見出し画像

2024年Q1期ベスト本【アート編】

サイエンス編からの続き。

アートは美術ではなく「artifact=人が作ったもの、人の営み」の意味。人文系…という言い方は好きではないのですが、まあサイエンス以外のもの、と考えていただければ。これも、5冊に絞るのが心苦しかったほど豊作でした。


戦争と交渉の経済学:人はなぜ戦うのか

「人間」にもっとも絶望するとき、というと僕はアウシュビッツや戦争を思い浮かべる。人間の歴史は、戦争の歴史と言っても過言ではないのだけど、その詳細をつぶさに調べると、戦争は実際に起こったものより、回避されたもののほうが遙かに多いことに気づく。

そんな「戦争は滅多に起こらない」という直感に反する事実からスタートした議論は、「戦争を回避・終結・解決する絶対的な手段はないものの、前進させることは可能」という、これまた直感に反する結論に落ち着く。しかも、これは机上の空論ではなく、紛争解決の現場に立つ人の結論。タフな道のりなのは間違いないけれど、やるべき事はある。

ウガンダで、そしてその後の歳月で私が学んだのは、社会の成功とは単なる富の拡大ではないということだ。社会の成功とは、あなたの11歳の娘が反政府組織によって妻という名の奴隷にされないことである。

クリストファー・ブラットマン著「戦争と交渉の経済学:人はなぜ戦うのか」より

無意識のバイアスを克服する: 個人・組織・社会を変えるアプローチ

差別はいけない。そんなことは誰もが知っている。でも、具体的にどうしたらいい?アファーマティブアクションはやるべき?黒人に怯える警察官の心を静めるにはどうしたらいい?保育園から始まっている性差別を減らすには?

そのひとつ一つの疑問に現場の声と統計の双方を反映しながら答えていく著者の姿勢が、まず素晴らしい。そして、著者自身の戸惑いや、自分のなかにあるアンコンシャスバイアスに向き合う姿が、さらに素晴らしい。

本書は、ある意味で「現時点での答え」だと思っている。たとえ不完全で、今後アップデートされるべき答えであっても、スタートとしては十分すぎるほどに見える。

この数年のあいだに、私のなかの感情は怒りから好奇心へ、好奇心から謙虚さへ、そして切実な希望へと変化した。バイアスは変えられる、という事実を目の当たりにしてきたからだ。

ジェシカ・ノーデル著「無意識のバイアスを克服する: 個人・組織・社会を変えるアプローチ」より

ただしさに殺されないために~声なき者への社会論


本書は、ディラン・トマスの詩の引用から始まる。

Do not go gentle into that good night,
Old age shold burn and rave at close of day;
Rage, rage against the dying of the light.
あの穏やかな夜に身をまかせてはならない
年老いたものは黄昏どきに燃えさかり、そして荒れ狂うべきだ
怒れ、怒れ、死にゆかんとする光へ向かって

Dylan Thomas, “Do Not Go Gentle into That Good Night” from The Poems of Dylan Thomas.
https://www.poetryfoundation.org/poems/46569/do-not-go-gentle-into-that-good-night

この詩を読むと、どうしても僕が大好きな映画「インターステラー」を思い出してしまう。この詩は人類の新天地を求めるラザロ計画のリーダー、ジョン・ブランド教授によって読まれる…のだけど、そのブランド教授はろくなことをしていない。本書に登場するこの詩を読んだ人物も、受け容れがたいことを行った人物だ。

この詩は、結局そういう詩なんだろう。今の延長線上にいることを拒否する。今ある道徳、価値観、倫理、運命…そういうものを拒否する。

本書は希望よりむしろ絶望を記したもの。社会システムになんら寄与しない野球選手が、ゴミ収集やインフラ整備の作業員より遙かに高い給与をもらう。特定の世代に生まれただけで大きな不利益を被る。発達障害でも精神疾患でもない健常者だけど能力が低い、という人にはなんら救済がない…。

そういう声にならない絶望を記し、集めたのが本書。いい気分になる本ではないけれど、それでも読む価値は十分にある。

いま、教義に基づいて同性愛者を厳しく断罪するイスラム文明を恐れ、西欧社会では一部の同性愛者たちが各地の「極右政党」を支持しはじめている。
(中略)
同性愛者にとっては、同性愛者とイスラム教徒のどちらに対しても批判的な目を向ける頑迷な保守主義者よりも、イスラムの価値体系を「多様性・多文化共生」の名の下にそのままの形で包摂し、自分の隣人にしてしまいかねないリベラル勢力や政党の方が、現実的なリスクになってしまっているのだ。

御田寺圭著「ただしさに殺されないために~声なき者への社会論」より

不自由な社会で自由に生きる

自由って何?この本は明示的に「コレ」という回答は与えていない。でも、大きなひとつの指標は「批判ができる」ということ。だからこそ、ウスビ・サコ先生には日本がとても不自由に見える。考え方に対する批判が、人格の否定と受けとられることが多く、健全に議論することができない。

その他、登場する識者が論じる様々な不自由さ。言葉による不自由、カテゴライズ・区別することによる不自由、流行による不自由、etc. それらは、でもある種の自由さにもつながっていく。マンガというステレオタイプに頼らざるを得ないジャンルで多様な作品が生まれたように。学校の制服をちょっとずつアレンジしていく、制約に基づいたファッションが発生するように。

「自由とは何か?不自由とは何か?」は、本書を読んでもやっぱり分からない。でも、対話と議論を続けていくことで、その中で浮かび上がるものなんじゃないか、ということは何となく分かってくる。

スッキリではなくモヤモヤ。でも、それが自由ということなのかも。

ありたい自分でいいと思うんです、男性も女性も関係なく。私には、なぜフェミニズムという規範をつくるのかという疑問があります。フェミニズムを否定するわけじゃないけど、それで救われる人もいれば、同時に不自由になる人もいると思います。
マリでは一夫多妻制が認められていますが、仕事で活躍したい女性が、家庭では一夫多妻制の第二夫人をあえて選んだりするのです。それに比べると、日本はフレームを作って固定したがる社会だと思います。主婦とか、バリキャリとか。それがワンフレームだから苦しいんだと思うんです。複数のフレームがあって、逃げ場をたくさん持っていれば、自分の生きやすい環境作りができますよね。

ウスビ・サコ編「不自由な社会で自由に生きる」より

集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学

コロナ禍になって盛んに叫ばれた「ステイホーム」。でも、その結果どうなったろう?家という場所は、個人の居場所として不可欠なものだけど、人と人との結びつきを拡げることにはほとんど寄与しない。そして、世界を拡げたと思ったインターネットでさえも、実はリアルな人間関係にはあまり寄与していない。

本書は「集団生活を条件づける物理的な空間・場」である「社会的インフラ」についての書。原題の"Palaces for the people"は、アンドリュー・カーネギーが世界中に建設した図書館をそう読んだことから。図書館だけでなく、都市農園、運動場、公営プール、公立学校…政治にできることは、思うよりもっとあるんだと知れる良著。

社会的インフラは、橋の崩落や、電柱の転倒のように派手に崩壊することはめったにない。しかしその衰えははっきりわかる。人々は公共の場で過ごさなくなり、安全な自宅にこもっている時間が増える。社会的ネットワークが弱くなる。犯罪が増える。高齢者や病人が孤立する。社会は違法薬物に溺れ、過剰背一種で命を失うリスクが高まる。社会に対する不信感が高まり、市民の参加は衰える。

エリック・クリネンバーグ著『集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』より

鈍器上等!

ベスト本を眺めてみると、新書の「不自由な社会で自由に生きる」を除いて、どれも結構な分量がある本ばかり。コスパ、タイパという流れに逆行しているけれど、でも、学びが深い本はやっぱりそれ相応の分量がある。

「鈍器本を恐れない」。これは、良著を見つけるひとつの指標になるかもしれない。

みなさま、よい読書ライフを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?