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【450球目】挑戦期⑳

長い第二次成長期が終わりました。今日は2019年から2020年にかけての挑戦期のお話になります。
何の挑戦なのか?第二次成長期の最後にも書いたIPOに対しての挑戦です。お付き合いください。


39期

2019年と2020年は三陽工業においては第39期と第40期になります。

2018年の38期にIPOへの挑戦を思考して行動を始めました。それが一気に具体的な行動へと移っていったのが39期です。それまで、ルールというルールが存在しなかったのです。稟議はありましたが、規程はありませんでした。38期に一気にそれらを作成して、39期から実行に移します。様々な所が変わって来ました。しかも猪突猛進の様な形で変えていきました。違和感があったことでしょう。その時はIPOに向けてまっしぐらです。

IPOは目的ではなく手段だ!と言いながら、重たい責任を果たす為に、その仕組み作りが第一義になっていました。自分ではバランスを取りながらやっていたつもりですが、今振り返ると足りない所だらけです。もっと上手く出来ました。それは断言できます。その際に、去っていってしまった仲間たちもいました。まだまだ力が足りなかった。反省はしています。ただ、後悔はしていません。だからこそ、今があります。三陽工業は未完成であり試行錯誤の連続です。やったことがないことをやってみようという言葉があるように、新しい事をやってみようという思考を持っています。だからこそ、チャンスが転がっています。ありとあらゆる所にチャンスが転がっているイメージです。成長段階の会社はこうなるんでしょう。

売上が80億→200億へと成長する企業に在籍したことがあります。先輩社員が課長になり部長になっていきます。しかも凄いスピードで。新しい部署がドンドン出来ていました。それを感じることが出来たのはとてもありがたいことです。摩擦も様々な所でありました。辞めるといった人と話をするために、遠方まで行ったのは1回や2回ではありません。その時の様々な経験が今に生きています。

三陽工業には失敗という言葉ありませんからね。全ての部署を巻き込んで怒涛の如く進んでいった39期。そして、40期を迎えることになります。


40期

大きな節目の40期です。

40期の最後、2020年2月1日に40周年記念式典をANAクラウンプラザ神戸で開催しました。先日、カワサキモータース様の賀詞交歓会があった会場と全く同じ会場です。そこでやりたかったのです。約500名の社員が全国から参加してくれました。創業者の出身地である愛媛県からB-1グランプリに出場する人達が駆けつけてくれました。三陽ブランドのシャンパンを用意してくれました。サーキットで声を聞く和田鉄平さんが司会をしてくれました。壇上でパラパラを踊りました。完璧でしたね。今も踊れるかな?100万円、盛り上がりましたね。壇上から感じた熱気は今でもよく覚えています。

2020年2月1日の開催。その2月の末頃に開催したKRP三陽工業&RS-ITOHの体制発表会はコロナの影響で中止するか否かを最後まで迷いました。もし、2月1日が2-3週間ずれていれば開催できなかったと思います。様々な人が準備に携わってくれたこの40周年記念式典。もし、中止となれば悲しい想いでいっぱいでしたね。そして、そこから一気にコロナ禍に突入していくとは夢にも思いませんでした。

片方で、40期の後半から成長速度が鈍化していきました。伝えたい事が伝わらない。一気に規模が拡大し、IPO準備を進めて行く中で、本当に大切なことを見失っていた、今振り返るとそんな気がしています。IPO準備は確かに大切なことです。しっかりと進めて行く必要があります。ただ、それはHRやGTが成長していくから成り立つものであり、そこの成長速度が鈍化していることに大きな危機感を感じたのが、この40周年記念式典の近辺です。この経験は今に役立っています。三陽スタンダードには三陽工業には失敗という言葉はありません。とありますが、その通りだと強く感じています。そのままコロナ禍に突入していき、リーマンショックと同等の衝撃が世界に広がっていくことになります。

今日はこの辺で、明日はこの歴史シリーズの最終回になります。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました!