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育休中にやりたいことを考えていたら、出しっぱなしの化粧品を棚にしまうことになった。

育休の間に何やろう?
副業のタネを見つけたいな。
発信できるようになりたいな。

そう思って模索していた。

日々は慌ただしく、育児に追われ、
元々やっていた新規事業のトライアルにも追われ
やりたかった社外メンター活動を始めたりもした。
充実しているといえば、そう。

でも、これでいいんだっけ?

なんかこれだ感がない。
何を「する」か、何をアウトプットするか。
発信できる人になりたい。

でも、気づいてしまった。
今の私には、人様に発信するほど、自分が自分に満足していない。
まず、向き合うべきは、自分の内面、そしてその内面を映し出す日々の生活だった。

散らかった部屋。
仕方ないよね。そういうもんだよね。
丁寧に、時間をかけて、片付けることを自分に許可していなかった。

手間なく、効率よく、やらなくて済むことはできるだけやらない。
洗濯物を丁寧に畳んで、しまって、次の日また着るなんて、
穴掘って埋めてまた穴掘って埋めるくらい無駄なことだと思ってた。

でも、
私は本当は綺麗で片付いた空間が好き。
保育園見学に行って、それを再認識した。

片付いてなくてごちゃごちゃした園は清潔感がなくて、嫌だと思った。
お前がいうな、って感じだけど。

ここがいい!!!って思った円は、明るくて新しくて片付いている園だった。

自分は片付いてなくても気にならない人間だと思ってたけど、
めっちゃ気になってたわ。

片付いている空間がSNSにアップされているのを見ると
「どうせ直前に撮影用に片付けてるんでしょ」と思ってしまう。
私がそうだから。
でも、いるんだよね、普通に片付いてる人。

SNSのキラキラ疲れで、実体はこんなにとっ散らかってます暴露が流行ってる。
だからそういうものだと思ってたけど。
息を吸って吐くように、綺麗を保ち、いい食事をしている人もいるんだ。

毎日ちゃんとした料理をすることは、囚われていて自分を追い込むことのように捉えていたけれど、簡単にちゃんとした料理をしている人もいる。

私は、そっち側に行きたい。
本当はきれいな空間で、ちゃんとしたものを食べる生活をしたい。
そうあるべきだから、ではなくて、

私が、それを望んでいるから。

同じ片付けるという行為でも、その理由が、
「片付けるべきだから」と
「片付けたいから」では全然違う。

何をするかではなくて、どうありたいか。
DoingとBeing
何度も何度も聞く言葉だけど、全然分かってなかった。

自分の外側、常識、世間体、人の目に合わせて動くのはしんどい。
生産性、効率、高いものがいいって、仕事でもずーーーーっと言われてきたやん。
まさか、それが自分を縛っていた諸悪の根源だったなんて。
私の場合は、生産性の高さ、効率の良さに囚われていたから、
求めている心地いい生活から、どんどん遠ざかっていたんだ。

自分のやりたいことを、曇りなく、真っ直ぐにやる
自分のために自分の望む状態をつくる

  • 洗面台の棚から出した化粧品を、いちいち毎回棚に戻す
    (出しっぱなしだからごちゃつく)

  • 洗濯乾燥して出来上がった服は、しまう
    (山盛りの洗濯物から発掘するから手間がかかる)

  • 脱いだ服で洗濯しない服も、すぐしまう
    (洗濯機の前で山盛りにしがち)

  • ほうれん草を買ったらすぐ茹でる
    (茹でるのなんて数十秒なのに、つい野菜室で眠らせてしまう)

こんな調子で100個でも書き出せそうだけど。
この所作の積み重ねが、生活であり人生になっていく。

そんなに端折った時間で何してんのかって、
SNS見てるだけだったりするもんね。愕然とする・・・

何をするか、ではなくてどうあるか。
自分が、心地よくごきげんでいられるように。
① 身の回りを整える
② いいものを食べる
③    着たい服を着る

そして、人に溢れたパワーを渡せるように(子育てここに含まれる)
そして、きゃっほーー!!っていうくらい心沸き立つことに挑戦できるように

今はまず、目の前の、出しっぱなしの化粧品を棚にしまおう。



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