【103球目】大三島
三陽工業の「三」は、大三島の「三」です。
創業者の出身地は愛媛県越智郡大三島町(現在は今治市)なので、そこから来ています。
神戸から姫路にかけて走っている私鉄、山陽電車の「山陽」とよく間違えられることもあるのですが、私たちは「三陽工業」です。
今日はそんな大三島について、少し書いていきます。
大三島の記憶
中学校くらいまで、本籍が愛媛県越智郡だったんです。
あまり深く考えなかったのですが、もちろん祖父の出身地だからです。
小さい時に大三島に行った記憶は1度だけです。
小学校低学年の頃だったと思います。
当時はしまなみ海道がありませんから、広島から船で島へ向かいました。
きっと親戚の家なんでしょうが、目の前が海でした。
家|道|海
こんな感じです。
まあ、島ですからね。
とにかく、田舎のイメージが強いです。
そのインパクトだけは強烈に記憶に残っています。
それ以来、大三島へ行くことはほとんどありませんでした。
そして、いつの間にか私の本籍も愛媛県越智郡から兵庫県神戸市へと変わっていきました。
大人になってから
高齢の方も多いので、ある程度の年齢になった時に、葬儀や法事で行くことが増えました。
そこからさらに大三島に興味を持ちます。
祖父が大三島を出て大阪へと向かったのは、戦前のことです。
その行動がなければ今の三陽工業はありません。
そして大三島へ行く度に、その自然に癒されるのと同時に、よくこの島から出ようと思ってくれた、そんな感謝の気持ちが湧いてきます。
それくらい、何もない。
ある人曰く、大三島は日本のバリ島だそうです。
その言葉に納得できるくらい、本当に自然が豊かな島です。
最近は、しまなみ海道でサイクリングが盛んなので、島にも自転車に乗った方が数多く来られています。
こう書いていると、行きたくなってきます。
コロナが落ち着けば、改めて行ってみたいですね。
40周年式典の時に
40周年の式典の時に、大三島からB1グランプリに出ているお店に来て頂きました。
わざわざ、大三島から会場のある新神戸まで来て頂きました。
感謝しかありません。
明石も佐賀も、そして私たちの拠点がある全ての地域も、そしてこの大三島に対しても何か地域貢献が出来ないか、常に考えています。
まだまだ私たちの力は弱いので、なかなか行動まで至っていませんが、地域に対して何かをやりたい、そんな想いを常に持っています。
大三島から出てきた1人の人が、三陽工業の前身を創りました。
まず、腰を据えて商売をしていた場所は神戸市兵庫区です。
そこから明石へと移ってきます。
私が佐賀へ行かなければ、今の感性は持ち合わせていません。
もちろん、今ある拠点全てがないと三陽工業は成り立ちません。
西から営業拠点がある都道府県を並べてみると、
佐賀・熊本・福岡(2)・大分
山口・島根・広島・岡山・愛媛
兵庫(4)・京都・滋賀(3)・三重
岐阜・愛知・静岡・長野
神奈川・埼玉・栃木
20府県に26の営業拠点があります。
ちなみに製造拠点10ヶ所は兵庫・福岡・長野にあります。
日本には47都道府県がありますから、まだ半分弱程度ですね。
まだまだこれからです。
地域に対しての想い
私は18才の時に神戸から佐賀へ行きました。
25才の時に名古屋へ行き、その後半年程度ですが山梨県甲府市にいました。
自分が生まれ育った場所以外で生活してみて感じたこと。
月並みですが、住めば都です。
その地域ごとに魅力があり、良い所がたくさんある。
もちろん、不足しているところもありますが、今やネットでそれを解決出来たりするでしょうし、ちょっと足を延ばせば不足はすぐに解決できます。
佐賀にももう一度住んでみたいと思いますし、住んだことがない地域でも住んでみたいと思います。大三島にも住んでみたいですね。
それくらい、日本の各地域には魅力があります。
海外に住んでも同じことが言えるのでしょうね。
もっともっと強くなって、各地域に大きな恩返しがしたいものです。
本日もありがとうございました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!