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【309球目】能動的と受動的

三陽工業は元々受動的な会社でした。

リーマンショックを境に覚醒をし、今では能動的な会社になっています。何がどう変化したのか、今日はそんなお話です。


元々は・・・

三陽工業は川崎重工の売上比率が約9割の会社でした。

研磨や物流の工場が出来た時はそうではなかったですが、私が入社した時は完全に受動的な会社です。受動的な会社が悪いと言っている訳ではありません。それでも成果が出せる時代もありました。どんな時代かと言うと、経済が右肩上がりの時代です。奇しくも、リーマンショックと日本の人口減少の開始は、ほぼ同時期です。

そう考えると、それまで受動的な会社であっても、何とか成果が出ていたのは必然なのかもしれません。


能動的へのシンカ

なぜ能動的な会社へと変わっていったのか。

リーマンショックにより外部環境が変化したからです。変わることのリスクより変わらないことのリスクの方が大きいと判断したからです。能動的になると、やったことがないことをやろうとします。作業を効率化しようとします。そうすると小さなミス=経験がドンドン積み重なっていきます。やったことがないことをやろうとしたり、効率化するために、今までのやり方を変えたりするわけですから、最初から上手くいく訳がありません。

まずはやってみる。

動いてみる。

そんな経験を積んでいくと、そこから見えてくるものがあります。受動的な状態と能動的な状態では見えている景色が違ってきます。これは個人でも同じかもしれません。目の前には同じものがあるにもかかわらず、見えている景色が異なるのです。

だから、動く。

動いて上手くいかないことはたくさんあります。試行錯誤を続けていくことが大切ですし、試行錯誤を重ねることによって、少しずつ前に進んでいきます。もし、その感性がなければ、今の三陽工業の軸になっている生産推進グループは存在していません。

もし、その感性がなければ、今の三陽工業は存在していません。

シンカした理由の本質は、受動的な会社から能動的な会社への変化、そう言えます。そして、だからこそ多くの仲間に出会うことが出来ました。そしてこれからも、もっと多くの仲間に出会うことが出来ると確信しています。


思考と環境

リーマンショックが理由で変化したと書きました。外部環境においてはそれが大きな理由です。

そして、内部にも受動的な会社から能動的な会社にシンカした大きな理由があります。その理由は2つあると考えています。

1つは、私がリーマンショックという外圧で覚醒できたこと。
もう1つは、覚醒した私が自由に動ける環境を与えてもらえたこと。

この2点です。もし、私が覚醒したとしても、それを力ずくで止められていたとすれば、今の三陽工業は存在していないはずです。その環境を与えてくれた先代に感謝です。そして、覚醒ができるだけの経験値を積ませてくれた、今まで出会った人たちに本当に感謝をしています。

素直に真面目に一生懸命

この言葉をよく使いますが、自分もそうありたい、そんな意味も込められています。まだまだ道半ばです。仲間は増えることもあれば減ることもあります。しかし、三陽工業は日本の製造現場を元気にすると私と同じように考えて行動している仲間がいる限り、シンカし続けます。目まぐるしく変化するこの環境下において、能動的に動くことができる仲間がいることがとても心強いです。急激に環境が変わっても、その変化に対応しようとする、そんなシンカする仲間と共に、これからも走り続けていきます。

能動的に動き始めた最初は、とても勇気が必要でした。それが習慣になると、怖くなくなります。やったことがないことをやってみよう。これからも大切にしていきます。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!