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親ガチャな社会への私論|国ガチャだとどうだろうか

2021年に「親ガチャ」というネットスラングが流行語大賞にノミネートされ、今では○○ガチャという言葉もそこそこ浸透しているように思います。

「親ガチャ」は「人は生まれる環境を選ぶことができない」といった意味合いで使われ、主にネガティブな立場から使われます。つまり自分が生まれた環境を不幸だと思い、その環境は自分自身の努力だけでは乗り越えることができないという現代の状況も反映されているようです。

確かに「努力は必ず報われる」と頭ごなしに言われ続ける極端な能力主義もいかがなものかと思うことは多いので、そういった風潮への反発なのかもしれません。

しかし、この言葉を我が子が使っているのを聞いた親は酷く傷つくだろうし、気軽に使える言葉であるが故に、安易に努力を否定して完全な環境が整えられるまで言い訳を続ける人間が増えてしまうようにも思えてしまいます。

遺伝や環境が人の運命に強い影響を与えるという厳然な事実はあり得ますが、視野が狭い状態でこの言葉を使いネガティブな意識を持ったまま、行動すること自体を辞めてしまうのは非常にもったいないことです。

まず、この発想はそもそも特定の範囲内に限定されて幸不幸を捉えているように思えます。

そもそも、住んでいる地域や自分が接している限定的な人間関係のなかにおいてのみ、相対的な比較をして自分を不幸だと言っている可能性がありそうです。

東京都内に住んでおり予備校に通って難関大学を目指すのが当たり前の人ばかりの恵まれた環境の人たちと、自分を比較をして親ガチャだと言っているかもしれません。

もしそうだとすると、東京の半額以下の家賃で住める地方に引っ越してみたら、自分も地方社会においては都内の恵まれた環境の人たちと同じ状況で学生生活を過ごすことができます。

また、想定する範囲を全世界に広げてみたら、その比較対象はグッと広がります。「国ガチャ」とでも言えるでしょうか。

そうすると日本は少なくとも経済指標で言えばGDPは世界で4位なので、日本に生まれただけで随分ラッキーなガチャを引き当てたことになります。

経済指標だけでは環境の幸運さが計れないのならば「幸福度ランキング」などで計ってみるのもよいでしょう。

2023年時点の「世界幸福度ランキング」では日本は47位なので、経済指標に比べるとラッキーではありません。とはいえ、国連加盟国だけで196ヵ国があるので、47位はおみくじで言うところの中吉か吉くらいで当たりの範疇と言えます。(そもそも「幸福って何?」という議論は置いておきます。)

僕は20代の頃にがんに罹ってしまったため「健康ガチャ」には外れてしまったわけですが、充実した医療制度と社会保障が存在する日本に生まれたおかげで生き延びることができました。その後、時間はかかりましたが再就職することもできています。

もちろん、治療することがもっと難しい病気に罹ってしまう可能性や、病院に行くことも難しい経済状況の人のことを挙げると、それも「ガチャ」であると言わざるを得ませんが、それではキリがありません。

高度な医療技術が実現できており、患者側の自己負担額も低く、高額療養費制度も利用できる公的社会保障制度がある、そんな恵まれた環境があることに焦点をあてるべきです。

ちなみに僕も「努力か環境か」と問われると、環境の方が人を変えると思っているタイプです。

しかし、環境や遺伝のネガティブな側面にばかり焦点を当てて安易な言葉を使っていると、それこそ何も変えることができなくなってしまいます。

捉え方をポジティブに変えるだけでそれは防げるので、安易にネガティブな認知に陥らないようにしましょう。

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