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世界はまだフラット化してない

インドや中国の台頭、インターネットの普及を通して、グローバリゼーションについて論じた『フラット化する世界』という本があります。

インターネットがあれば、自宅にいながらも全世界の情報にアクセスすることができます。今では誰もが昔の様にローカルな世界観では生きていません。

そして、インターネットによって個人にもビジネスチャンスが拓かれた一方で、市場は単一になり競争相手もグローバルに拡がっていきます。消費者としては無限に拡がる市場から恩恵を受けられるかもしれませんが、労働者側は富める者こそがどんどん富んでいく、勝者総取りの厳しい時代である現実も無視することはできません。

こうした現象を「フラット化」つまり「平坦な」と呼ぶのは、うまい表現だと思います。

ただ、そういった傾向こそあれど、実際の世界がそこまで平坦になってしまうかというと、そうでもないような気もします。

それこそ僕が東京に住んでいた時は、日本全国の美味しいものを扱う飲食店があり、海外の料理も盛んに取り入れたお店も多くありました。東京にいるだけで標準化された世界中の料理を食べれる感覚があったのです。

しかし、それはそういった気になっていただけで、例えば国内だとしても、西日本に引っ越したり出張を重ねているうちに、現地のローカルフードを食べてみると、それはまだ全国に進出ができていないローカルなままの食べ物だったと気づくことが非常に多くあります。

音楽にしてもそうです。『Buena vista social club』というキューバ音楽が映画化され、当時は世界的に知られていなかったキューバ音楽の魅力に全世界がようやく気づくことになった名作があります。

閉ざされた社会主義国であるキューバ国内では、欧米の音楽が表現できていなかった全く別の魅力が醸成されていたのでした。

人気になり全世界の単一な市場で受け入れられる要素がある食事や音楽は、全世界に拡大してフラット化するよう、企業が努力をし、それを市場は受け入れますが、こういったそれぞれの細かい違いを実際に体感してみると、完全なフラット化となるには、まだまだ月日がかかりそうだと思います。

仮に完全なフラット化する世界が訪れるのだとしたら、今のうちに食事も音楽もローカルな魅力を味わい尽くしてやりたいと目論んでいます。

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