災い転じて福となす。
「災という字を逆さまにしたら笑顔になる」と以前きいたことがあって、実際にやってみました。そう言われれば納得です。今日はそうした具体的な事例を中心に、もう少し掘り下げてみたいと思います。
1,発想の転換
✅コペルニクス的転回
見出し画像がわかりやすいかもしれません。文字のイメージはいささか固定されてて、その言葉がもつニュアンスというか響き、語感は過去の経験と結びついてて概念・観念になってます。
風景なんかもそうですね。天橋立の股のぞきは、やってみると全く違って見えます。鏡に写る顔と実際との違いのように(鏡像)左右でもそうです。
180度見方を変える。ニュース記事を読んで、いつも同じ見方をしてるなと気づくことがあります。前後左右上下、アングルの問題かもしれません。
✅アルキメデスの原理
実際はどうだったか知りませんが、アルキメデスは入浴中にこの原理を思いついたそうです。それから満水のビーカーに、ある一定の質量のオモリを静かに入れて、あふれだした水の量を量ったとか。
浮力の原理は物理学の基礎となっていますが、この考え方で構造物が地中の水分によって受ける影響を考慮するなど、安定解析でも大変重要です。
物体の重量は真下にかかりますが、その反対方向つまり上向きに浮力がかかる。だれでも習うことですが、これを発見できたことが偉大ですね。
これは法則というか原理を「きっと何かある」と捉えて、いつも探求していた成果でしょう。たまたま入浴中だっただけだと思います。
✅コロンブスの卵
卵を縦に立てる方法で有名ですね。やってからでは誰でもかしこい、と昔から言われているとおりです。ですから特許などで守る必要があります。
卵の立て方では特許にはなりませんが、そうした発想は常に訓練するといいと思ってます。わたしも意匠登録を二つ持ってます。
創意工夫とか発明・発見、実用新案とか特許は子どもの頃からの憧れでした。今でも草刈り方法とか夢中で考えたり実験したりします。
自然農も同じ発想ではないでしょうか。誰かがやってる方法では飽き足らず、へそ曲がり的な考えで、やってみたら凄いことだったみたく。
2,解釈力
わたしの尊敬する田坂広志工学博士は、この解釈力という言葉を提唱されています。解釈する力は誰でも持っています。その方向と方法が課題です。
地球が丸いということを解釈とはいいません。事実です。これは誰かが証明できるからと言われます。原理や法則も証明できるわけです。
事故を起こしてしまった場合に、どう解釈するか?
怪我や病気したときに、どう解釈するか?
失敗してしまったときに、どう解釈するか?
余命宣告をうけたときに、どう解釈するか?
不遇や逆境あるいは不幸と呼ばれる事態に、どう解釈し、どう行動するか。
田坂先生の著書や動画をご覧になった方はご存知でしょう。
知識だけではどうにもなりません。慣性の法則。今までと同じように解釈し今までと同じように行動することでしょう。
解釈力は、解釈+力なのです。地力ですね。地力をつけなきゃ「ええお話」で終わってしまいます。
地力をつける方法は、プラクティスしかないんですよ。実践といってもいいし、練習といってもいい。修行。どの道でも最低10年はかかります。
3,災いを転じる方法
ほとんどのお坊さんは、毎日お経をお唱えします。お経に書いてあることは、全部自分に言い聞かせる最も大事な部分です。自分の声で自分の目と耳で聞きます。ですから読経と申します。
信教の自由と憲法に書いてあります。教えを信じるも信じないも自由です。ですが、人間やはり弱いものです。辛く悲しいことの方が多いですよ、実際には。毎月のように地震があるでしょ。毎日のように悲しいニュースが飛び込んできますよね。当事者は、どんなに辛いだろうなって。
天を呪いたくなるときもあるわけです。神も仏もあるものかって。
天災は忘れた頃にやってくる。人災は忘れぬ間にやってくる。わが事になって、そのときに何が自分をたすけてくれるか。すくってくれるか。
日頃しかないんです。日々忘れない言葉を、自分が自分に言い聞かせる。そうした言葉を持ちましょう。人それぞれに座右の銘を持つことだと思います。わたしの場合、それが「プラクティス」というだけです。
お読み頂き恐縮です。
偉そうなことを申し上げましたが私も修行の身です。
日々、反省と希望を両手に歩いております。
念水庵 正道