見出し画像

初めてのカウンセリング

「三角の社会に自分という丸が収まらないから苦しいんだ。例えば環境が丸や四角なら、あるいは枠がなければ自分は丸のままでいられる。けどこの社会で生きていくには三角になるしか方法はない。」

それは誰しもが頭ではわかっていることだと思う。

会社なり学校なり、その場その場のルールに合わせれば物事が円滑に進む。しかしそこに自我や美学を持ち込むとややこしくなるのだ。

今までの私はまさにそうだったし、こんな話もいまひとつ納得のいかないリアクションで終わったいた気がする。

だがこのときはなぜかスッと腹落ちする感覚があった。

きっと、生きていくためにそうするしかないという諦めではなく、思い通りいかない場面でのテクニックという聞こえ方をしたからだと思う。

帰り道、2時間ほど喋った内容はほとんど覚えていなかった。それでも頭の中で丸・三角・四角と、そこに重大なヒントがある気がしてぐるぐると思考を続けた。

そのとき思い出した2つの言葉がある。ひとつは漫画のセリフ。もうひとつは芸人さんの言葉だ。

折れて 折れて 自分捻じ曲げてでも選んだ勝ち方で それすら敵わねぇなんて 嫌だ

僕のヒーローアカデミア 65話 壁

自分の軸を抜いて現場に刺せば楽なんだよね〜

しくじり先生ハマカーンの今後を考える オードリー若林正恭

この2つを要約すると、自分の中で絶対に譲れないものがあればそれ以外はどうでもいいということ。

前者は勝つことにこだわる少年が理想の勝ち方を捨ててとにかく勝つことだけ考えた結果出た言葉。

後者は理想のウケ方を正解にするのはなく、その現場が盛り上がることや円滑に進むことを良しとして振る舞えばその悩みは解決するという明快な答え。

いくらそうすれば楽になると言われても我慢や迎合という認識があると行動に移すのに抵抗が生まれるが、譲れないものを1つ心に据えてそれを達成するために選ぶ行為だとしたら理屈も筋もしっかり通るので納得がいきやすい。

特に私のようにほとんどの人が何も考えずそういうものだと捉えてる事象に違和感を持つタイプは、事象への納得と感情の説得をしないと同じラインに立てないので、この自我や美学の輪を縮小するやり方の方が最短距離で辻褄を合わせられる気がする。

答え


とは言っても譲れないものをひとつ挙げるのは意外と難しい、、

カウンセリングを受けて3日ほど経つが未だにこれだ!という答えが見つかっていない。

自分の中で強い価値観は調和で、それは保育園の頃から自分自身や自分を取り巻く環境が他と違うと徐々に感じながら形成されているものだと思う。

私はみんなと違うことが嬉しかったタイプで、それを良しとしてくれない世界観を持ってる人に否定されるのが嫌だった。

だから私の思う調和は"みんな一緒"や"みんな仲良し"ではなく、"バラバラでいいからケンカをしないこと"なのだ。

そんな感じで自分が目指したい世界はある程度はっきりしているが、少し規模が大きすぎて日常レベルの行動に繋げるには今一歩遠い感じがする。

しかし今日カウンセリング後初めて仕事へ行ってみると、言語化は出来ていないものの前より三角になれてる気がした。

今のままだと時間が経って心が揺らいだときに軌道修正が出来ないという不安はあるが、近いところまでは来るはずなので焦らずに探してみようと思う。

余談

最後に私の原体験3つを列挙してみる。

◆2007年6月 人生初の音楽ライブでステージ横のスタンド席から会場を見渡したとき、1万人の観客が笑顔でタオルを振り回していた光景が衝撃だった。

そんな多幸感で溢れた空間を作っていたのはステージ上の6人のミュージシャンで、それが調和の原体験であり、同時に自分もこんな風にたくさんの人を笑顔に出来る人になりたいと思ったことがミュージシャンを志すきっかけにもなった。

◆2007年12月 人生や世の中がどういうものかまじまじと見せつけられた衝撃のM-1グランプリ最終決戦。

10年間ネタを磨き続けた劇場番長トータルテンボス、デビューして瞬く間にテレビスターになったキングコング、そして地方から出てきて泣かず飛ばすの敗者復活枠サンドウィッチマン。

様々な人生が交わり過ぎて行く瞬間に自身の将来を悟った。間違いなく自分はキングコングタイプではないと。それでも、今がどんな状況であれ腐らずにいればいつか花開く。生きててよかったと思えるときが必ず来ると。

これは人生へのスタンスやマインド面で大きな影響を受けた体験だ。

ちなみに2007年は小学生5年生の年で、他にも色々と転機になる出来事がいくつも起こった年だった。


◆2014年9月頃 好きな人(A)といつもの公園で話していたら、たまたまAの知り合いの小学生数名と出会し、しばらくみんなが話してるのを傍観していた。

普段は明るく元気なタイプのAがそのときはすごくお姉さんに見えて、この人が奥さんだったらいいなと改めて強く思った。

ひとしきり話し終えた子供達は座ってたベンチの周りで各々遊びだし、それを眺めてるAをぼんやり見ながら私は、もし結婚して子供が出来たらこんな感じかなと想像してしまった。

そのとき初めて幸福を体で感じた。

時間が止まってるくらいゆっくりになって、少しポカポカするような、なぜかニヤニヤが抑えられないような状態。ある種ライブのときに感じた調和にも似た感覚で、自分と世界が溶け合って境目がわからなくなってるような体験。

そのとき明確にあのとき死ななくてよかったと思ったのを覚えていて、そういう瞬間に出会えると信じてた未来に近づいた時間な気がする。

2007年の原体験は2つともきっかけのようなものでどこか他人事だったが、2014年の体験はそれらが現実として目の前に訪れ直接触れたイメージ。

フィクションならそのままハッピーエンドになりそうな展開だと思っていたがリアルではそう上手くはいかなかった。

けどその経験があるから自分は絶対に人生を諦めないし、過去のせいにしたり自身を卑下したりしたくない。

根拠はないけど、きっと夜明けは近い。

そんな気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?