります。

「空」の精神的利益

「空」を理解することは、不安や恐怖といった感情に対処する際にも力を発揮します。

全てが変化し続けるという事実を受け入れることで、一時的な困難や不快感が過ぎ去るものであると捉えられるようになります。

これにより、現状に固執することなく、より流動的で柔軟な心持ちを育てることができるます。

日常生活での実践例

具体的な日常の実践としては、瞑想だけでなく、例えば物事が予期せずに起こった際に、その瞬間の感情や反応を観察する練習をすることが挙げられます。通勤中の電車が遅れたとき、そのイライラがどのように始まり、どのように消えていくのかを静かに見守ることで、「空」の教えに沿った心の持ち方が養われます。

最終的なメッセージ

仏教の「空」の教えは、自己と世界を切り離して考えるのではなく、すべてが互いに関連し合い、影響し合っているという視点を提供します。この全体的なつながりを理解することで、私たちはより調和のとれた生活を送ることが可能となり、内面的な平和を実現できるのです。

このように、「空」は仏教の中でも特に深遠な教えの一つですが、その真髄を理解し、日常生活に取り入れることで、精神的な豊かさと平穏を得る手段となります。現代社会においても、この古代の智慧が提供する洞察は、多くの人々にとって価値あるものであり続けるでしょう。

「物事が予期せずに起こった際に、その瞬間の感情や反応を観察する練習」は、仏教で広く「マインドフルネス」(正念、サティ)と呼ばれる瞑想の一形態に該当します。

マインドフルネスは、瞬間瞬間の体験に対して意識的な注意を向け、現在の感覚、感情、思考、または環境を非評価的に観察することを指します。

この実践は、古典的な仏教瞑想法の一部であり、特にテーラワーダ仏教の瞑想技法であるヴィパッサナー(洞察)瞑想と関連が深いです。これによって、私たちは自分の内面の動きをより明確に理解し、反応するのではなく応答する方法を学びます。これは、精神の平穏を促進し、日常生活での自己認識を高めるのに役立ちます。


普段の言葉、関西弁で話してみました。

坐禅会の後の講話から

「マインドフルネス」というのは、仏教で言う「正念」や「サティ」と呼ばれてる瞑想の技法のことやね。

このマインドフルネス、元々は仏教が起源で、自分の今の感じとか、考え、周りの環境に対して、ちゃんと気つけて意識する練習や。

ほな、どうやってやるか言うと、例えば、ええかげんなことが起きた時に、自分がどんな感情を持ったか、どんな反応を示したか、そのまま冷静に観察するんや。

これができるようになると、自分の心の動きをよりええ感じで掴めるようになるし、イライラしたりすることも少なくなる。

エエとかアカンとか、スキとかキライとか、そういう評価しとる間がない。そのままを受け止めるっちゅうか、まんまやねマンマ。

さらにな、このマインドフルネス練習は、ただの気づきやなくて、心をいつもクリアに保つためのもんや。例えば、電車が遅れたりした時にすぐ腹が立つかもしれへんけど、そんな時に自分の感情をよう観察してみ。すると、何でそう思うのか、その感情がどこから来てるのか分かるようになるんや。

この練習(括弧つけてプラクティスいうとります)続けていくことで、自分の心がどう動いてるかがクリアに見えてくるし、それが自分自身や他人との関係をよりよくする手助けにもなるんちゃう?

とにかく、マインドフルネスちゅうのは「今この瞬間に集中すること」が大事やね。それによって、自分の心の動きに気づき、無意識のうちに繰り返してしまう行動パターンにブレーキをかけることができるんや。

簡単にいうたら、日々の生活の中でちょっとしたことに気配るだけで、心がだいぶ楽になるから、ぜひトライしてみてください。

念水庵の勉強会記録:強調筆者


ご覧頂き有難うございます。
念水庵


#仏教の本質 #色即是空 #マインドフルネス #空

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