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【436球目】三陽工業・第一次成長期⑧

アイコムという会社が出来て、兵庫県内で営業をしていくも、三陽工業での取引を要望される。そんな状況の中で岐阜からの依頼が舞い込んで来ます。そして、この初めての県外進出の2011年から2015年までを第一次成長期として位置付けています。


アイコム岐阜営業所

三陽工業は川崎重工明石工場でのお仕事をメインに行って来ました。そして、リーマンショックで大きな打撃を受けていました。

そこからアイコムという会社を作り、川崎重工以外での仕事も広げていこうと考えながら行動を継続していた時に、川崎重工岐阜工場から声を掛けて頂きました。当然、岐阜への進出を果たします。アイコムとしての進出なので、もちろんアイコム岐阜営業所です。そして、その当時にこちらからお願いをした訳でもなく、営業所も新設して初期投資も嵩んでいるだろうから、10名になるまではアイコムを優先してくれるというとても暖かい言葉を頂きます。この10名優先というのはそれからの新規出店のひとつの目安にもなっています。

2011年4月にアイコム岐阜営業所は出来ました。そして、その後に三陽工業滋賀営業所等が出来ても2018年4月にアイコムが三陽工業に吸収されるまでの7年間、アイコム岐阜営業所としての営業を続けることになりました。


アイコム岐阜営業所の理由

兵庫県内で三陽工業が選ばれていましたから、岐阜も当初から三陽工業という選択肢もありました。

ただ、その時は別の思考がありました。アイコムの社長は私です。当時、三陽工業では専務です。そして、アイコムの専務として一緒に仕事をしていた前職の社長がいました。この人に岐阜に行ってもらいました。今後、三陽工業の拠点も増えていくだろうという考えはその時点でありました。そして、アイコム岐阜営業所として成長していった先には、そのアイコムの専務に社長になってもらいたい、そんな想いを持っていましたので、アイコム岐阜営業所にになりました。結果、そこから数年してその人は独立したいという理由で退職されました。色々とありましたが、とても感謝をしています。楽しくて面白かったです。


県外初進出

この岐阜への進出が三陽工業としての県外初進出でした。

アイコムという会社ではありましたが、三陽工業としての初進出として認識しています。現在、三陽工業にあるやったことがないことをやってみようという言葉。この時の経験も生きています。初めて県外に出ていく。全ての事が初めての経験でした。そして、不安だらけでした。許認可もそうですし、業務の運営に関してもそうです。様々な不安を抱えながら進めていきました。

この岐阜へ出たタイミングも非常に良かったんです。当時は、まだまだリーマンショックの影響の余波が残っていました。当時の岐阜営業所のメインの業種は航空機の製造です。ちょうどこの時期にボーイング787という最新鋭機の量産がスタートしていました。その量産開始に伴い、岐阜営業所がスタートしました。量産開始からドンドン生産機数は上昇していきます。その上昇と同様に岐阜営業所も上昇していきました。


新規営業所出店

その他のエリアにも拠点が出来てきます。
第一次成長期(2011年から2015年)の新規出店は以下の通りです。

2011年(平成23年)4月  岐阜営業所設立(株式会社アイコム)
2013年(平成25年)5月  滋賀支店設立
2014年(平成26年)5月  福岡営業所設立
2015年(平成27年)4月  小倉営業所設立
          8月 淡路島事業所設立
12月 野球部創部

意外と少なくないですか?そうなんです。この後の第2次成長期の方が多いのです。ということは?最近設立された営業所が多いということですね。この第1次成長期を語る上で福岡営業所のお話は避けて通れないです。TikTokerの森本さんも登場する福岡営業所のお話は明日にします。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。







最後まで読んでいただき、ありがとうございました!